韓非子 揚権

天には偉大な法則があり、人には大きな法則がある。
かの良い香りの濃厚な酒や柔らかく肥えた肉は、口あたりは良いが身体を壊しやすく、きめ細かな肌や白い歯は色情を悦ばせるが、精力を損なう。ゆえにこのような極端を慎めば、身に害を及ぼすこともないだろう。

権力は人に見せるものではなく、そもそも使うことがないのがよい。
君主の仕事は多方面にわたるが、要は中央で握り、四方それぞれに受け持つ臣下がそれぞれ報告に来るようにし、君主はこの報告を虚心で待ち、臣下が各自の能力を用いる。
こうすることで天下全ての臣下の実情が分かり、臣下に賞罰について説き示す。
賞罰を充分に示したのち、門を開いて臣下の報告を待つ。
ここに至れば方針を変えたり改めることなく、賞罰をもって行う。
これを止めずに行うのが、君主の真理の道を行うと言うのである。

そもそも物にはそれぞれふさわしい使い道があり、能力にはそれぞれふさわしい使い所がある。
臣下それぞれが能力に応じたふさわしい地位につくようにするので、上下の間に問題が生じることもない。

例えば、鶏に夜明けの時報を司らせ、野猫に鼠を捕らえさせるのは、皆その能力を用いるので、君主にとって問題が生じることがない。
もし君主が得意なことがあり、自分でやろうとすれば、仕事はきちんと機能しないだろう。
君主が自慢げに賢人を好むと、臣下に欺かれるだろう。
君主が仁恵を口にし、刑罰を嫌えば、臣下はそれを材料にして姦悪を企むだろう。
君臣の役割が逆になるようでは、国は治らないだろう。

正しい君臣の役割を保つ道は、名分を正しくすることが第一である。
名分が正しくなれば物事の秩序は定まり、名分が乱れると物事の秩序は揺らぐ。
故に明君はひとつの方針に則って静かに待ち、臣下に自分から申告をさせ、実際に仕事をさせて結果を出させる。
明君は自分の好悪の色を見せないので、臣下は素地を正直に出す。
そこで君主は臣下を官職に任じ、臣下に自由に仕事をさせ、その結果によって賞を与えるならば、臣下はみずから功績を挙げようと励む。
臣下が正しく官職に就き、皆それぞれに自分の結果を出させる。

君主は臣下の申告によってこれを用い、その申告がないような臣下については、従来の実績をもとに用いる。
形名参同によって賞罰を行う。
賞罰が正しく確実に行われるならば、臣下は実情を隠さず報告するようになる。

謹んで自分の仕事を果たし、運命を天に任せ、仕事の要点を失わなければ、それは聖人である。
聖人の道は、智恵と技巧が取り除かれる。
智恵と技巧を取り除かねば、常の道を得ることは難しい。
臣民が智恵と技巧を用いれば、その身に禍が多く、君主がこれを用いれば、その国は危うくなったり亡んだりするだろう。
君主は、天の道に則り、人の理を省み、臣民を監督し、参同し、調査する。
終わってはまた始まり、心は虚静にして待ち、決して自分の力を用いない。

およそ君主の禍は、必ず臣下の言動に深く同調することによる。
臣下の言動を信じて同調することがなければ、万民が君主に従うだろう。かの道というものは弘大であり、決まった形をもたず、その徳は明確で隅々まで及び、個々の物事に至っては、適切に酌み取って生じてくる。
万物みなが道を得て栄えても、その道は存在を残さない。道は物事に広く隅々まで行き渡っている。
人はその運命を悟り、生死を時に委ね従い、名を正し、職分を分かち、万物みな道を同じくする。

ゆえに言う。
道は万物に同調せず、徳は陰陽に同調せず、秤は軽重に同調せず、墨縄は起伏に同調せず、笙は乾湿に同調せず、君主は群臣に同調せず、と。
これら六者は道によって現れるものであるが、道はひとつであるから、一という。

明君は独りであることを貴ぶのは、道の在り方だからである。
君臣は道を同じくせず、臣下は言説によって採用を望み、君主はその言説を採用し、実績を示し、君主はその実績を言説と参同することで、君臣の調和が保てるのである。

およそ君主が臣下の進言を聴くということは、臣下の口から出た言葉を、返してその臣下に戻して実行させることである。
ゆえに君主は臣下の言説を審らかにして適切な地位につけ、職分を明確にして物事の分別をつける。

君主が臣下の進言を聴く様子は、ゆったりとしていて酒に酔っているかのようである。
唇よ、歯よ、私は先に発言はするまいぞ。
歯よ、唇よ、さらにもっと愚かしくあろうぞ。
こうして臣下は自由に言説を並べ、君主はその言説によってその臣下を知る。
臣下の意見が集まり、互いに是非を論じ合うも、君主は一緒になって論じることはしない。
ただ心静かにして動かないのは、道の真理である。
進言と実績を突き合わせて比較するのは、物事の正しいやり方である。

進言と実績を突き合わせて物事を比較し、進言と実績を虚静にして比べて調べる。
この根幹が変わらなければ、君主が自ら動いたり言葉を漏らしても、失敗しないだろう。
たとえ自ら動いたり言葉を漏らしても、何も為さずとも国は改まる。

臣下の言動を喜べば、それに付け込んで私欲を満たそうとする者が多く、臣下の言動を悪めば、怨みを抱かせるであろう。
ゆえに君主は好悪を見せず、心を虚静にして道を宿さねばならない。
君主が一緒になって物事を行わなければ、民はこれを幸いだと思うであろう。
君主は一緒に議論せず、臣下自身にこれをさせよ。
君主は固く戸を閉ざし、室の内から庭を覗けば、物事は手近に見え、全ては君主のいる所に集まってくるだろう。
そして賞すべき者は賞し、罰すべき者は罰する。
それぞれの職務によって、それぞれが成し遂げた結果である。
賞罰が正しく必ず行われるなら、いったい誰が信じないことなどあろうか。
正しい賞罰の法が備わっていれば、他の物事も守られるようになるだろう。

君主は神の如きでなければ、臣下は君主に付け入る手がかりを得ようとし、君主が判断を誤ると、臣下は君主のいつもの行動から好悪を探ろうと考える。
ゆえに君主は天のごとく、地のごとく構えて備える。これを累解という。
地のごとく、天のごとくおれば、誰を疎み、誰を親しむということもない。このような天地のごとき境地にいる者を聖人という。

宮廷内を治めようと思えば、人と距離を置いて、親しんではならない。
宮廷外を治めようと思えば、それぞれに官僚を一人配置して官僚みずからが好き勝手させないようにすれば、どうして役職を兼任したり他へ好き勝手に移ったりできようか。

大臣の家には、ただ人が多くなることを警戒する。
およそ政治の極みは、臣下が君主の内情を知ることができないことである。
形名参同によって、民はそれぞれの職分を守る。
これを忘れて他の方法を求める、これを大惑といい、狡猾な民がますます増え、姦邪の臣下が君主の周囲にあふれる。

だから言う。
臣下を富ませて権力を貸し与えてはいけない、臣下を高い地位につけて増長させてはいけない、一人だけを信任して国を失ってはならない、と。

人の腓が股より大きければ走りにくいように、君主が神の如き畏れを失えば、虎の如き姦臣がその後ろに随うだろう。
君主がそれに気づかなければ、虎は忠犬を装おうとし、君主が早く止めねば、そのような犬が増えてやまないだろう。
虎は群をなして、国の母なる君主を殺す。
君主となっても臣下がいなければ、どうして国を保つことができようか。
君主が法をしっかりと行えば、大きな虎も恐れ、君主が刑罰をしっかりと行えば、大きな虎も自然におとなしくなる。
法と刑罰がもし正しく確実に行われるなら、虎も人となり、正しく忠勤に励むだろう。

君主が国を治めようと思えば、必ず国内の姦臣たちの徒党を伐たねばならない。
その徒党を伐たねば、さらに徒党を組む仲間を増やそうとするだろう。
君主がその国土を治めようと思えば、必ずその恩賞を正しく与えなければならない。
その恩賞を正しく与えなければ、姦臣は私利を得ようとするだろう。
相手の求めに対してこちらがそのまま与えるのは、仇に斧を貸すも同じである。
貸し与えてはいけない。相手はその斧を用いてこちらを伐とうとするだろう。

黄帝が言った言葉がある。
上下一日に百戦す、と。
下はその私欲を隠して上の出かたを伺い、上は賞罰の秤で下が徒党を組むのを割く。
ゆえに賞罰の秤が正しく成り立つのは、君主の宝である。
徒党を組むのは、臣下の宝である。
臣下がその君主を殺さないのは徒党を組めていないからである。
ゆえに君主が少し失っただけでも、臣下は多くを得るのである。

よく国を保つ君主は、その都を大きくしない。
道を心得た臣下は、その家を貴くしない。
道を心得た君主は臣下の地位を貴くしない。
臣下を貴くして富ませたならば、その臣下は君主に取って代わろうとするだろう。
君主が危険を恐れるならば、早く太子をたてるのがよい。
それによって禍は起こることがないだろう。
君主の身内にも姦悪を探り、出てくるのを防ぎ、必ず自分で賞罰の権限を握る。

厚遇されすぎた臣下には欠き、冷遇されすぎた臣には華やかにする。
欠くことと華やかにすることには程度があり、臣民が徒党を組み、共に君主を欺かせることのないようにせねばならない。
欠くには月が欠けるように少しずつ欠き、華やかにするには熱するように徐々にせねばならない。
法令は簡明にし、罰は濫りに行わない。
しかし罰する時は緩めず罰し、君主としての権力の弓を緩めてはならない。
さもなければ、ひとつの巣に雄鶏が二羽いるようなことになる。
ひとつの巣に雄鶏が二羽いたら、その争いはとても激しい。
豺狼が羊と同じ檻にいては、その羊は繁殖しない。
一家に二人の家長がいては、仕事はうまくいかない。
父母がそれぞれで家を治めていては、子はどちらに従えばいいかわからない。

君主たる者は、臣下に対して樹木のように、しばしばその枝を払い、その枝を多く茂らせてはならない。
枝が茂ると、宮廷の門を塞ごうとするだろう。
大臣の私門に人が満ちるときは、朝廷は空虚になり、君主は幽閉されるだろう。

しばしばその枝を払い、その枝を生い茂らせてはならない。
枝を茂らせては君主の地位にまで迫ってこようとする。

しばしばその枝を払い、枝が木の本より大きくさせてはならない。
枝が大きく、本が小さければ、春風にさえ耐えられないだろう。
春風にさえ耐えられないのなら、枝のために木の幹の心を害せられるだろう。

公子がおまりに多いと、本家が苦しむことになる。
これを止める方法は、しばしばその枝を払い、枝を茂らせないようにすることである。
枝をしばしば払えば、徒党は散じ、その根を掘り起こしてしまえば、木は伸びることはないだろう。

その水源を埋め、水を清らかにさせないようにせねばならない。
臣下の腹のうちを探り、臣下の威勢を奪わねばならない。
君主が権威を用いるには、雷電の如く行わねばならない。


テーマ : 中国古典・名言
ジャンル : 学問・文化・芸術

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プロフィール

韓非子 集中講義 石川 武志

Author:韓非子 集中講義 石川 武志
東洋大学中国哲学文学科に学ぶ。
中国学を志して、およそ20年。
専門は韓非子を中心に、古代中国における諸子百家の思想、哲学。
春秋戦国時代の法家、韓非子の翻訳、研究と解説。
韓非子集中講義主宰。

通背拳の伝承、指導。
日本白猿通背拳研究会を設立。

儒学者、近藤篤山の研究。
第二十四号 論語指導士
(論語教育普及機構認定)
http://p-kies.net/rongo/#r1/

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