韓非子 外儲説 右下

一、
賞罰の権限が君臣で共有されたなら、法令禁制は行われない。
何故そうなのかを明らかにしていく。

その例は、造父や於期を御す話がある。
子罕猪の役を務め、田恒が畑や池の役を務めた。
また、宋君や簡公が殺された。
害悪としては、王良と造父が車を共に御する話、田連と成竅が琴を共に弾じる話がある。


二、
国が治まり、兵が強くなるのは、法が行われることで生じ、国が乱れて弱くなるのは、法が曲げられることで生じる。
君主がこのことに明らかであれば、賞罰を厳しく行っても不仁ではない。
爵禄は功績に基づいて生じ、誅罰は罪に基づいて生じる。
臣下がこのことに明らかであれば、死力を尽くして仕えても、忠義であるということではない。
君主が不仁を理解し、臣下が不忠を理解するなら、君主は天下の王となることができる。

その例は、昭襄王が君主の実情を知り、五苑の食糧を民に分け与えなかった話がある。
田鮪が臣下の実情を知り、田章に教えた話。
また、公儀が贈られた魚を断った話もある。


三、
君主が法術に頼らず外国の君主のやり方を手本にすると、外交は失敗する。
その例は、蘇代が斉王を誹った話がある。

君主が古の聖王のやり方を手本にすると、処士が現れてくる。
その例は、潘壽が禹の故事をひいた話がある。

君主に覚悟が足りないところがある。
方吾はこれを知って衣服を同族と同じくすることを恐れた。
ましてや君主の権勢を貸し与えるなどなおさらである。

呉章はこれを知り、好悪の感情を偽り臣下に対する。
ましてや誠の心情を臣下に見せるなどなおさらである。

趙王虎の目を嫌って臣下に塞がれた話がある。
明主のやり方は、周の外交官が衛公を退けた話のように厳正である。


四、
君主は法を守って成果を求め、功績を成そうとするものである。
官吏が乱れていても民はおのずから治まっている、ということは聞くが、民が乱れていて官吏がよく治めている、ということは聞かない。
ゆえに明主は先に官吏を治めて民を治めない。

その例は、木の根元を動かす話と、網の綱を引く話がある。
また、火災のときの官吏の話も論ぜねばならない。
火災から救うには、官吏が自分で壺を持って火消しに走るのではひとりの働きをしたにすぎないが、鞭をとって人々を指揮するなら万人を動かすことができる。

また、術を使いこなせる例には、造父が馬車を乗りこなした話がある。
馬を引いても車を押しても進むことができないときに、巧みな御者に代わって鞭をとれば馬はみな走らせることができる。
このことの例は、鉄槌が物を平らにする話、矯め木が棒をまっすぐにする話がある。

そうでなければ害は、淖歯が斉で用いられて閔王を殺した話、李兌が趙で用いられて主父を飢え死にさせた話がある。


五、
物事が自然の理に従っていれば、労せずに成功する。
その例は、慈鄭子が車の長柄に腰かけて歌い、高梁台へ登った話がある。

自然の理に従わなかった場合の害は、趙簡主の税吏が税の軽重を問うた話、薄疑が国では中が満ち足りていると言い、趙簡主が喜んでいる間に国倉は空になり、民は飢えて姦吏が富んだ話がある。
また、桓公が民を巡察したとき、管仲は朝廷内の腐るほど余る貯えがないように、宮中に独り身の女がいないようにと進言した話がある。

自然の理に従わなかった場合の害は、延陵の卓子が馬を進められず、造父が通りかかりこれを見て泣いた話がある。


右は経である。



一、
造父は四頭の馬を御し、縦横に駆けさせ、思う通りに馬を乗りこなした。
思う通りに馬を乗りこなせたのは、手綱と鞭の権限を握っていたからである。
しかし馬の前に豚が飛び出してきて驚けば、造父でも引き止め制御することができないのは、手綱と鞭の威厳が足りないからではない。
威力が飛び出した豚によって分散されたからである。

王於期が、副馬をつけても、手綱と鞭を用いずに馬を思う通りに御すのは、まぐさと水の利を握っていたからである。
しかし馬が畑や池のそばを通り過ぎるときに、副馬が勝手に動きだすのは、まぐさと水の利が足りないからではない。
利が畑や池に分散されたからである。

王良と造父は、天下の名御者である。
しかし王良が左の手綱を執って馬を叱咤し、造父が右の手綱を執って鞭を振るわせば、馬は十里を行くこともできないだろう。

田連と成竅は、天下の琴の名人である。
しかし田連が琴の上を弾き、成竅が琴の下を押さえれば、一曲を弾き成すこともできばいだろう。
これもまた琴を共にしたからである。

王良と造父の技術をもってしても、手綱を共有して御せば、馬を乗りこなすことはできない。
君主はどうして臣下と権力を共有して国を治めることなどできようか。

田連と成竅の技術をもってしても、琴を共有すれば、一曲を弾き成すことはできない。
君主はどうして臣下と権勢を共有して功を成すことなどできようか。


一説にはこうある。
造父が斉王の御者となり、馬の喉を渇かせて命じ、従ったら水を与えるという方法で調教し終えた。
馬車を御して畑に至った。
喉の渇いた馬が畑の池を見つけて、車を置き去りにして池に走り、造父の御は失敗した。

王於期は趙簡主のために馬車で道を馳せ、千里の目標を競った。
馳せ始めて間もなく、溝の中に豚が潜んでいた。
王於期が手綱をそろえて鞭を執って馬車を進めた。
豚が溝から飛び出し、馬が驚き、馬車を御すのに失敗した。


司城子罕が宋君に申した。
功績を賞し物を賜るのは民が喜ぶことですから、ご主君はご自身で行いなさいませ。
罪を罰し刑を執行するのは民が憎むことですから、どうか私にこの役目をお与えください、と。
宋君は言った。
わかった、と。

そこで君主の威勢で大臣を罰するときにも、君主は言った。
子罕に問え、と。
これによって大臣たちは子罕を恐れ、賤しい民は子罕に従った。

こうして一年が経つと、子罕は宋君を殺して政権を奪った。
つまり子罕は飛び出した豚の役をして、君主から国を奪ったのである。


斉の簡公が君位にあったとき、誅罰は重く厳しく、税を重くし、民を殺した。
しかし田成恒は慈愛を施し、寛大であることを示した。
簡公は斉の民を喉の渇いた馬とし、恩を民に与えず、田成恒は慈愛寛大という池を設けたわけである。


一説にはこうある。
造父が斉王の御者となり、馬に水を与えず喉が渇いた状態にして従わせ、百日かけて服従させた。
服従させてから馬を斉王に見せようと願い出た。
斉王は言った。
馬を宮園で見せよ、と。

造父は馬車を駆って宮園に入った。
馬が宮園の中の池を見つけて駆け出し、造父はこれを御すことができなかった。
造父は喉を渇きによって馬を服従させるのに長くかかった。
しかし今、馬が池を見て勢いよく駆け出すと、造父といえども制御することはできない。

今、簡公は厳しいやり方で長く民を禁じてきたが、田成恒はこれを利用した。
つまり田成恒は宮園の池を傾けて、渇きに飢えた民に見せたのである。


一説にはこうある。
王於期は宋君のために、千里を駆って見せることになった。
すでに馬は車につながれ、馬の口をそろえて手綱を執り、出発しようとした。
馬を駆って前に進めれば、車の轍は測ったようにまっすぐであり、手綱を引いて後ろに戻せば、馬はもとの足跡を踏む。
そこで鞭を打って馬を出発させたところ、豚が垣の穴から飛び出し、馬が驚いて後ろに下がった。
鞭を打っても前進させることができず、次に馬は前に走り出し、手綱を引いても止めることができなかった。


一説にはこうある。
司城子罕が宋君に申した。
人を賞し物を賜るのは、民が喜ぶことです。ご主君はご自身で行いなさいませ。
罪を罰し刑を執行するのは、民が憎むことです。私がこの役目に当たりましょう、と。

こうして賤しい民を殺したり、大臣を罰するときは、宋君は言った。
子罕と相談せよ、と。

それから一年が経つと、民は生殺の命が子罕に握られていることを知り、国中が子罕に従った。
ゆえに子罕は宋君を脅かし、その政権を奪っても、法で禁ずることができなかった。


ゆえに言う。
子罕は飛び出した豚となり、田成恒は畑の池となった、と。
今、王良と造父が同じ車に乗り、それぞれが手綱を執って門に入ろうとするなら、馬は必ず乱れて道を進むことができないだろう。
今、田連と成竅が同じ琴を使ってそれぞれが一絃を抑えたり弾いたりすれば、必ず音は乱れて、一曲を奏でることはできないだろう。



二、
秦の昭王が病を患った。
民は里ごとに牛を買って殺し、家ごとに王のために祈った。

公孫述は外出してその様子を見て、宮に入って王を祝って申した。
民はみな、里ごとに牛を買って殺し、王のために祈っております、と。

王は人をやってこれを確かめさせたところ、果たしてその通りであった。
王は言った。
民を罰して人ごとに二甲を取り立てよ。
そもそも命じてもいないのに勝手に祈るのは、私を愛してくれているからであろう。
民が私を愛すからといって、私もまた法を曲げて、民に心をもって応じれば、法は行われなくなってしまうだろう。
法が行われないのは、国が乱れ亡ぶもとである。
人ごとに二甲を罰とし、再び共に治めていくに越したことはない、と。


一説にはこうある。
秦の襄王が病んだ。
民は王のために祈った。
王の病が癒えると、民は牛を殺して神に感謝して祭った。

郎中の閻遏と公孫衍が外出してこの様子を見て言った。
今は臘祭の時期でもないのに、なぜ牛を殺して祭っているのだろうか、と。

怪しんで民に問うた。
民は言った。
ご主君が病だと聞き、そのために祈りました。
今、病が癒えたので、牛を殺して祭っておるのです、と。

閻遏と公孫衍は悦んで、王に見えて祝賀して言った。
堯、舜にも優ります、と。
王は驚いて言った。
何のことを言っているのか、と。
答えて言った。
堯も舜も、民が二人のために祈るには至りませんでした。
今、王は病んで、民は牛を供えて祈り、病が癒えたので牛を殺して祭っておるのです。
ゆえに私は、王は堯、舜よりも優れておられる、と思ったのです、と。

そこで王は人をやって、このことを調べさせた。
どこの里でこれを行なったのか、と。
その里の長と長老たちを罰するのに、ひとつの村から二甲を取り立てた。
閻遏と公孫衍は恥じて何も言えなかった。

こうして数箇月経ち、王は酒を飲んで楽しんだ。
閻遏と公孫衍は王に申した。
前に私たちは王を堯、舜にも勝ると思いましたのは、ただ諂って申したのではありません。
堯、舜は病んでも、その民は二人のために祈るまでには至りませんでしたが、今、王が病んだら民は牛を供えて祈り、病が癒えたら牛を殺して祭りました。
今、その里の長と長老を罰して、村ごとに二甲を取り立てるとは、私たちはこれを訝しんでおります、と。

王は言った。
そなたたちはどうしてこれが分からないのか。
あの民が私に用をなす理由は、私が民を愛しているから私のために用をなすのではないのだ。
私の権勢のために私の用をなすのだ。
私は権勢を捨てて民と共に治めようとしようか。
もしそのようにすれば、私がたまたま民を愛さないようなことがあれば、民は私の用をなさなくなるだろう。
ゆえに私は民を愛するやり方を絶ったのだ、と。


秦が飢饉にみまわれた。
応侯が請うて言った。
宮廷の園の野草、とち、棗、栗の実などは、民を活かすに充分です。
どうぞこれらを開放して民にお与えください、と。

昭襄王は言った。
我が国、秦の法では、民に功績があれば賞を与え、罪があれば罰を受けさせる。
今、宮廷の園の野菜や木の実を開放して民に与えれば、功績のある民も功績のない民も皆、賞を受けることになる。
功績のある民も功績のない民も皆、賞を受けることは、これは国が乱れるもとである。
宮廷の園を開放して与え、国が乱れるよりは、野菜や木の実を捨ててでも国を乱さないように治める方が良い、と。


一説にはこうある。
今、宮廷の園の瓜、野草、棗、栗などを解放して与えれば、民を活かすには充分だが、民に功績があっても功績がなくても皆、食糧を得ることができる。
こうして民が生きても国が乱れるのであれば、民が死んでも国が治まる方が良い。
大臣、捨ておけ、と。


田鮪が子の田章に教えて言った。
そなたがその身に利を得ようと思うなら、まず君主に利を得させよ。
そなたが家を富ませようと思うなら、まず国を富ませよ、と。


一説にはこうある。
田鮪が子の田章に教えて言った。
君主は官爵を売り、臣は智恵や能力を売る。
ゆえに自分を頼りにして他人を頼りにしてはならない、と。


公孫儀は魯の宰相で、魚を好んでいた。
そこで国中の皆が我先にと争って魚を買って、公孫儀に献じた。
公孫儀は受け取らなかった。

その弟が諫めて言った。
兄上は魚を好んでおられるのに、受け取らないのはどうしてですか、と。

答えて言った。
私はただ魚が好きなのだ。
だからこそ受け取らなかったのだ。
もし魚を受け取れば、必ずその人に気を遣って遠慮してしまう。
人に遠慮してしまえば、法を曲げようとしてしまい、法を曲げようとすれば、宰相の職を免職されるだろう。
そうなれば私が魚を好むといえども、人々は必ずしも私に魚を持ってきてくれる、というわけにはいかず、私もまた自分で魚を買ってくることもできなくなるだろう。
もし魚を受け取らずに、宰相を免職されなければ、魚を好んでも、私は長く自分で魚を買って来られるだろう、と。

これが、かの人を頼りにするのは、自分を頼りにするのには及ばないことを明らかにするものである。
人が己のためにすることは、己が自分のためにすることには及ばないことを明らかにするものである。



三、
子之は燕の宰相となった。
その地位は高く、物事を取り仕切っていた。

蘇代が斉の使者として燕に来た。
王が蘇代に問うた。
斉王はどのような君主かね、と。
答えて言った。
必ず覇者にはなれぬでしょう、と。
燕王は言った。
何故かね、と。
答えて言った。
昔、桓公が覇者となったとき、国内のことは鮑叔に任せ、国外のことは管仲に任せ、桓公は冠も着けずに女たちのために馬を御し、毎日のように市場で遊びました。
今、斉王は自国の大臣を信任しておりません、と。

そこで燕王はますます大いに子之を信任した。
子之はこれを聞いて、人をやって蘇代に金百鎰を贈らせ、好きなように使わせた。


一説にはこうある。
蘇代が斉の使者として燕に行った。
燕では、子之に利益を与えなければ、決して事をなすことができずに帰ることになり、何の賞も賜ることがないと見た。
そこで燕王に見えて、斉王を誉めた。

燕王は言った。
斉王はどうしてそのように賢人なのかね。
そして天下の王になろうとしているのかね、と。

蘇代は言った。
国が亡びるのを救う暇もないでしょう。
どうして王となれましょうか、と。
燕王は言った。
どうしてかね、と。

言った。
斉王はその親愛する者を己と同等に任用しないのです、と。
燕王は言った。
その任用するとはどういうことかね、と。

言った。
昔、斉の桓公は管仲を親愛し、引き立てて仲父とし、国内を治め、外交を裁き、国を挙げてみな管仲に任せました。
ゆえに天下をひとつにまとめ、諸侯を集めて号令しました。
今、斉王は親愛する者を己と同等に任用しません。
ですから斉は亡びるだろうと思ったのです、と。

燕王は言った。
今私は子之を任用しておる。
しかし天下はこのことを知らないようだ、と。
そこで翌日、朝廷に礼を設けて子之に任せることにした。


潘寿が燕王に言った。
王は国を子之にお譲りになるのが最も良いでしょう。
人々が堯を賢人だという理由は、その天下を許由に譲ったからです。
許由は決して受けませんでした。
つまりこれは、堯は許由に国を譲ったという名声を得て、ぢかも実は天下を失わなかったのです。
今、王は国を子之に譲っても、子之は必ず受けないでしょう。
すなわちこれは、王は国を子之に譲ったという名声を得て、堯と同じ行いをなさるということです、と。

こうして燕王は国を挙げて政治を子之に委ねた。
子之の地位は大いに重くなった。


一説にはこうある。
潘寿は隠者であった。
燕王は人をやってこれを招聘させた。
潘寿は燕王に見えて言った。
私は子之が益のようにならないかと恐れております、と。
王は言った。
益とは何のことか、と。

答えて言った。
昔、禹が死ぬとき、天下を益に伝えようとしました。
すると禹の子の啓の徒党が共に益を攻めて、啓を立てました。
今、王は子之を信愛し、国を子之に伝えようとなさっております。
太子の徒党はことごとく官職についておりますが、子之の仲間はひとりも朝廷にはおりません。
もし王が不幸にして群臣を捨ててお亡くなりになれば、子之もまた益のようになるでしょう、と。

そこで王は官吏の官印で俸禄三百石以上のものをまとめて、これを皆、子之に渡した。
子之の地位は大いに重くなった。


君主の威光を鏡として照らすものは、諸侯である。
しかし今、諸侯は皆、権臣の私党である。

君主の威勢を示すための羽翼となるものは、巌穴にいる隠者である。
しかし今、巌穴の隠者は皆、権臣の私客である。

これはなぜか。
賞罰与奪の権力が子之のような権臣に握られているからである。

ゆえに呉章は言った。
君主は偽って人を憎愛してはならない。
偽って人を愛せば、その人を憎むことはできず、偽って人を憎めば、その人を愛することができない、と。


一説にはこうある。
燕王が国を子之に伝えようと思ったとき、このことを潘寿に問うた。
答えて言った。
禹は益を愛して天下を益に任せました。
しかしその時にはすでに子の啓の党徒を官吏に登用していました。
禹は老いてから啓では天下を任せるには足らないと判断して、天下を益に伝えたが、権勢はことごとく啓が握っており、啓は味方と共に益を攻めて、天下を奪いました。
これは禹が、天下を益に伝えたという名声を得て、実は啓にみずから天下を取らせたのです。
これによって、禹が堯や舜に及ばないことは明らかです。
今、王は国を子之に伝えようとして、しかも官吏は太子の郎党でない者はおりません。
これでは、子之に国を伝えたという名声を得て、実は太子にみずから国を取らせることになります、と。

燕王は官職の印で三百石以上のものを集めて、これを皆、子之に渡した。
子之の地位は重くなった。


方吾子が言った。
私はこう聞いている。
古来の礼に、外出するときには同じ服を着た者とは同じ車に乗らず、住居は同族の者とは住まない、と。
しかるに君主たる者が、その権力を貸し与えて、その威勢を自分から離すことなどは、言うまでもない、と。


呉章が韓の宣王に申した。
君主は偽って人を愛してはいけません。
別の日にまた憎むことができなくなります。
また、偽って人を憎んではいけません。
別の日にまた愛することができません。
ですから、偽って憎んだり偽って愛するというような徴候を見せてしまうと、君主に諛う者がそれを道具にして賞賛毀損をするでしょう。
そうなれば明主といえども、元に戻すことはできません。
ましてや真実の愛憎を人に見せたならなおさらのことです、と。


趙王が宮園で遊んでいた。
左右の近侍が兎を虎に与えようとしたが、やめた。
王が虎を見ると、虎はぎょろりと目玉を動かしている。
王は言った。
嫌だな、あの虎の目つきは、と。

左右の近侍が言った。
平陽君の目つきは、嫌なことこれに勝りますぞ。
虎の目を見ても害はありませんが、平陽君の目つきを見たら、必ず死なねばなりません、と。

その翌日、平陽君がこれを聞き、人をやってそう言った者を殺させた。
それでも趙王は罰しなかった。


衛君が周に入朝した。
周の取次官が衛君の名を問うた。
答えて言った。
衛侯辟疆である、と。
周の取次官は拒否して言った。
諸侯が天子と同じ名を名乗ることはできません、と。

衛君はみずから改めて言った。
衛侯燬、と。
こうしてから衛侯を入れた。

仲尼がこれを聞いて言った。
深謀遠慮なことだ、侵害を防いだのだ。
名だけすら人に許さない。
ましてや実権はなおさらであろうな、と。



四、
木を動かして、一枚一枚その葉を集めていたのでは、労力ばかりで全てに及ぶことはできない。
左右からその木の根元を打てば、葉は全て揺れ動いて落ちるだろう。
淵に臨んで木を動かせば、鳥は驚いて高く飛び、魚は恐れて水中へ潜るだろう。
巧く網を張る者は、その綱を操る。
もしひとつひとつの網目を広げて網を張るのであれば、労力ばかりで張りきれない。
巧く網を張る者は、その綱を引いただけで、魚はすでに袋に入っている。
ゆえに官吏は民の大本の綱となる者である。
ゆえに明主は官吏を治めて民を治めない。


火事を救うのに、官吏に壺や甕に水を汲んで火消しに走らせたのでは、人ひとり分の役にしか立たない。
官吏が鞭をとり、民を指揮して使えば、万人を使いこなせるだろう。
こうしたわけで、明主は民をみずから治めず、小事にみずから手を出さないのである。


造父が雑草を刈っていると、父子が馬車に乗って通りかかった。
馬が何かに驚いて進まなくなった。
その子は馬車を降りて馬を引き、父は降りて車を押し、造父に我らを助けて車を押してくれるよう頼んだ。

そこで造父は農具を片付け、作業をやめて馬車に乗り込み、その父子に手を貸して馬車に乗らせた。
そこでまず轡を調べて鞭を持ち、まだ鞭を振るっていないのに、馬は皆、走り出した。

もし造父でも御することができないなら、造父が力を尽くし、身を労し、父子を助けて車を押したとしても、馬はなお進まないだろう。今、造父が身を楽にして馬車に乗り込み、徳を施すことができるというのは、術を心得ていて馬を御したからである。

国は君主にとっての車である。
権勢は君主の馬である。
術を心得て権勢を御さねば、その身を労したとしても乱を免れない。
術を心得て権勢を御するならば、その身を安楽の地に置いたとしても、帝王の功をなすことができるだろう。


椎鍛は物の凹凸を平らにするものである。
榜檠は曲がった棒を真っ直ぐにするものである。
聖人が法を作るのは、人々の乱れたところを平らかにし、曲がったところを真っ直ぐにするものである。

淖歯が斉で用いられると、閔王の首筋を抜き出し、李兌が趙で用いられると、主父を餓死させた。
この二人の君主は皆、その椎鍛や榜檠を用いることができなかった。
ゆえにその身は殺され、天下の物笑いとなった。


一説にはこうある。
斉に入れば淖歯ひとりの名前ばかりが聞こえ、斉王の名前は聞こえてこない。
趙に入れば李兌ひとりの名前ばかりが聞こえ、趙王の名前は聞こえてこない。
ゆえに言う。
君主たる者、術を用いなければ、威勢は軽くなり、臣下がその名をほしいままにする、と。


一説にはこうある。
田嬰が斉の宰相だったとき、ある人が王に説いた。
年の終わりの会計は、王みずから数日をかけて聴き取りをしなければ、官吏の姦悪得失を知ることはできないでしょう、と。
王は言った。
よろしい、と。

田嬰はこれを聞いて、すぐさま王に願い出て会計を聞いてもらおうとした。
王はこれを聴こうとした。
そのとき、田嬰は官吏に署名した文書に数量を記載して読み上げさせた。
王はみずからその計算を聴いた。
しかし計算を聴き続けることに耐えきれず、聴くのをやめてしまった。

食後に再び席に戻り、計算を聴くのを続けたが、夕食も取れない。
田嬰は再び申した。
群臣が年中日夜、怠らずに務めた結果です。
王は一晩中お聴きくだされば、群臣の励みとなりましょう、と。
王は言った。
わかった、と。

しかし、たちまち王は眠ってしまった。
すると官吏は皆、小刀を取り出し、その文書の計算を削り書き換えた。
王はみずから計算を聴いたことで、この文書を認めたことになってしまった。
斉の乱はこうして始まった。


一説にはこうある。
武霊王は恵文王に政治をさせた。
そして李兌が宰相となった。
武霊王はみずから生殺の権限を握らなかった。
ゆえに李兌に脅かされることになった。



五、
慈鄭子が手車を引いて高い橋に登ろうとした。
ところが車を支えきることができず登れない。
慈鄭は長柄に腰かけて歌った。
すると前を行く人は立ち止まり、後ろから来る人は駆け寄り、皆が車を押して橋を登った。

もし慈鄭に術によって人を引き寄せることができなかったら、力を出し尽くして死んでしまったとしても、手車は橋を登らなかっただろう。
今、その身は苦労せずに、手車を登らせたのは、人を引き寄せる術があったためである。


趙簡主が徴税の官吏を送り出した。
官吏が税の軽重を問うた。
簡主は言った。
軽すぎても重すぎてもいけない。
重くすればお上に利が入り、軽くすれば民に利が入る、と。
そこで官吏は私欲なく公正に徴税した。

薄疑が簡主に言った。
ご主君のお国は中が満ち足りております、と。
簡主は喜んで言った。
どのようにかね、と。
答えて言った。
国の倉庫は空で、民は皆が貧しく餓えておりますが、姦悪の官吏だけは富んでおります、と。


斉の桓公が微賤の服装で民家を巡った。
年老いてひとりで暮らしている者がいた。
桓公はその理由を問うた。
答えて言った。
私には三人の子がおります。
しかし家が貧しくて、妻をとらせることもできません。
そこで子らは傭われて出てゆき、まだ帰ってこないのです、と。

桓公は帰って管仲に告げた。
管仲は言った。
国庫に蓄えが積もり、腐って捨てるほどの財があるなら民は飢餓し、宮中に嘆く女がいるなら民に妻がいないものです、と。
桓公は言った。
よろしい、と。

そこで宮中の婦人の状態を調べて民に嫁がせ、民に命令を下して言った。
男は二十歳になれば妻を迎え、婦人は十五歳になれば嫁がせよ、と。


一説にはこうある。
斉の桓公が微賤の服装で民間を巡った。
鹿門稷という者がいて、七十歳になるが、妻はいない。

桓公は管仲に問うた。
民で老いても妻がいない者がいるのか、と。
管仲は言った。
鹿門稷という者がおります。
七十歳になりますが、妻はおりません、と。

桓公は言った。
どうすれば妻をもたせることができるだろうか、と。
管仲は言った。
私はこう聞いております。
お上に積もるほどの財があるときは、民は必ず困窮し、宮中に嘆く女がいるときは、老いても妻がいない者がいる、と。
桓公は言った。
よろしい、と。

宮中に命令を下して、女子のうちで未だ桓公に目どおりしていない者は宮中から出して嫁がせた。

そしてまた命令を下した。
男子は二十歳になれば妻を迎え、女子は十五歳になれば嫁ぐように、と。
すると宮中では嘆く女はいなくなり、外では妻を持てぬ男はいなくなった。


延陵の卓子が蒼くて桃の模様がある大きな馬が引く馬車に乗った。
馬の胸の前に鉤飾があり、後ろに錯錣がある。
馬が進もうとすれば鉤飾がそれを妨げ、退こうとすれば錯錣が馬に刺さる。
そこで馬は横に跳ねた。

造父が通りかかり、馬を見て涙を流して言った。
古の聖王が人を治めるやり方もまた、そのようである。
そもそも賞は善行を奨励するものであるのに、謗りを受けることがあり、罰は悪行を禁じるものであるのに、名誉を受けることがある。
ゆえに民は中立の立場をとり、どうすれば良いのかわからなってしまう。
これもまた、聖人が見たら泣くことになるだろう、と。


一説にはこうある。
延陵の卓子が蒼くて斑模様のある大きな馬が引く馬車に乗った。
馬の胸の前には錯飾があり、後ろには鋭利な錣筴がついている。
馬が進もうとすれば錯飾を引き、退こうとすれば鞭打つ。
馬は進むこともできず、退くこともできず、避けて横に跳んだ。
そこで卓子は馬車を降り、刀を抜いて馬の脚を斬った。

造父はこれを見て泣き、一日中何も食べず、天を仰いで嘆いて言った。
馬を鞭で打つのは、馬を進ませるためであるのに、錯飾が前にあって進めない。
馬を引くのは、馬を退かせるためであるのに、鋭利な錣筴が後ろにある。

今、君主がその人の清廉潔白なのを誉めて取り立てておきながら、左右の近臣の意にそわないために退けられ、その人が公正なのを誉めて取り立てておきながら、君主に従順でないために捨てられてしまう。
民は恐れ、中立の立場をとり、どうすれば良いのかわからなってしまう。
これも聖人が見たら泣くことになるだろう、と。



テーマ : 中国古典・名言
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

韓非子 集中講義 石川 武志

Author:韓非子 集中講義 石川 武志
東洋大学中国哲学文学科に学ぶ。
中国学を志して、およそ20年。
専門は韓非子を中心に、古代中国における諸子百家の思想、哲学。
春秋戦国時代の法家、韓非子の翻訳、研究と解説。
韓非子集中講義主宰。

通背拳の伝承、指導。
日本白猿通背拳研究会を設立。

儒学者、近藤篤山の研究。
第二十四号 論語指導士
(論語教育普及機構認定)
http://p-kies.net/rongo/#r1/

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