韓非子 説林 下

1)
伯楽が二人に跳ね馬の見分け方を教えた。
二人は簡子の厩へ行き、馬を観察した。一人がある馬を跳ね馬だと指摘した。もう一人が後ろからついて行き、馬の尻を三度撫でてみたが、馬は跳ねない。そこで指摘した一人が自分から見分け方を間違えたと認めた。
もう一人が言う。「君は見分け方を間違えたのではない。その馬は前脚の付け根が小さく、膝が腫れている。跳ね馬とは後脚を蹴り上げて前脚支えるべきものなのに、膝が腫れているので支えられないのだ。だから後脚が上がらなかった。君は跳ね馬を見分けるのはうまいが、膝が腫れているのを見逃したのだ」と。
物事には必ず要点というものがある。しかし馬の膝の腫れのような要点に気づけるのは智者のみである。
恵子も言っている。猿を檻の中に入れてしまったのでは、豚も同然である、と。
だから周囲の情勢が不利であれば、能力を充分に発揮できないのである。

2)
衛の将軍の文子が曾子に会いに行った。曾子は立ち上がらずに席に案内させ、自身は奥の部屋で身を正していた。文子は御者に言った。「曾子は愚人だな。私を君子と認めるなら、敬うだろうし、乱暴者と認めるなら、侮ることなどできないだろう。曾子が恥辱を受けずに済めば幸いだ」

3)
翢翢という鳥がいる。頭が大きく尾が曲がっている。河の水を飲もうとすると前のめって倒れる。そこで別の鳥がその羽を咥えて支え、飲ませる。
人も同じで、自分の力で飲めないようなことがあれば、羽を咥えて支えてくれる味方を求めなければならない。

4)
鰻は蛇に似ているし、蚕は芋虫に似ている。
人は蛇を見れば驚くし、芋虫を見れば身の毛がよだつ。しかし漁師は鰻を素手で握り、婦人は蚕を素手でつまむ。
利益があるとなれば、皆、孟賁や専諸のような勇者となるのだ。

5)
伯楽は気に入らない者には千里を駆ける駿馬の見分け方を、お気に入りの者には並の馬の見分け方を教えた。
千里の馬はたまに一頭見つかる程度なので利益はそれほど得られないが、並の馬は毎日取引されるので利益を頻繁に得られる。周書に言う低俗な内容だが応用は広い、ということだ。

6)
桓赫が言う。「人形を削って作る時は、鼻は大きめに作るのがよく、目は小さめに作るのがよい。鼻が大きい分には削って小さくすることができるが、小さいのを大きくすることはできない。目が小さい分には削って大きくすることができるが、大きいのを小さくすることはできない」と。
物事を行う際にもまた同じである。やり直しのきかないことにしっかり備えていれば失敗することも少ない。

7)
崇侯と悪来は、自分が紂王に罰せられないことを知っていたが、武王によって攻め滅ぼされようとは気づかなかった。比干と子胥は自分の君主が滅びることを知っていたが、自分自身が死ぬことには気づかなかった。
崇侯と悪来は人の心を知って、事の形勢を知らなかった。比干と子胥は事の形勢を知って、人の心は知らなかった。
しかし聖人であれば、両方とも知る能力を兼ね備えているのだ。

8)
宋の宰相は高貴で政治を専断していた。季子が宋の君主にまみえることになった。
梁子がこれを聞いて言った。「論説するときは必ず宰相も同席させるべきです。そうでないと禍を免れられないでしょう」と。季子は宋の君主に対して命を大切にし、国政を軽視するよう説いた。

9)
楊朱の弟の楊布は白い衣を着て出かけた。
すると雨が降り、濡れてしまったので白い衣を脱ぎ、黒い衣を着て帰った。
飼い犬が気づかずに吠えた。楊布は怒って犬を殴ろうとした。
すると楊朱が言った。「お前、殴ってはいけない。お前だって同じだろう。もしお前の飼い犬が白い色で出かけ、黒い色になって帰ってきたなら、お前だって怪しむだろうよ」と。

10)
恵子が言った。弓の名手、羿が弓懸をはめ、弓籠手をつけ、弓をとって、弓筈を引く時は、越の人でさえ争って的を持つだろうが、幼い子供が弓を引けば、優しい母でさえ家に逃げ込み戸を閉めるだろう。
だから言うのだ。必ず的に当たると分かれば越の人でさえ羿を疑わないが、どこに当たるか分からなければ、優しい母でさえ幼い子供から逃げるものだ、と。

11)
桓公が管仲に「富に限界はあるだろうか」と尋ねた。
管仲は答えて言う。「水の場合で申せば、水の限界は、その水面より上の水が無くなる所です。富の限界は、富に充分満足した時です。しかし人は自分で満足だと止まることができず、身を滅ぼします。ここが富の限界でしょう」

12)
宋の豪商で監止子という者がいた。
人と競争して百金の璞玉を買おうとしたが、わざとしくじったふりをして璞玉を落として傷をつけ、百金をもって償った。そしてその傷を修復して千溢で売った。
物事には、行動して失敗することがあるが、行動せずにいるより勝ることがある。失敗の償いをした時である。

13)
馬を御するのが得意な者が楚王に目通りを願ったが、他の御者が彼を妬んだ。
そこで彼は「私は鹿を捕えるのが得意です」と言って王に謁見した。王は馬を御してみたが鹿には追いつかない。しかし彼が御すると鹿に追いついた。
王が彼の御する能力を認めてから、他の御者が自分を妬んでいることを王に告げた。

14)
楚の公子が号令して陳を伐つことになった。長老が見送って言うには「晋は強い。慎重になさいませ」と。
公子が答える。「長老、心配はいりません。私があなたのために晋を破って参りましょう」
長老は言う。「よろしい。ならば私は陳の南門の外に喪小舎を作りましょう」
公子が「何故ですか」と問うた。
長老は答える。「私は越王句践を笑いましょう。人の為に敵を伐ち破るのが容易いなら、ひとり何故密かに十年も苦労したのでしょうか」と。

15)
堯は天下を許由に譲ろうとしたが、許由は断って逃げ、民家に泊まった。
家の者が許由を怪しんで皮の冠を隠した。天下でさえ捨てた人物に対して、皮の冠を隠すとは、許由という人物を全く知らないからである。

16)
三匹の虱が言い争いをしていた。そこへもう一匹が通りかかって「何の話で言い争っているのか」と尋ねた。
三匹は言う。「豚の一番うまいところを争っているのだ」と。
そこで一匹が「君たちは臘祭が来て茅が焚かれることを心配しないのか、それならば他に何の心配をするというのだね」と言った。そこで四匹は一緒に集まり、豚の身をかじって血を吸ったので、豚は痩せてしまい、臘祭になっても人は豚を殺さなかった。

17)
虫に蚘(かい)というのがいる。体は一つで、口は二つある。争って噛み合い、しまいには殺しあって、自殺してしまう。臣下が互いに争って自国を滅ぼしてしまうのは、みな蚘の類である。

18)
住宅は漆喰で塗り、容器は洗浄してきれいになる。人の行いもまた然り。普段から塗るべきところも洗うべきところも無いようにすれば、その身に過ちも少ないであろう。

19)
斉の公子である糾が反乱を起こそうとした。兄弟の桓公は使者に偵察させた。
使者は報告した。「糾は笑っていても本心では楽しんでおらず、物を見ていても目に入ってはいません。必ず反乱を起こすでしょう」桓公は魯の人を使って殺させた。

20)
公孫弘は髪を切って越の風俗に合わせて越王の騎将となった。
公孫喜が使いを出して絶縁を伝えて言った。「私とお前とは兄弟ではない」と。
公孫弘は言った。「私は髪を切っただけだが、お前は負け戦で自分の首を切られてしまっても人の為に戦うのだ。お前に何と言ってやればいいだろう」と。
のちに周南の戦いで公孫喜は討ち死にした。

21)
乱暴者と隣同士になった者がいた。家を売って難を避けようとした。するとある人が言う。「あの男の悪事ももうじきし納めになるだろうよ。もう少し待ってみてはどうかね」と。
答えて言うには「私は私への悪事をもってそのし納めとなることを恐れているのだ」と。そして去った。
だから言うのだ。物事には時機というものがあり、ぐずぐずしてはいけないのだ、と。

22)
孔子が弟子に言った。「誰か子西がどうやって賢人としての名声を得たのか分かるかね」と。そこで子貢が「私がお答えします。子西は人を疑わず、寛大です。利に惑わされず、潔白です。人の性には変わらないところがあり、曲がったものは曲がっていると、真っ直ぐなものは真っ直ぐだとします」と。
孔子は言った。「子西は禍を免れぬであろう」と。白公の乱により殺された。
だから言うのだ。行いが実直な人物は情にもとる、と。

23)
晋の中行文子が亡命し、ある町にさしかかった。従者が言うには「ここの嗇夫はあなたの旧知の者です。ぜひそこでお休みになり、後続の車をお待ちなさいませ」と。
文子は言った。「私は以前、音楽を好んだが、その時に彼は私に琴をくれた。私は腰につける玉を好んだが、彼は私に玉環をくれた。彼は私の過ちを諌めてくれる者ではなく、贈り物によって私に取り入ろうとする者だ。私は、私を捕らえることで他の人に取り入るのではないかと恐るのだ」と。
そのままここを去った。その後この嗇夫は文子の後続の車二台を捕らえて、自身の主に献じた。

24)
周趮が宮他に言った。「私のために斉王に説いて、斉の力で私を魏に便宜を図ってくだされば、魏を斉王に仕えさせましょう、と伝えてください」と。
宮他は言った。「それはできない。それをすれば魏に勢力がないことを知らすことになり、斉王はきっと魏に勢力のない者の便宜をはかり、魏の有力者の怨みをかうようなことはしないだろう。あなたは王の望みをもって、私は魏を動かして斉王の望みを叶えましょう、と言った方がよく、斉王は必ずやあなたが魏に勢力があると思い、あなたに頼るだろう。そうすれば斉に自然と勢力ができ、結果として斉にも魏にも勢力を持つようになろう」と。

25)
白圭が宋の大尹に言った。「宋の君が成長し、自ら政治を行うようになると、あなたは実権を失うでしょう。今、君主は若く、名声を得たがっています。そこで楚に主君の孝行ぶりを褒めてもらうようにするのが良いでしょう。そうすれば、ご主君はむやみにあなたの地位を奪うことができず、ますますあなたを敬い重んじるでしょう。そうなるとあなたはこれからもずっと宋の実権を握っていられるでしょう」と。

26)
管仲と鮑叔が相談して言った。「ご主君の乱暴ぶりはひどいものだ。必ずや国を失ってしまうだろう。斉国の公子のうち、補佐すべきは糾様か小白様だろう。我らはそれぞれ別々にひとりに仕えよう。そして先に成功した者がもう一方を助けよう」と。
こうして管仲は公子糾に従い、鮑叔は小白の従った。その後斉国の人が君主を殺した。先に小白が入国して君主になった。魯の人が管仲を捕らえて斉へ引き渡したところ、鮑叔が取りなして管仲を宰相にした。
諺に「巫咸の祈祷はよく効いたが、自分への禍を祓うことはできなかった。秦の医師は病をよく取り除いたが、自分の病を取り除くことはできなかった」とあるように、管仲ほどの賢者でも鮑叔の助けが必要であったのだ。
これが世の諺に言う「蛮族が自分で皮衣を売ろうとしても売れず、士人が自分で自分の弁舌を褒めても信用されない」ということである。

27)
楚王が呉を討伐しに来た。そこで呉は沮衛蹙融を使者にして楚の軍を慰労させた。
すると楚の将軍が言った。「此奴を捕らえよ。殺してその血を軍太鼓に塗ろう」と。
さらに使者に問うた。「そなたがここへ来る時に占ったか」と。
沮衛蹙融は答えて言った。「占いました。占いの結果は吉と出ました」と。
楚の人が言った。「楚軍がそなたを殺してその血を太鼓に塗ろうとしているのに、どうしてそれが吉だと言うのか」と。
「これがそもそも吉である所以なのです。呉が私をここへ来させたのは楚の将軍の怒りを探るためです。将軍の怒りが大きければ、呉は堀を深くし土塁を高く築くでしょうし、将軍の怒りがないのであれば、守りを緩めようとしています。今、将軍が私を殺したなら、呉は必ずや警戒を強めましょう。国の占いは、ひとりの臣下のために占うのとは違います。ひとりの臣下の命で一国が助かるのならば、それを吉と言わずして何と言いましょうか。また、死者に霊魂が無くなるのならば、太鼓に私の血を塗ったとて効果はなく、使者に霊魂があるのだとしたら、呉に攻め込んだ時に私は太鼓が鳴らないようにしてやりましょう」と。
楚軍はこれを聞いて殺すのをやめた。

28)
知伯が仇由を伐とうとしたが、道が険しくて攻め込めない。そこで大きな鐘を鋳て仇由の君主へ贈った。仇由の君主は大いに喜んで、道を広げて迎え入れようとした。
赤章曼枝が言った。「いけません。鐘を贈るのは小国が大国に対して仕えるときのやり方ですが、今、大国がそれを用いております。必ずや敵の兵卒が後ろについて参りましょう。入れてはなりません」と。
仇由の君主はこの諫言を聞かず、とうとう之を迎え入れてしまった。赤章曼枝は車の車軸を短く切り、馬車を駆って斉へと逃げた。その後、七日のうちに仇由は滅んだ。

29)
越が呉を打ち破り、そのままさらに軍を楚から借り受けて晋をも攻めようとした。左史倚相が楚王に言った。「越は呉を破り、勇士は死に、兵糧は尽き、主力兵士は傷ついているのに、今、また軍を借りて晋を攻めようというのは、我が国にまだ疲弊していないぞと見せかけるためです。そこで軍勢を起こし、越を攻め、呉の地を割譲させましょう」楚王は「よろしい」と言い、軍を起こして越を追いかけた。
越王は怒り、返り討ちにしようとした。
すると大夫種が諌めて言った。「いけません。我が軍の勇士は尽き主力兵士は傷ついており、このまま戦っても必ず敗れます。賄いを贈るに越したことはありません」そこで露山の北五百里を割譲して賄いとした。

30)
楚が陳を伐ち、呉が陳を救おうとした。楚と呉、両軍の間は三十里であった。雨が降ること十日目にして晴れて星が出た。楚の左史倚相が将軍の子期に言った。「雨が十日降る間に敵軍は集結し、必ずややってくるでしょう。備えなさいませ」と。
そこで陣形を構えたが陣ができあがる前に呉軍が到着したが、楚の陣容を見て引き返した。左史倚相が言う。「呉軍は往復六十里行軍したから、戻れば将軍は休息し、兵士は食事をとるでしょう。こちらは三十里を行くだけ。追撃すれば必ず勝てましょう」楚軍は追撃し、呉軍を撃ち破った。

31)
韓と趙が争った。韓は魏に援軍を求めて言った。「軍をお借りして趙を伐ちたい」と。魏の文侯は言った。「私は趙と兄弟も同然だから、求めには応じられない」と。
趙もまた援軍を借りて韓を攻めようとした。文侯は言った。「私は韓と兄弟も同然だから、求めには応じられない」と。両国は援軍を得られず怒って引き返した。
その後、文侯が韓と趙を和平させようとしていたのを知り、両国は魏に朝貢した。

32)
斉が魯を伐って讒鼎という宝を求めた。魯は使者に贋物を持たせて遣わした。斉の人は贋物だと言ったが、魯の人は本物だと言いはる。斉の人が「それなら楽正子春を来させよ。私は彼に聴こう」と。
魯の君が楽正子春に頼んだ。楽正子春は尋ねた。「どうして本物を持っていかないのですか」と。
魯の君は言う。「本物は惜しいのだ」
楽正子春も答える。「私だって私自身の信用を失うのは惜しい」

33)
韓咎が立って君主となった。まだ君主に決まる前、弟が周にいて、周は彼を韓に送り重要な地位につけたいと思ったが、韓の人々が彼を立てない場合のことを心配した。
綦毋恢が言った。「車百台をつけて送るのがよろしい。韓の人が彼を立てるなら途中警戒をしたと言い、彼を立てなかったら害をなす者を連れてきたのだと言うのです」と。

34)
斉の靖郭君が薛の地に城を築こうとしたが、食客の多くはそれを諌めた。靖郭君は取次役へ「食客を取り次がなくてよい」と命じた。斉の人で謁見したいと願う者がいて言うには「私は三言だけで終わります。三言を超えたら煮殺されたって構わない」と。
靖郭君はそこまで言うならと会ってみた。客は小走りに進んで「海大魚」とのみ言って、身を返して走り去った。靖郭君は「その話を聞かせて欲しい」と請うた。客は言う。「私は自分の死をかけてまで冗談は言いません」と。靖郭君は「それでも私の為に話をして欲しい」と言った。
客は答えた。「海にいる大魚をご存知でしょうか。網でも止められず、銛でも捕らえることはできませんが、跳ねて水の外へ出てしまうと、螻や蟻でも倒せてしまいます。今、斉はあなたにとって海です。あなたが斉を長く支配していくなら、薛を重視することはありません。もし斉を失ってしまったら、薛に城を天高く築いても無意味となりましょう」と。
靖郭君は「よし」と言い、薛に城を築くのをやめた。

35)
楚王の弟が秦にいたが、秦は出国を認めない。楚王の近習が言った。「私に百金をお渡しくだされば、弟君を出国させてみせます」そこで百金を車に載せて晋へ行き、叔向に会って言うには「楚王の弟君が秦にいて、秦はその出国を認めません。この百金をもってお力添えください」と。
叔向は金を受け取り、使者を晋の平公に会わせた。使者は「壺丘に城を築くべきです」と言った。
平公は「なぜか」と問うた。
答えて言うには「楚王の弟君を秦におり、秦は出国を認めません。これは秦が楚を敵視しているからです。よって晋の国で壺丘に城を築くことを禁じはしますまい。もし秦が咎めてきたら、晋の為に楚王の弟を返して欲しい。そうすれば城を築く必要はない」と。もし秦が楚王の弟を返すなら、晋の力添えを楚は恩に感じるでしょう。もし秦が返さなければ、これは楚を敵視しているので、晋が壺丘に城を築くことを禁じはしません」と。
平公は「よし」と言い、壺丘に城を築くことにして秦公に言った。「晋の為に楚王の弟を楚に返して欲しい。そうすれば城を築く必要がありません」と。
秦は楚王の弟を返した。楚王は大いに悦び、精錬した金を百鎰を晋へ贈った。

36)
呉王闔盧が郢を攻め、戦って三度勝った。伍子胥に問うた。「これで引き揚げるべきか」と。伍子胥は答えて言う。「人を溺れさせようとしているのに、水をひと飲み飲ませたところで止めてしまえば、成し遂げられません。手を休めず、これに乗じて沈めてしまうべきです」と。

37)
鄭の人に息子がいて、官職に就こうとしていた。その父に言った。「家の垣根の壊れているところを補修すべきです。悪人が盗みに入ってしまいます」と。
同じ町に住む人もまた、家人に同じ忠告をした。しかし時が経っても修復しなかったので、悪人が盗みに入ってしまった。すると家人は、役人になった息子を知恵者だと褒め称え、同じ忠告をした町人を盗人ではないかと疑った。


テーマ : 中国古典・名言
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

韓非子 集中講義 石川 武志

Author:韓非子 集中講義 石川 武志
東洋大学中国哲学文学科に学ぶ。
中国学を志して、およそ20年。
専門は韓非子を中心に、古代中国における諸子百家の思想、哲学。
春秋戦国時代の法家、韓非子の翻訳、研究と解説。
韓非子集中講義主宰。

通背拳の伝承、指導。
日本白猿通背拳研究会を設立。

儒学者、近藤篤山の研究。
第二十四号 論語指導士
(論語教育普及機構認定)
http://p-kies.net/rongo/#r1/

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