韓非子 五蠧

太古の世は、人民は少なく鳥獣の方が多かった。人民は鳥獣や虫、蛇には勝てなかった。
やがて聖人が現れて木に住処を作り、動物による被害を避けた。
人々は聖人の出現を悦び、天下の王とした。これを名づけて有巣氏といった。

人々は草木の実、貝類、生肉、悪臭のするものを食べたので胃腸を壊し、病気になる人が多かった。
そこで聖人が現れて火打石を使って火をおこし、生肉を焼いて食べやすくした。
人々は聖人の出現を悦び、天下の王とした。これを名づけて燧人氏といった。

中古の世になり、天下に洪水があった。
そこで鯀と禹が治水を施した。
近古の世に桀や紂といった暴君が現れて世を乱した。
そこで湯や武といった王が征伐した。

もし夏后氏の時代に木の上に住処を作り、火打石を持ち出す者がいたら、きっと鯀や禹に笑われるだろう。
殷周の時代に治水を言いたてる者がいたら、きっと湯や武に笑われるだろう。
そうであれば、堯、舜、禹、湯、武の事績を今の世の中で讃美する者がいたら、きっと現代の聖人に笑われるだろう。だから聖人は古の道を崇め修めることをせず、古来からの常識にのっとらず、現在の世の重要なことを論じ、これに必要な備えをするのである。

宋の国に田を耕している男がいた。
田の中に切り株があった。そこへ兎が走ってきて株にぶつかり、頸を折って死んだ。
そこで男は鍬を捨てて株を見守り、また兎がかかるのを待った。
だが兎は二度とかからず、男は国じゅうの笑い者となった。

今、古代の聖王たちの政をもって、現代の民を治めようとするのは、皆この株を守る男と同類である。
そもそも古代は男が田を耕やさなくても、草木の実だけで充分食べていけたし、女が布を織らなくても獣の皮を着れば充分だった。
労力を用いずとも生活は成り立ち、人民も少なく、財物は余っている。
だから民が争うこともない。だから厚い恩賞を与えたり、重罰を課さずとも、民は自然と治まった。

今、人に五人の子がいるのは、多いとはされない。
その子にそれぞれ五人の子ができると祖父がまだ死なないうちに、二十五人の孫がいることになる。
こうして人が増えて多くなり、財貨は足りなくなる。
労力を費やしても生活は貧しい。だから民は争うのである。
賞を倍にし、罰を重くしていっても、争乱を免れることはできない。

堯が天下の王だった時は、茅葺屋根の端も切りそろえず、木材も削りそろえず、粗末な穀物の粥や藜、豆の葉の汁を食べ、冬は子鹿の皮衣、夏は葛の衣を着ていた。
今の世の門番が貧しいとはいえ、これよりはましである。

禹が天下の王だった時は、自ら鍬をとり民の先頭に立って働いたので、股に贅肉はつかず、脛の毛も擦り切れて生える間もなかった。
今の世の奴隷の労役といえども、これよりひどいことはない。

これらのことから言えば、かの古の時代に天下譲るということは、門番の貧しい生活を捨てたり、奴隷の労役から離れるということだ。だから天下を譲るといっても、たいしたことではない。
しかし今の県令ですら、その死後に子孫は末長く馬車を乗り回して暮らせるほど豊かである。だから人はその地位を重く思う。
よって人が地位を譲るということは、古代は天子の地位を譲ることを軽んじ、現代は県令の職を離れ難いと思うのは、その実利が違うからである。

山地に住んで谷から水を汲む者たちは、季節の祭りに水を贈り物にする。
沢に住んで水害に苦しむ者たちは、人を雇って水捌けの溝を作る。
不作の年の春には幼子にも飯を食わせられないが、豊穣の秋にはよそ者の旅人にも食わせられる。
これは肉親を疎んじ、旅人を大切にしているわけではなく、その時々の実入りが異なるからである。
こういうわけで古人が財産を軽んじたのは仁愛によるものではないのだ。財産が多かったからである。
今の人々が争奪するのは卑しいからではなく、財産が少ないからである。

簡単に天子の位を譲ったのは、高尚な心からではなく、天子の権勢が強くなかったからである。
今、官職の地位を争うのは卑しいからではなく、権勢が重いからである。

だから聖人は財産や権勢の多少を考えて政治を行うのである。
従って罰が軽い場合も慈悲によるものではなく、厳罰であっても残酷ということではない。
その時々の習俗に応じて行うのである。
だから言うのだ。物事は時代によって異なり、対策もその情勢に応じるのだ、と。

古の文王は豊と鎬の間に国を興し、その地は百里四方あった。仁義の政治を行い、西方の異民族を手懐け、天下の王となった。
徐の偃王は漢水の東に国を興し、その地は五百里四方あった。そして仁義の政治を行った。すると土地を献上して朝貢する国が三十六国に及んだ。すると楚の文王は徐が楚の害となるのを恐れて挙兵し、徐を伐って滅ぼした。
つまり、文王は仁義の政治を行い天下の王となり、偃王は仁義の政治を行い国を喪った。
仁義は古代では通用しても、現代では通用しないからである。
だから言うのだ。世が異なれば事情も異なる、と。

舜の世の時、苗族が服従しなかったので、禹はこれを伐とうとした。
舜が言う。「いけない。お上の徳が厚くなく、武力を使うのは道に反する」と。
そこで民に道徳を教えること三年、干戚を手に舞っただけで苗族は服従した。
共工との戦では鉄の矛が敵に襲いかかり、鎧が頑丈でない者は体を傷つけた。
干戚の舞は古代では通用したが、今は通用しない。
だから言うのだ。事情が変わればその備えも変わるのだ、と。

古代は道義や徳で競い、中世は智略や謀略で競い、現代は気勢や武力で争っている。
斉が魯を攻めようとした。魯は子貢を遣わし、斉に説かせた。
斉の人が言うには「子貢の話は立派でないわけではありません。しかし我らが欲しいものは土地なのです。先生のお話の言うところのものではないのです」
そして兵を挙げて魯を伐ち、門を打ち破ること十里に及び、そこを国境とした。
ゆえに偃王は仁義を行ったのに徐は亡び、子貢は智謀と弁舌をふるったのに魯は削られた。
これらに照らして言うと、仁義や智謀は国を維持する方法とはなり得ない。
偃王が仁政をやめ、子貢が智謀をもちいず、徐や魯の軍事力によって大国にあたったなら、斉や楚の野望が二国に及ぶことはなかったであろう。

昔と今とでは世俗が違い、新しいことと古いことへの備えも違う。
もし寛大な政治をもって乱世の民を治めようとすれば、轡などの馬具のないまま暴れ馬を御するに等しい。これは物を知らないがための失敗である。

今、儒家や墨家の皆は言う、古代の聖王は天下万民を愛し、民を見ること父母の如し、と。
何故それが分かるのかと問えば、言う、司法官が刑を執行する時、君主は罪人のために音楽をやめ、死刑の報せを聞くと、それに涙した、と。
これが儒家や墨家のいう古の聖王である。
もし君臣関係を親子のようにすれば国は必ず良く治まる、と言うなら、これはつまり仲の悪い親子はいない、ということである。人情のうちで、父母の愛情より深いものはない。
父母は皆、子に愛情を注ぐが、必ずしも全ての親子関係がうまくいっているとは限らない。
深い愛情を注いでも、どうして乱れないと言い切れようか。
今、古代の聖王が民を愛したとしても、父母が子を愛することと変わらない。
子ですら必ずしも乱れないとは限らないのに、どうして民が必ず治まったりしようか。
また、法に従って刑を執行することに対し、君主がこのために涙したというのは仁愛を示すが、仁愛で政治を行ったのではない。
涙を流して刑の執行を悲しんだことは仁であるが、刑を取りやめることができなかったのは法のためである。
古代の聖王もまた法を優先させ、自分の涙には負けなかった。
ゆえに仁によって国を治めることできないのは、これでも明らかである。

民はもともと権勢に服すものだ。仁義に懐くものは少ない。
仲尼は天下の聖人であり、身を修め道を究めて天下を遊説した。
天下の人々はみなその仁徳を賛美したが、仲尼に服し従った者は七十人のみであった。
つまり仁を尊ぶ者は少なく、義を実践するのは難しいのだ。
だから天下は広大であるにもかかわらず、従った者は七十人のみであり、真に仁義を為した者は仲尼ただひとりであった。

魯の哀公は君主としては下級である。それが南面して国の主となれば、国中の民で臣下として仕えない者はいない。
人はもともと権勢に服すものである。権勢とは実にたやすく人を服従させる。
ゆえに仲尼が臣下となり、哀公は君主となったのだ。仲尼は哀公の仁義に服したのではなく、その権勢に服したのである。だから仁義をもってして仲尼は哀公に服すことはなく、権勢をもってすれば哀公は仲尼を臣下とすることができるのだ。

今、学者が君主に説くのは、必ず勝てる権勢については語らず、仁義のを行えば王となることができる、ということである。
これは君主が必ず仲尼に及ぶ人物になることを望み、世の中の平凡な民を皆、七十の弟子のようにしようとするものだ。このような望みが実現しようはずもない。

今、ここに出来の悪い子がいる。
父母が叱っても改まらず、郷里の人が責めても動かず、先生が教えても変わらない。父母の愛情、郷里の人の行動、先生の智恵、これら三つの美徳をもってしも、子は動かない。
脛の毛ほども改まらないが、地方の役人が官兵を指揮し、公の法を掲げて悪人を探せば、その子は恐れ慄き、心を入れかえ、行動を改めるだろう。
だから父母の愛情も、子の教育をするには不充分で、地方の役人に厳しい刑罰で臨まねばならないのは、民はもともと愛情にはつけあがり、威力には恐れを抱くからである。
であるから、城壁の高さが十仞もあれば、楼季といえども乗り越えることができないのは、高く峻険だからである。しかし千仭の山に脚を傷めた羊でも放牧し飼うことができるのは、なだらかだからである。

だから賢明な王は法を突き立て、刑罰を厳しくするのである。
布の織物がひとつふたつ落ちていれば、誰しもが見逃さずに拾うだろう。
しかし、黄金が百鎰が落ちていれば盗跖でさえも拾わないだろう。
害がないと思えば織物を拾い、害があると思えば黄金百鎰も拾わない。
だから賢明な王は刑罰を必ず行うのである。
これらのことから、賞は厚くして必ず与え、民に利益となることを示すのがよく、罰は重くして必ず行い、民に怖れさせるのがよく、法は一定にして変えず、民に知らしめるのがよい。
だから君主が賞を与えるのに間をおかず、罰を与えるのには容赦せず、名誉はその賞に添い、悪名はその罰に従えば、賢人も不肖の者も皆、力の限り働くだろう。

しかし今はそうではない。
功績があったので爵位を与えても、世間はその仕官を卑しいと言う。
農耕に精を出したので賞されても、農耕などという力仕事は良くないと言う。
君主の招きに応じず追放されたのに、出世を軽んじる姿勢を高尚だと言う。
禁を犯したので罰せられたのに、その姿が勇敢だと褒める。
このように与えられた賞罰と名誉の毀誉とが相反している。だから法や禁が守られず、民はますます乱れるのだ。

今、兄弟が害されたら、必ず攻め返す者は廉だとされ、知人や友人が辱めを受けたら、必ず仇討ちをする者は貞だとされる。
このような廉貞の行動をとれば、君主の法は犯されることになる。
君主は貞廉の行動を尊び、禁を犯したことの罪を忘れてしまう。
だから民は暴勇をふるい、役人もそれを止めることができない。
人々は労力をかけずに衣食を満たす者を有能であるとし、戦の功績を立てずに尊しとなす者を賢者であるとする。

このような賢能とされる者たちの行動がまかり通れば、兵は弱く、土地は荒れ果てる。
にもかかわらず君主は賢能の者の行動を褒めそやし、弱兵や荒れた土地による禍を忘れてしまう。
だから私事の行動が幅を利かせ、公の利益は無くなってしまうのである。

儒家は学問で法を乱し、侠客は武勇で禁を犯す。
しかし、君主はこれら二者を礼遇する。
これが世の乱れる原因である。
法に背いた者は罪せらるが、儒家の先生方は学問をもって任用される。禁を犯せば罰せられるが、侠客は私事の武勇をもって養われる。
ゆえに法が認めない者を君主は採用しているのであり、役人が取り締まるべき者を貴族は養っているのである。このように法と民の意趣、朝廷の上下、これら四者が相反し、定まらない。
これではたとえ黄帝が十人いたとしても、国を治めることなどできないであろう。
ゆえに仁義の道を行う者は誉めるべき者ではなく、これを誉めることは功を害することになる。学問を習う者が採用されるべきでなく、これを用いることは法を乱すことになる。

楚の人で直躬という者がいた。
彼の父が羊を盗んできたので、役人に告げた。宰相が、その子を殺せと命じた。君主に対しては正しいが、父に対しては正しくないと思ったからだ。だからこれを罰した。
これを見るに、君主の忠臣は父にとっては親不幸者である。

魯の人で君主に従って戦に出た。三度出陣し、三度とも逃げ出した。
仲尼が理由を問うた。
答えて言うには「私には老いた父がいて、私が死んでしまったら、父を養う者がいなくなります」と。
仲尼はこれを聞いて孝行者だとし、推挙した。
これを見るに、父にとっての孝行者は、君主にとっては不忠者である。ゆえに宰相が直躬を罰してからは楚の民は悪事を知らせなくなり、仲尼が逃亡者を賞してからは魯の民は敵に降伏し逃亡することを軽んじるようになった。

君主の利益と民の利益はこのように相反するのだ。
しかも君主は公に功績のあった者も私事で善行のあった者も一緒くたに賞賛し、国家の福を招こうと望んでいる。これでは望みがかなうはずもない。

古の蒼頡が文字を作ったとき、自分で囲ったものを私(厶)とし、私(厶)に背く(八)ものを公とした。公私が相反することは蒼頡の時代から既に知られていることである。
しかし今は公私の利益が同じであるとするのは洞察力の欠如による誤りである。
それが個人の利益を計るならば、仁義の徳を修め、学問を学ぶのに越したことはない。
徳が身につけば信頼され、信頼されれば取り立てられる。
学問を習えば賢明な師となる。賢明な師となれば地位も名誉も得られる。これが個人の利益である。
であるなら、功績もないのに召し出され、官爵がなくても地位や名声が得られる。政治をするにあたり、このようなことがまかり通るならば、国は必ず乱れ、君主は必ず危ういものとなるだろう。

ゆえに互いに相容れないものは並び立つことはできない。
敵を斬る者が賞を受けるのに、慈恵の行いも尊ばれる。城を攻め落とす者が釈録を受けるのに、兼愛の教えも信奉される。武装した兵士が危難に備えるのに、学者などの優雅な服飾も讃えられる。
国を富ますには農業が重要であり、敵を防ぐには兵卒が恃みであるのに、学術の士が尊ばれる。お上を敬い法を畏れる民を捨ておき、遊侠の徒が貴族に採用される。
挙動かくの如きでは富国強兵は望めない。

国が平穏なときは学者や遊侠の徒を養っていながら、いざ危難が迫ると兵卒を用いる。
常に利益を与えている者たちは、いざという時に役には立たず、いざという時に役に立つ者は常に利益を与えられることはない。
こういうわけで、農業や軍事に従う者は、その仕事を疎かにするようになり、侠客や学者が日増しに増える。
これが世の中が乱れる原因である。

また世の中で言われる賢とは貞信の行いのことであり、智とは微妙の言説のことである。
微妙の言説は上等の智者でさえ分かりにくいのだ。
今、民に対して法を施行するのに、上等の智者でも分かりにくいような言説を掲げるならば、民でこれを理解できる者などいないであろう。
米の糟や糠でさえ充分に食えないような貧しい者は上等な米や肉を欲しがるわけではなく、袖のない布きれの衣服さえ充分に着れない者が上等な絹衣を望むわけではない。
政治というものは今急を要する事態でなければ、急を要さないようなことには務めないものである。
今、政治において、民に対しての物事で、一般の男女にもよく分かる言説を用いず、上等の智者にも分からないような論説を有り難がるのは、政治というものに反している。
だから微妙の言説など民を治めるためのものでなどない。

信の行為を貴ぶような者は、人を欺かない人物を貴ぶだろう。人を欺かない人物を貴ぶ者は、人に欺かれない術を心得ていないためである。
貧しい者同士が交流する場合、富貴をもって互いを利することもなく、権威によって互いを懼れることもない。だから欺かない人物を求めて交流することを望むのだ。
今、君主は人を支配する権勢を持ち、国の富を手にしている。
重賞厳罰の根本を保持し、賢明な術によりその照らし出される物事を処理すれば、田常や子罕のような姦臣がいたとしても、あえて君主を欺くようなことはない。
だからどうして人を欺かない人物のみを求める必要があろうか。
今、貞信の士を探したとて、十人にも満たないであろう。しかし国に必要な官吏は百の単位で数えるほど多い。
貞信の士のみを任用しようとすれば、人が官職に対して足りない。
人が官職に対して足りなくなると、治める人手が不足して、治安を乱す者がたくさん増える。
だから聡明な君主の道は、法を第一に置き、賢人をあてにせず、術をしっかり心得て貞信の士を求めない。
ゆえに法は破られず、群臣に姦詐はないのである。

今、君主の言説については、その弁舌の巧みさをのみ悦び、実用性を求めない。その行動については、その名声の高さのみ褒め、実際の功績がどうであるかは問わない。

このことから天下の民衆は、論ずるとき、その弁舌の巧みさのみを気にし、実用性までは考えない。だから古代の賢君を例に出し、仁義について言い立てる者ばかりが朝廷に溢れるばかりで、政治が乱れるのを止めることはできない。
また、我が身の行いを高尚に見せることを競うばかりで、実際の功績にはつながらない。だから智者はその身を引き、巌穴に籠もり、君主が俸禄を与えようとしても受けないので、兵は弱くなることを避けられず、政治が乱れるのを避けられない。
こうなるのは一体何故なのか。
それは民が人を誉めるのも、君主が人を礼遇するのも、国を乱すやり方でしかないからである。

今国内の民は皆、政治を論じ、商鞅や管仲の書を持つ者は各家ごとにあるのに、国はますます貧しくなっている。農業について論じる者は多いが、実際に鋤を手に取り働く者は少ないからである。
また国内の民は皆、兵について論じ、孫武や呉起の書を持つ者は各家ごとにあるのに、兵はますます弱くなっている。兵法を論ずる者は多いが、実際に鎧を着て戦いに出る者は少ないからである。

だから名君は、民の力を用いて、論説は聴かず、実際の功績を賞して役に立たない論説を禁じる。
よって民は力を尽くして働き、お上の命に従うのである。

そもそも耕作は労力のかかる仕事である。それでも民が耕作に勤しむのは富を得ることができるからである。
戦に従軍するということは危険なことである。それでも従軍するのは爵位を得られるからである。

今、学問を修め弁舌を磨けば、耕作の労力なくして富を得られ、戦の危険なくして爵位を得られるのなら、一体誰がこの方法によらないであろうか。
よって世では百人が知識を仕事とするなら、力仕事をするのはわずかひとりだけ、という有様である。
知識を仕事とする者が多いので、法は乱れ、力仕事をする者が少ないので、国は貧しい。
これが世の中が乱れる理由である。
だから名君の国では書物が読まれることはなく、法を教えとして古代の聖王の言葉は伝えられることはない。
官吏が師となり、私闘の剣をふるう乱暴者はいなくなり、戦場で敵の首を斬る者が勇士となる。

これにより、国内の民は、議論するときは必ず法に沿い、仕事をする者の功績は国の利益につながり、勇敢な者は軍事に従事して力を発揮する。
こうなると平時には国は富み、有事には兵は強い。
この状態を王資という。
自国は王資を蓄え、敵国の隙を伺う。
三皇五帝に等しいほどの者は、必ずこの方法によるのである。

しかし、今はそうではない。
国内では官民共に勝手気ままに振る舞い、国外では弁舌の士が好き勝手に言い立てる。内も外も弱点をさらして強国に対処しようとしている。
なんと危ういことであろう。

群臣のうちで外交を論ずる者は、合従連衡いずれかの勢力に属すか、仇敵への心配から国の力を利用するか、のどちらかである。
合従は弱国を合わせて強国を攻める策で、連衡は強国に従って弱国を攻める策である。しかし、このいずれも自国を保つ方法たり得ないのだ。

今、臣下のうちで連衡を説く者は皆言う。
大国に付かなければ敵に攻められ禍を受けることになるだろう、と。大国に付けば必ず利益を得られるとは限らないので、自国の地図を差し出し、国印をあずけて援軍を請うことになるであろう。
自国の地図を差し出せば領地を割譲させられ、国印をあずけては国の威信が下がる。領地は削られ国は狭くなり、威信は下がって政治は乱れる。
だから大国に付いて連衡を採用しても、その利益を受けるまえに領地を失い、国は乱れてしまうのだ。

臣下のうちで合従を説く者は皆言う。
小国を救い大国を伐たなければ天下を失うことになる、と。天下を失えば自国も危うく、君主の地位も保てないだろう、と。
小国を救ったからといって、自国に必ず利益があるとは限らないのに、軍を起こして大国に敵対することになるだろう。
小国を救ってもその小国が存続できるとは限らない大国との関係は必ず疎遠となり、そうなれば強国は圧力をかけてくる。
軍を起こしては敗れ、撤退し守っても城は攻め落とされる。
小国を救って合従を採用してもその利益を受けるまえに領地を失い、軍は敗れ去ってしまうのだ。

このように強国に従えば強国の権威を借りて国内で重職に就き、小国を救えば自国での勢力を利用し小国に利益を求める。こうして国が利益を得られていないのに、彼らには官職や財貨がもたらされる。
君主の威勢が弱くなっても臣下の地位は高く、国の領地が削られても臣下の私財は富み、外交策が成功すればその権勢によって長く重んじられ、失敗しても蓄えた私財で退くことができる。
君主が臣下の進言を受ける様子は、その臣下によって事が成功しないうちに高い爵禄が与えられ、事が失敗しても罰せられないとすれば、遊説の士の誰が一か八かの策を用いて運試しをしないでいるだろうか。

国を乱し君主を亡ぼすのは、そもそも論客の浅はかな説に耳を傾けたからである。
それは何故か。
それは君主が公私の区別をつけられず、説の正否を考えず、失敗しても罰が後に行われないからである。
論客は皆言う。
外交に力を注げば、うまくいけば天下の王となり、そうでなくても国は安定する、と。
しかし王者とは他を征服できる者であり、安定した国は攻めがたいのである。
強者は他国を征服できる者であり、国が治まるとは攻めることができないということだ。
国が治まる、国が強い、というのは外からの力で為されるものではなく、内政が行き届くことで為されるのである。
今、内政において法と術による統治を行わず外交に智恵を求めても、国が治まり強くなる、ということにはならないだろう。
諺に言う。袖が長ければよく振ることができ、持ち金が多ければよく買うことができる、と。
これは資金が多いと仕事がやり易いことを言っているのだ。だから国が治まり強いということは策を為しやすく、国が弱く乱れていれば計略は為しがたい。
だから秦で用いられる者たちは次々に策を変えても失敗に終わることは少なく、燕で用いられる者たちは策を一度でも変えたら成功する見込みはほとんどない。
これは秦で用いられる者が智者で、燕で用いられる者が愚者である、ということではない。
ただ資金力が違うためである。
ゆえに周は秦に背いて合従策を用いて一年で領地を全て失い、衛は魏を離れて連衡策を用いて半年で亡んだ。
これは周は合従策で滅び、衛は連衡策で亡んだということだ。

もし周や衛が合従連衡の策を実行するよりもまず国内の政治を厳正にし、法律禁制を明示し、賞罰を確実に実施し、智恵をしぼり、蓄えを増やし、民に決死の覚悟をさせて城の守りを固めさせれば、天下のを支配するほどの大国といえども、その土地を奪っても利益は少なく、その国を攻めても損害は大きくなるので、大国はみずから堅城を破れず、他の強敵に疲弊の具合をはかられることもないだろう。
これこそが決して滅ばない術策である。
決して滅ばない方法を採らずに、必ず滅びる方法を採るのは国を治める者の過ちである。智恵を外交にしぼり、内政も乱れれば国が滅ぶのを止めようがないのである。

民はそもそも誰しもが安全で利益のあるものに就きたいと思い、危険や困窮からは避けたいと思うものだ。
今、国のために敵を攻めて戦えば、進んでは敵に殺され、退いては罰によって殺されるだろう。
これは危険なことである。
我が家の仕事を棄てて従軍し、汗馬の如き苦労を強いられ、残された家族は困窮するも朝廷は考えもしない。
これは苦痛である。
苦痛と危険のあるところで、民はどうして避けずにいられようか。
だから民は豪族の私臣となり、労役を免れる。労役を免れれば戦争に行かずに済む。戦争に行かずに済めば、その身は安全である。
賄賂を贈って役人に頼めば望みは叶う。望みが叶えば身は安全である。
身が安全であれば、利益も得られる。
どうして民はこの方法をとらずにいられようか。こうして公民は減り、豪族の私臣が増えるのだ。

名君が国を治めると、商業や工芸などに携わる民を少なくし、彼らの地位や名声を低いとし、民の本来の務めを捨てて商工業に走る者を少なくする。
しかし今の世は君主の側近に取りなしてもらい官爵を買うことができる。官爵が買えるから、商工業に携わる者も地位が卑しくない。贅沢品や装飾品が市場で売れるので、商人は少なくならない。
彼らの収入は農民の倍以上あり、しかも農民や兵士には名誉も与えられない。
だからまじめな労働者は減り、商人になる者が増えるのだ。

だから乱れた国の風俗は、学者は古代の賢王の道を言い立てて仁義を掲げ、動作や服装を盛り飾り弁舌を飾り立て、現代の法制度に難癖をつけ、君主の心をも惑わせる。
遊説の徒は仮説や虚言を述べ、外国の力を借りて自分の地位や財産を築き、国家の利益のことなど考えもしない。
剣を帯びた遊侠の徒は仲間を集め、節義を推し立てて名声を高め、朝廷の禁を破る。
戦争への労役を免れる者は、豪族に貢物を積み上げ、賄賂を尽くして重臣の取りなしを得て、汗馬の如き苦労を避ける。
商工業者は役に立たない道具を作っては贅沢品を買い集め、蓄えておいて値が上がるのを待って、農民から利益を貪り取る。
これら五者は国家の蟲である。
君主がこれら五種類の民を除かず、勤勉な国民を大切にしないなら、天下に滅びる国や衰退する朝廷がいくらあっても、何の不思議もないであろう。



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プロフィール

韓非子 集中講義 石川 武志

Author:韓非子 集中講義 石川 武志
東洋大学中国哲学文学科に学ぶ。
中国学を志して、およそ20年。
専門は韓非子を中心に、古代中国における諸子百家の思想、哲学。
春秋戦国時代の法家、韓非子の翻訳、研究と解説。
韓非子集中講義主宰。

通背拳の伝承、指導。
日本白猿通背拳研究会を設立。

儒学者、近藤篤山の研究。
第二十四号 論語指導士
(論語教育普及機構認定)
http://p-kies.net/rongo/#r1/

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