韓非子 五蠧 書き下し文

上古の世、人民少なくして禽獣衆(おほ)し。
人民、禽獣蟲蛇(ちゅうだ)に勝たず。

聖人作(おこ)る有り。
木を構へて巣を為(つく)り、以て群害を避く。
而して民之を悦び天下に王たらしむ。
号して有巣氏と曰ふ。

民、果蓏蜯蛤(からほうこう)を食ふ。
腥臊(せいそう)悪臭にして、腹胃を傷害し、民、疾病多し。
聖人作(おこ)る有り。
燧(すい)を鑽(き)りて火を取り、以て腥臊(せいそう)を化す。
而して民之を説(よろこ)び、天下に王たらしむ。
之を号して燧人氏(すいじんし)と曰ふ。

中古の世、天下大水あり。
而して鯀、禹、瀆(とく)を決す。
近古の世、桀、紂、暴乱にして、湯、武、征伐せり。

今、夏后氏の世に構木鑽燧する者有らば、必ず鯀、禹に笑はれむ。
殷周の世に決瀆する者有らば、必ず湯、武に笑はれむ。
然らば則ち今、堯舜湯武禹の道を当今の世に美する者有らば、必ず新聖に笑はれむ。
是を以て聖人修古を期せず、常行に法(のっと)らず、世の事を論じ、因りて之が備(そなへ)を為す。


宋人、田を耕す者有り。
田中に株有り。
兎走りて株に触れ、頸を折りて死す。
因りて其の耒(すき)を釈(す)てて株を守り、復(ま)た兎を得むことを冀(ねが)へり。
兎復(ま)た得べからずして、身は宋国の笑ひと為れり。
今、先王の政を以て当世の民を治めむと欲するは、皆、守株の類なり。

古(いにしへ)は丈夫、耕さず。
草木の実、食らふに足ればなり。
婦女、織らず。
禽獣の皮、衣(き)るに足ればなり。
力を事とせずして養(やしなひ)足り、人民少なくして財余(あまり)有りき。
故に民争はず。
是を以て厚賞行はれず。
重罰用ひず。
而して民、自ずから治まれり。

今、人、五子有るも、多しと為さず、子、又五子有らば、大父未だ死せずして、二十五孫有らむ。
是を以て人民衆(おほ)くして貨財寡く、力労して供養薄し。
故に民争ふ。
賞を倍し罰を累(かさ)ぬと雖も、而れども乱に免れず。


堯の天下に王たるや、茅茨(ぼうじ)翦(き)らず、采椽(さいてん)斲(けず)らず、糲粢(れいし)の食、藜藿(れいかく)の羹、冬日は麑裘(げいきゅう)、夏日は葛衣(かつい)、監門の服養と雖も、此より虧(か)けず。
禹の天下に王たるや、身、耒臿(らいそう)を執り、以て民の先を為す。
股(もも)に胈(ばつ)無く、脛に毛を生ぜず、臣虜の労と雖も、此より苦しまず。

是を以て之を言へば、夫の古の天下を譲る者は、是れ監門の養を去りて、臣虜の労を離るるなり。
故に天下を伝ふるも、多とするに足らざるなり。

今の県令、一日身死すれば、子孫累世、駕を絜(つな)ぐ。
故に人之を重んず。
是を以て人の譲るに於けるや、古の天子を辞するを軽しとし、今の県令を去るを難しとする者は、薄厚の実、異なればなり。


夫れ山に居りて谷に汲む者は、膢臘にして相遺(おく)るに水を以てす。
沢に居りて水に苦しむ者は、庸を買ひて竇(とく)を決す。
故に饑歳(きさい)の春は幼弟も饟(しょう)せず。
饟歳の秋は疏客も必ず食ふ。
骨肉を疎んじ過客を愛するに非ざるなり。
多少の実、異なればなり。

是を以て古の財を易(かろ)んずるは、仁に非ざるなり。
財多ければなり。
今の争奪するは鄙(ひ)に非ざるなり。
財寡なければなり。
軽く天子を辞するは高に非ざるなり。
勢薄ければなり。
重く土槖(どたく)を争ふは下に非ざるなり。
権重ければなり。
故に聖人は多少を議し、薄厚を論じて之が政を為す。
故に罰薄きも慈と為さず。
誅厳なるも戻と為さず。
俗に称(かな)ひて行へばなり。
故に事は世に因り、而して備(そなへ)は事に適す。


古の文王、豊、鎬の間に処る。
地方百里。
仁義を行ひて、西戎を懐け、遂に天下に王たり。

徐の偃王、漢東に処る。
地方五百里。
仁義を行ひ、地を割きて朝する者、三十六国。

荊の文王其の己を害せむを恐るるや、兵を挙げて徐を伐ちて、遂に之を滅せり。
故に文王は仁義を行ひて天下に王たり。
偃王は仁義を行ひて其の国を喪せり。
是れ仁義は古に用ひられて、今に用ひられざるなり。
故に曰く、世異なれば則ち事異なり、と。


舜の時に当りて、有苗服せず。
禹、将に之を伐たむとす。
舜曰く、不可、上、徳厚からずして武を行ふは、道に非ざるなり、と。
乃ち教(おしへ)を修むること三年、干戚を執りて舞ふ。
有苗乃ち服せり。
共工の戦、鐵銛距(てつせんきょ)なる者は敵に及ぶ。
鎧甲堅(がいこうかた)からざる者は体を傷つく。
是れ干戚は古に用ひられ、今に用ひられざるなり。
故に曰く、事異なれば則ち備変ず、と。


上古、道徳を競ひ、中世、智謀を逐(きそ)ひ、当今は気力を争ふ。

斉、将に魯を攻めむとす。
魯、子貢をして之に説かせしむ。
斉人曰く、子の言は弁ならざるに非ざるなり。
吾が欲する所の者は土地なり。
斯の言の謂ふ所に非ざるなり、と。
遂に兵を挙げて魯を伐ち、門を去ること十里にして、以て界と為せり。
故に偃王、仁義にして徐亡び、子貢、弁智にして魯削らる。

是を以て之を言へば、夫の仁義弁智は国を持する所以に非ざるなり。
偃王の仁を去り、子貢の智を息(や)め、徐、魯の力に循ひ、万乗に敵せしめば、則ち斉、荊の欲、二国に行ふを得ざりしなり。


夫れ古今、俗を異にし、新故、備(そなへ)を異にす。
如(も)し寛緩の政を以て急世の民を治めむと欲せば、猶ほ轡策(ひさく)無くして駻馬を御せむとするがごとし。
此れ知らざるの患なり。

今、儒墨皆称す。
先王、天下を兼愛したれば、則ち民を視ること父母の如くなりき、と。

何を以て其の然るを明らかにするや。
曰く、司寇刑を行へば、君之が為に楽譜を挙げず、死刑の報を聞けば、君為に流涕す、と。

此れ挙ぐる所の先王なり。
夫れ君臣を以て父子の如くせば、則ち必ず治まると為す。
是を推して之を言へば、是れ乱父子無きなり。
人の情性、父母より先なるは莫し。
皆皆愛せらる。
而して未だ必ずしも治まらず。
厚く愛すと雖も、奚遽(なん)ぞ乱れざらむや。

今、先王の民を愛する、父母の子を愛するに過ぎず。
子未だ必ずしも乱れずんば非ざるなり。
則ち民奚遽(なん)ぞ治まらむや。
且つ夫れ法を以て刑を行ひて、君之が為に流涕す。
此れ以て仁を効(いた)すなり。
以て治を為すに非ざるなり。
夫れ垂泣して刑するを欲せざる者は仁なり。
然り而して刑せざる可からざる者は法なり。
先王其の法を勝たしめて其の泣を聴かず。
則ち仁の以て治を為す可からざるも亦明らかなり。

且つ民なる者は固(もと)より勢に服す。
能く義に懐く寡なし。

仲尼は天下の聖人なり。
行を脩(おさ)め道を明らかにし、以て海内に游ぶ。
海内其の仁を説(よろこ)び、其の義を美とす。
而れども為に服役する者は七十人のみ。
蓋し仁を貴ぶ者は寡なく、義を能くする者は難きなり。
故に天下の大を以てして、服役する者は七十人にして、仁義を為す者は一人のみ。
魯の哀公は下主なり。
南面して国に君たれば、境内の民、敢へて臣たらざる莫し。

民は固(もと)より勢に服す。
勢は誠に以て人を服し易し。
故に仲尼、反(かへ)りて臣と為りて、哀公顧(かへ)りて君為り。
仲尼其の義に懐けるに非ず。
其の勢に服せるなり。
故に義を以てすれば則ち仲尼哀公に服せず。
勢に乗ずれば則ち哀公仲尼を臣とす。


今、学者の人主に説くや、必勝の勢に乗ぜずして、務めて仁義を行はば則ち以て王たるべしといふ。
是れ人主の必ず仲尼に及ばむことを求めて、世の凡民を以て皆、列徒の如しとなすなり。
此れ必ず得ざるの数なり。

今、不才の子有り。
父母之を怒れども為に改めず。
郷人之を譙(せ)むれども為に動かず。
師長之を教ふれども為に変ぜず。
夫れ父母の愛、郷人の行、師長の智を以て三美加へて、終(つひ)に動かず。
その脛毛も改めず。
州部の吏、官兵を操り公法を推して姦人を求索す。
然る後に恐懼して其の節を変じ、其の行を易(か)ふ。
故に父母の愛以て子を教ふるに足らず、必ず州部の厳刑を待つ者は、民、固(もと)より愛に驕り、威に聴けばなり。

故に十仞の城、楼季(ろうき)、踰(こ)ゆる能わざる者は、峭なればなり。
千仞の山、跛牂(はそう)、牧し易き者は、夷なればなり。
故に明王、其の法を峭にして其の刑を厳にするなり。
布帛尋常、庸人釈てず。
鑠金(しゃくきん)百鎰(いつ)、盗跖掇(と)らず。
必ずしも害せられずんば、則ち尋常を釈てず。
必ず害せらるれば、則ち手百鎰を掇(と)らず。
故に明主、其の誅を必すなり。


是を以て賞は厚くして信にし、民をして之を利せしむるに如くは莫く、罰は重くして必にし、民をして之を畏れしむるに如くは莫く、法は一にして固にし、民をして之を知らしむるに如くは莫し。
故に主、賞を施すこと遷さず、誅を行ふこと赦す無し。
誉、其の賞を輔け、毀、其の罰に隨ふ。
則ち賢不肖、俱に其の力を尽くす。

今、則ち然らず。
其れ功有るをもて之を爵し、而して其の士官を卑しくす。
其の耕作するを以て之を賞し、而して其の家業を少とす。
其の収めざるを以て之を外にし、而して其の世を軽んずるを高しとす。
其の禁を犯すを以て之を罪し、而して其の勇有るを多とす。
毀誉賞罰の加ふる所の者、相与(とも)に悖繆(はいびゅう)す。
故に法禁壊れて民愈いよ乱る。


今、兄弟侵さるるに必ず攻むる者は廉なり。
知友辱めらるるに隨ひて仇とする者は貞なり。
廉貞の行成りて、君上の法犯さる。
人主、貞廉の行を尊びて、禁を犯すの罪を忘る。
故に民、勇に程して、吏、勝つ能わざるなり。

力を事とせずして衣食すれば、則ち之を能と謂ひ、戦功せずして尊ければ、則ち之を賢と謂ふ。
賢能の行成り、兵弱くして地荒れる。
人主、賢能の行を説(よろこ)びて、兵弱地荒の禍を忘るれば、則ち私行立ちて公利滅す。


儒は文を以て法を乱り、俠は武を以て禁を犯す。
而るに人主、兼ねて之を礼す。
此れ乱るる所以なり。
夫れ法を離るる者は罪せらる。
而るに諸先生、文学を以て取らる。
禁を犯す者は誅せらる。
而るに群俠、私剣を以て養はる。
故に法の非とする所は君の取る所なり。
吏の誅する所は上の養ふ所なり。
法趣上下、四に相反すなり。
而して定まる所無し。
十黄帝有りと雖も治むる能わざるなり。
故に仁義を行ふは誉むる所に非ず。
之を誉むれば則ち功を害す。
文学に工なるは用ふる所に非ず。
之を用ひば則ち法を乱る。


楚に之、直躬有り。
其の父、羊を窃む。
而して之を吏に謁(つ)ぐ。
令尹曰く、之を殺せ、と。
以為(おもへ)らく君に直にして父に曲なり、と。
執(とら)へて之を罪せり。
是を以て之を観れば、夫の君の直臣は父の暴子なり。

魯人、君に従ひて戦ひ、三戦して三す。
仲尼其の故を問ふ。
対へて曰く、吾、老父有り。
身死せば之を養ふもの莫きなり、と。
仲尼以て孝と為して、挙げて之を上せり。
是を以て之を観れば、夫の父の孝子は君の背臣なり。

故に令尹誅して楚姦上聞せず。
仲尼賞して魯民降北を易(かろ)んぜり。
上下の利、是の若く其れ異なるなり。
而して人主兼ねて匹夫の行を挙げて、社稷の福を致さむことを求む。
必ず幾(ねが)ふべからず。


古者(いにしへ)、蒼頡(そうけつ)の書を作るや、自ら環(いとな)む者、之を私と謂ひ、私に背く、之を公と謂へり。
公私の相背くや、乃ち蒼頡固(もと)より以(すで)に之を知れり。
今、以て利を同じくすと為す者は、察せざるの患なり。
然らば則ち匹夫の計を為す者、行義を修めて文学を習ふに如(し)くは莫し。
行義修まれば則ち信ぜらる。
信ぜらるれば則ち事を受く。
文学習へば則ち明師為り、明師為れば則ち顕栄なり。
此れ匹夫の美なり。


然らば則ち功無くして事を受け、爵無くして顕栄なり。
有政を為す、此(か)くの如くんば、則ち国必ず乱れ、主必ず危し。
故に相容れざるの事は両立せず。
敵を斬る者、賞を受く。
而して慈恵の行を高しとし、城を抜く者、爵禄を受く。
而して兼愛の説を信ず。
堅甲厲兵、以て難に備へ、而して薦紳の飾を美とし、国を富ますに農を以てし、敵を距(また)ぐに卒を恃み、而して文学の士を貴び、上を敬し法を畏るるの民を廃して、遊侠私剣の属を養ふ。
挙行、此(かく)の如くなれば、治強得可からざるなり。

国、平(たいらか)なれば儒侠を養ひ、難至れば介士を用ふ。
利する所は用ふる所に非ず。
用ふる所は利する所に非ず。
是の故に事を服する者、其の業を簡にし、而して游学の者、日に衆(おほ)し。
是れ世の乱るる所以なり。


且つ世の所謂賢なる者は、貞信の行なり。
所謂智なる者は、微妙の言なり。
微妙の言は、上智の知り難き所なり。
今、衆人の法を為して、上智の知り難き所を以てせば、則ち民、従(よ)りて之を識(し)るもの無し。

故に糟糠(そうこう)飽かざる者は、梁肉を務めず、短褐完(まった)からざる者は、文繍を待たず。
夫の治世の事、急なる者得ずんば、則ち緩なる者は務むる所に非ざるなり。

今、治むる所の政、民間の事、夫婦の明に知る所の者を用ひずして、上知の論を慕ふ。
則ち其の治に於ける、反す。
故に微妙の言は、民の務(つとめ)に非ざるなり。
若し夫れ賢良貞信の行は、必ず待(まさ)に欺かざるの士を貴ばむとす。
欺かざるの士を貴ぶは、亦(また)欺かれざるの術無ければなり。


布衣の相与(あいとも)に交るは、富厚以て相利する。
威勢以て相懼(おそ)れしむる無し。
故に欺かざるの士を求む。

今、人主は人を制するの勢に処り、一国の厚を有(たも)ち、重賞厳誅、其の柄を操るを得、以て明術の燭らす所を修む。
田常、子罕の臣有りと雖も、敢へて欺かざるなり。
奚ぞ欺かざるの士、待たむや。

今、貞信の士は十に盈(み)たずして、境内の官は百を以て数ふ。
必ず貞信の士に任ぜば、則ち人、官に足らず。
人、官に足らずんば、則ち治者寡なくして、乱者衆(おほ)し。
故に明主の道、法に一にして智を求めず、術を固くして信を慕はず。
故に法敗れずして、群官姦詐無し。


今、人主の言に於けるや、其の弁を説(よろこ)びて其の当を求めず。
其の用、行に於けるや其の声を美にして其の功を責めず。
是を以て天下の衆、其の談言する者、務めて弁を為して、用に周からず。
故に先王を挙げ仁義を言ふ者、廷に盈ちて、政、乱に免れず。
身を行ふ者、高を為すに競ひて、功に合わず。
故に智士退きて巌穴に処り、禄を帰(おく)るも受けず。
而して兵、弱に免れず。
政、乱に免れず。
此れ其の故何ぞや。
民の誉むる所、上の礼する所乱国の術なればなり。


今、境内の民、皆治を言ひ、商、管の法を蔵する者は家ごとに之有り。
而して国愈いよ貧きは、耕を言ふ者衆く、耒を執る者寡なければなり。

境内皆兵を言ひ、孫、呉の書を蔵する者は家ごとに之有り。
而して兵愈いよ弱きは、戦を言ふ者多く、甲を被る者少なければなり。

故に明主、其の力を用ひて其の言を聴かず、其の功を賞して必ず無用を禁ず。
故に民、死力を尽して以て其の上に従ふ。


夫れ耕の力を用ふるや労す。
而るに民、之を為す者は、曰く、以て富むを得可ければなり、と。
戦の事や危し。
而るに民、之を為す者は、曰く、以て貴きを得可ければなり、と。

今、文学を修め言談を習はば、則ち耕の労無くして富の実有り。
戦の危無くして、貴の尊有り。
則ち人、孰れか為さざらむや。
是を以て百人智を事として、一人力を用ふ。
智を事とする者衆(おほ)ければ則ち法敗れ、力を用ふる者寡なければ則ち国貧し。
此れ世の乱るる所以なり。

故に明主の国、書簡の文無し。
法を以て教へと為す。
先王の語無し。
吏を以て師と為す。
私剣の捍無し。
斬首を以て勇と為す。
是を以て境内の民、其の言談する者必ず法に軌し、動作する者之を功に帰し、勇を為す者之を軍に尽す。
是の故に事無ければ則ち国富み、事有れば則ち兵強し。
此れを之れ王資と謂ふ。
既に王資を畜へて敵国の亹に承す。
五帝を超え、三王に侔(ひと)しき者は、必ず此の法なり。


今は則ち然らず。
士民、内に縦恣にして、言談する者、勢を外に為し、外内悪を秤り、以て強敵を待つ。
亦殆(あやう)からずや。
故に群臣の外事を言ふ者、従衡の党に分有るに非ずんば、則ち仇讎(きゅうしゅう)の患有りて、力を国に借るなり。
従は衆強を合して以て一強を攻むるなり。
而して衡は一強に事へて以て衆弱を攻むるなり。
皆、国を持する所以に非ざるなり。

今、人臣の衡を言ふ者皆曰く、大に事へずんば、則ち敵に遇ひ禍を受けむ、と。
大に事ふる、未だ必ずしも実有らざれば、則ち図を挙げて地を委し、璽を効(いた)して兵を請ふ。
図を献ずれば則ち地削られ、璽を効(いた)せば則ち名卑し。
地削らるれば則ち国削られ、名卑しければ則ち政乱る。
大に事へて衡を為すも、未だ其の利を見ず、而して地を亡(うしな)ひ政を乱す。

人臣の従を言ふ者皆曰く、小を救ひて大を伐たずんば、則ち天下を失わむ。
天下を失わば則ち国危ふからむ。
国危ふくして主卑しからむ、と。
小を救ふ、未だ必ずしも実有らざれば、則ち兵を起こして大に敵す。
小を救ふも未だ必ずしも存する能わず。
而して大に交はるも未だ必ずしも疏有らずんばあらず。
疏有れば則ち強国の為に制せらる。
兵を出せば則ち軍敗れ、退きて守れば則ち城抜かる。
小を救ひて従を為す、未だ其の利を見ずして、而して地を亡(うしな)ひ軍を敗る。


是の故に強に事(つか)ふれば、則ち外権を以て官を内に市し、小を救へば、則ち内重を以て利を外に求む。
国利未だ立たざるに、封土厚禄至る。
主上卑しと雖も、人臣尊し。
国地削らると雖も、私家富む。
事成れば則ち権を以て長く重んぜられ、事敗るれば則ち富を以て退き処る。
人主の其の説を聴くに於ける、其の臣に於いて、事未だ成らざるに則ち爵禄已に尊く、事敗るとも而も誅せられずんば、則ち游説の士、孰れか矰繳(そうしゃく)の説を用ひて其の後に徼倖(ぎょうこう)するを為さざらむ。
故に国を破り主を亡(ほろぼ)し、以て言談者の浮説を聴く。
此れ其の故何ぞや。

是れ人君、公私の利を明(あきらか)にせず、当否の言を察せずして、誅罰其の後に必せざればなり。
皆曰く、外を事とせば、大は以て王たる可く、小は以て安かる可し、と。
夫れ王者は能く人を攻むる者なり。
而れども安ければ則ち攻む可からざるなり。
強は則ち能く人を攻むる者なり。
治まれば則ち攻む可からざるなり。
治強、外に責む可からず。
内政の修なり。
今、法術を内に行はずして、智を外に事とすれば、則ち治強に至らず。


鄙諺(ひげん)に曰く、長袖善く舞ひ、多銭善く賈(か)ふ、と。
此れ多資の工を為し易きを言ふなり。
故に治強は謀を為し易く、弱乱は計を為し難し。
故に秦に用ひらるる者、十変して謀失ふこと希なり。
燕に用ひらるる者、一変して謀得ること希なり。
秦に用ひらるる者必ず智にして、燕に用ひらるる者必ず愚なるに非ざるなり。
蓋し治乱の資、異なればなり。
故に周、秦を去りて従を為し、期年にして挙げらる。
衛、魏を離れて衡を為し、半歳にして亡びたり。
是れ周は従に滅び、衛は衡に亡びたるなり。

周、衛をして其の従衡の計を緩くして、其の境内の治を厳にし、其の法禁を明にし、其の賞罰を必し、其の智力を尽し、以て其の積を多くし、其の民を死に致し、以て其の城守を堅くせしめば、天下其の地を得るも則ち其の利少なく、其の国を攻むるも則ち其の傷大なり。

万乗の国、敢へて自ら堅城の下に頓して強敵をして其の弊を裁せしむる莫けむ。
此れ必ず亡びざるの術なり。
必ず亡びざるの術を舎(す)てて、必滅の事を道(い)ふは、国を治むる者の過ちなり。
智内に困(くるし)みて政外に乱るれば、則ち亡ぶるを振(すく)ふ可からざるなり。


民の故計、皆、安利に就き、皆、危窮を辟(さ)く。
今、之が為に攻戦す。
進んでは則ち敵に死し、退きては則ち誅に死す。
則ち危し。
私家の事を棄てて、汗馬の労を必す。
家、困(くるし)みて、上、論ぜず。
則ち窮す。
窮危の在る所なり。
民、安(いずくん)ぞ避くる勿きを得むや。
故に私門に事(つか)へて解舎(かいしゃ)を完(まった)くす。
解舎完(まった)ければ則ち戦に遠かる。
戦に遠かれば則ち安し。

貨賂を行ひて当塗に襲(よ)る者、則ち求め得、求め得れば則ち私安し。
私安きは則ち利の在る所なり。
安(いずくん)ぞ就く勿きを得むや。
是を以て公民少なくして、私人衆(おほ)し。


夫れ明王、治国の政、其の商工游食の民少なく、名卑しくして以て寡なからしむ。
本務に趣きて末作を趨にし、今世、近習の請行はれるば、則ち官爵買ふ可し。
官爵買う可くんば、則ち商工卑しからざるなり。
姦財貨賈、市に用ふるを得ば、則ち商人少なからず。
聚斂は農に倍して、耕戦の士を貴ばざれば、則ち耿仆介の士寡なくして高價の民多し。

是の故に乱国の俗、其の学者は則ち先王の道を称して以て仁義を藉(か)り、容服を盛にして弁説を飾り、以て当世の法を疑はしめて、人主の心を貮す。
其の古を言ふ者、偽設詐称(ぎせつさしょう)外力を借り、以て其の私を成して、社稷の利を遺(す)つ。
其の剣を帯ぶる者、徒属を聚め、節操を立て、以て其の名を顕しはして、五官の禁を犯す。
其の近御の者、私門に積み、貨賂を尽して、重人の謁(えつ)を用ひ、汗馬の労を退く。
其の商工の民、苦窳(くゆ)の器を修治し、沸靡(ふつび)の財を聚め、蓄積時を待ちて農夫の利を侔(むさぼ)る。

此の五者は邦の蠹なり。
人主、此の五蠧の民を除かず、耿介(こうかい)の士を養はずんば、則ち海内、破亡の国有りと雖も、削滅の朝、亦怪しむ勿けむ。


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ジャンル : 学問・文化・芸術

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韓非子 集中講義 石川 武志

Author:韓非子 集中講義 石川 武志
東洋大学中国哲学文学科に学ぶ。
中国学を志して、およそ20年。
専門は韓非子を中心に、古代中国における諸子百家の思想、哲学。
春秋戦国時代の法家、韓非子の翻訳、研究と解説。
韓非子集中講義主宰。

通背拳の伝承、指導。
日本白猿通背拳研究会を設立。

儒学者、近藤篤山の研究。
第二十四号 論語指導士
(論語教育普及機構認定)
http://p-kies.net/rongo/#r1/

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