韓非子 説林上 書き下し文

湯以(すで)に桀を伐つ。
而して天下の己を言ひて貪と為(な)さむを恐る。
因(よ)りて乃ち天下を務光に譲らむとす。
而して務光の之を受けむを恐る。
乃ち人をして務光に説(と)かしめて曰く、湯、君を殺す。而して悪声を子に伝えむと欲す。故に天下を子に譲らむとす、と。
務光因(よ)りて自ら河に投ず。


秦武王、甘茂をして為さむと欲する所を僕と行事とに択ばしむ。
孟卯(もうぼう)曰く、公、僕と為るに如かず。公の長ずる所は使なり。公、僕為りと雖も、王、猶ほ之をして公にせしめむ。公、僕の璽を佩(お)びて行事を為す。是れ官を兼するなり、と。


子圉(しぎょ)孔子を商の太宰に見(まみ)えしむ。
孔子出づ。
子圉入り客を請ひ問ふ。
太宰曰く、吾已に孔子を見て則ち子を視れば、猶ほ蚤虱(蝨)(そうしつ)の細なる者のごときなり。吾今之を君に見しめむ、と。
子圉、孔子の君に貴ばれむことを恐る。
因(よ)りて太宰に請ひて曰く、君已に孔子を見れば、孔子、亦た将(まさ)に之を視るに猶ほ蚤虱のごとくならむとす、と。
太宰因(よ)りて復(ま)た見しめざりき。


魏恵王、臼里の盟を為す。
将(まさ)に天子を復立せむとす。
彭喜、鄭君に謂ひて曰く、君聴く勿れ。大国は天子有るを悪(にく)み、小国は之を利とす。若(も)し君、大と聴かずんば、魏焉んぞ能(よ)く小と之を立てむや、と。


晋人、邢を伐つ。
斉桓公将(まさ)に之を救はむとす。
鮑叔曰く、太(はなは)だ蚤(はや)し。邢亡びずんば晋敝せず。晋敝せずんば斉重からず。且つ夫れ危きを持するの功は、亡を存するの徳の大なるに如かず。君晩(おそ)く之を救ひ、以て晋を敝し、斉、実に利し、邢亡ぶるを待ちて復た之を存す。其の名実の美なるに如かず、と。
桓公乃ち救はず。


子胥、出で走る。
邊候、之を得たり。
子胥曰く、上の我を索(もと)むるは、我が美珠有るを以てなり。今、我已に之を亡(うしな)へり。我且(まさ)に子取りて之を呑(の)めりと曰はむとす、と。
候、因(よ)りて之を釈(ゆる)せり。


慶封、乱を斉に為す。
而して越に走らむと欲す。
其の族人曰く、晋近し。奚ぞ晋に之(ゆ)かざる、と。
慶封曰く、越遠し。以て難を避くるに利(よろ)し、と。
族人曰く、是の心変ずるや、晋に居て可なり。是の心を変ぜざるや、越より遠しと雖も其れ以て安かる可けむや、と。


智伯、地を魏宣子に索(もと)む。
魏宣子、予(あた)へず。
任章曰く、何故に予へざる、と。
宣子曰く、故無くして地を請ふ。故に予へず、と。
任章曰く、故無くして地を索む。隣国必ず恐れむ。彼、重欲厭く無し。天下必ず懼れむ。君、之に地を予へば、智伯必ず驕りて敵を軽んじ、隣邦必ず懼れて相親しまむ。相親しむの兵を以て敵を軽んずるの国を待つ。則ち智伯の命、長からず。
周書に曰く、将(まさ)に之を敗らむと欲せば、必ず姑(しばら)く之を輔け、将(まさ)に之を取らむと欲せば、必ず姑(しばら)く之を予(あた)へよ、と。
君、之に予へて以て智伯を驕らしむるに如かず。且つ君何ぞ天下を以て智氏を図ることを釈(す)てて、独り吾が国を以て智伯の質と為さむや、と。
君曰く、善し、と。
乃ち之に万戸の邑を与(あた)ふ。
智伯、大いに説(よろこ)び、因(よ)りて地を趙に索(もと)む。
与えず。
因(よ)りて晋陽を囲む。
韓魏之に外に反し、趙氏之に内に応ず。
智氏自(よ)りて亡ぶ。


秦の康公、台を築くこと三年。
荊人、兵を起こし、将(まさ)に兵を以て斉を攻めむと欲す。
任妄(じんぼう)曰く、饑は兵を召(まね)き、疾は兵を召(まね)き、労は兵を召(まね)き、乱は兵を召(まね)く。君、台を築くこと三年。今、荊人、兵を起こして、将(まさ)に斉を攻めむとす。臣、其の斉を攻むるを声と為して、秦を襲ふを以て実と為さむを恐る。之に備ふるに如かず、と。
東辺に戍す。
荊人、行を輟(や)む。


斉、宋を攻む。
宋、藏孫子をして南、救ひを荊に求め、荊、大いに説(よろこ)び、之を救ふを許して甚だ歓す。
藏孫子憂へて反る。
其の御、曰く、救ひを索(もと)めて得たり。今、子、憂色有るは何ぞや、と。
藏孫子曰く、宋、小にして、斉、大なり。夫れ小宋を救ひて大斉に悪(にく)まるる、此れ人の憂ふる所以なり。而るに荊王の説(よろこ)ぶは、必ず以て我を堅くするなり。我堅くして斉敝す。荊の利とする所なり、と。
藏孫子乃ち帰る。
斉人、五城を宋に抜く。
而かも荊の救ひ、至らず。


魏の文侯、道を趙に借りて中山を攻めむとす。
趙の肅侯、将(まさ)に許さざらむとす。
趙刻曰く、君過(あやま)てり。魏、中山を攻めて取る能わずんば、則ち魏必ず罷(つか)れむ。罷(つか)るれば則ち魏軽し。魏軽ければ則ち趙重し。魏、中山を抜くとも、必ず趙を越へて中山を有(たも)つ能わざるなり。是れ兵を用ふる者は魏なり。
而して地得る者は趙なり。君必ず之を許せ。之を許して大いに歓せば、彼、将(まさ)に君の之を利するを知らむとす。必ず将(まさ)に行を輟(や)めむとす。君、之に道を借し、示すに已むを得ざるを以てするに如かざるなり、と。


鴟夷子皮(しいしひ)、田成子に事(つか)ふ。
田成子、斉を去り走りて燕に之(ゆ)く。
鴟夷子皮、伝を負ひて従ふ。
望邑に至る。
子皮曰く、子、独り涸沢の蛇を聞かざるや。涸沢の蛇将(まさ)に徙(うつ)らむとす。小蛇有り。大蛇に謂ひて曰く、子、行ひて我之に隨はば、人、以為(おも)へらく蛇の行く者のみ、と。必ず子を殺す有らむ。相銜(ふく)みて我を負ひて以て行くに如かず。人、我を以て神君と為さむや。乃ち相銜負(かんふ)して以て公道を越へて行く。人皆之を避けて曰く、神君なり、と。
今、子は美にして我は悪(にく)し。子を以て我が上客と為さば、千乗の君なり。子を以て我が使者と為さば、万乗の卿なり。子、我が舎人と為るに如かず、と。
田成子、因(よ)りて伝を負ひて之に隨ふ。
逆旅に至る。
逆旅の君、之を待する甚だ敬し、因(よ)りて酒肉を献ず。


温人、周に之(ゆ)く。
周、客を納(い)れず。
之に問ひて曰く、客か、と。
対(こた)へて曰く、主人なり、と。
其れ巷人に問へども、知らざるなり。
吏、因(よ)りて之を囚(とら)ふ。
君、人をして之に問はしめて曰く、子は周人に非ず。而して自ら客に非ずと謂ふは何ぞや、と。
対(こた)へて曰く、臣、少(わか)かりしとき詩を誦す。曰く、普天の下、王土に非ざるは莫し。率土の浜、王臣に非ざるは莫し、と。今、君は天子なり。則ち我は天子の臣なり。豈に人の臣と為りて、又之が客と為る有らむや。故に主人と曰ふなり、と。
君、之を出ださしむ。


韓の宣王、樛留(きゅうりゅう)に謂ひて曰く、吾、公仲、公叔を両用せむと欲す。其れ可ならむか、と。
対(こた)へて曰く、不可なり。晋、六卿を用ひて国、分かれ、簡公、田成、闞止を両用して、簡公殺され、魏、犀首、張儀を両用して西河の外、亡(うしな)ふ。
今、王、之を両用せば、其の力多き者は其の党を樹(た)て、力寡なき者は外権を借らむ。群臣、内、党を樹(た)てて以て主に驕る。外、交を為して以て地を削る。則ち王の国、危ふし、と。


紹績昧(しょうせきまい)、酔寝して其の裘(きゅう)を亡(うしな)ふ。
宋君曰く、酔は以て裘を亡(うしな)ふに足るか、と。
対(こた)へて曰く、桀は酔を以て天下を亡(うしな)へり。而して庚誥(こうこう)に曰く、酒を彝(つね)にする毋(なか)れ、と。
酒を彝(つね)にすとは、酒を常にするなり。
酒、常にする者、天子は天下を失ひ、匹夫は其の身を失ふ。


管仲、隰朋、桓公に従ひて孤竹を伐つ。
春往きて冬反(かへ)る。
迷惑して道を失ふ。
管仲曰く、老馬の智、用ふ可きなり、と。
乃ち老馬を放ちて之に隨ふ。
遂に道行を得たり。
山中水無し。
隰朋曰く、蟻、冬は山の陽(みなみ)に居り、夏は山の陰(きた)に居る。蟻壌一寸にして、仞(じん)に水有り、と。
乃ち地を掘る。
遂に水を得たり。
管仲の聖と隰朋の智とを以てして、其の知らざる所に至れば、老馬と蟻とを師とするを難(はばか)らず。
今、人、其の愚心を以てして聖人の智を師とするを知らず。
亦た過たずや。


不死の薬を荊王に献ずる者有り。
謁者之を操りて以て入る。
中射の士、問ひて曰く、食ふ可きか、と。
曰く、可なり、と。
因(よ)りて奪ひて之を食ふ。
王、大いに怒り、人をして中射の士を殺さしむ。
中射の士、人をして王に説かしめて曰く、臣、謁者に問ふに、食ふ可しと曰へり。臣、故に之を食へり。是れ臣、罪無くして、罪謁者に在るなり。 且つ客、不死の薬を献じ、臣、之を食ひて、王、臣を殺さば、是れ死薬なり。是れ客、王を欺くなり。夫れ無罪の臣を殺して、人の王を欺くを明らかにせむよりは、臣を釈(ゆる)すに如かず、と。
王乃ち殺さず。


田駟(でんし)、鄒君を欺く。
鄒君将(まさ)に人をして之を殺さしめむとす。
田駟恐れて恵子に告ぐ。
恵子、鄒君に見(まみ)えて曰く、今、人有り。君を見れば則ち其の一目を䀹(しょう)す。奚如(いか)ん、と。
君曰く、我必ず之を殺さむ、と。
恵子曰く、瞽(こ)は両目を䀹(しょう)す。君奚為(なんすれ)ぞ殺さざる、と。
君曰く、䀹(しょう)する勿(な)き能はざればなり、と。
恵子曰く、田駟、東、斉侯を慢(あなど)り、南、荊王を欺く。駟の人を欺くに於ける、瞽なり。君奚(なん)ぞ怨みむ、と。
鄒君乃ち殺さず。


魯、穆公、衆公子をして或は晋に宦し、或は荊に宦せしむ。
犁鉏(りしょ)曰く、人を越に仮(か)りて溺子を救ふ。越人、善く遊(およ)ぐと雖も、子は必ず生きじ。火を失ひて水を海に取る。海水多しと雖も、火必ず滅せじ。遠水は近火を救はざればなり。
今、晋と荊、強しと雖も、而れども斉近し。魯、患(おそらく)は其れ救はれざらむか、と。


厳遂、周君に善からず。
周君、之を患ふ。
馮沮(ひょうしょ)曰く、厳遂は相にして、韓傀(かんかい)君に貴ばる。賊を韓傀に行はむに如かず。則ち君必ず以て厳氏と為さむ、と。


張譴(ちょうけん)、韓に相たり。
病みて将(まさ)に死せむとす。
公乗無正、三十金を懐にして其の疾を問ふ。
居ること一月。
韓王、自ら張譴に問ひて曰く、若(も)し子死せば、将(まさ)に誰をか子に代らしめむとする、と。
答へて曰く、無正は法を重んじて上を畏る。然りと雖も、公子食我の民を得るに如かざるなり、と。
張譴死す。
因(よ)りて公乗無正を相とす。


楽羊、魏の将と為りて中山を攻む。
其の子、中山に在り。
中山の君、其の子を烹て、之に羹を遺(おく)る。
楽羊、幕下に坐して之を啜り、一杯を尽くす。
文侯、堵師贊に謂ひて曰く、楽羊、我の故を以て、其の子の肉を食へり、と。
答へて曰く、其の子すら之を食らふ。且(は)た誰をか食らはざらむ、と。
楽羊、中山を罷(や)む。
文侯、其の功を賞して其の心を疑ふ。

孟孫、猟(かり)して麑(げい)を得たり。
秦西巴をして之を載せて持ち帰らしむ。
其の母之に隨ひて啼く。
秦西巴、忍びずして之に与ふ。
孟孫、帰り至りて麑(げい)を求む。
答へて曰く、余(われ)忍びずして其の母に与へたり、と。
孟孫、大いに怒りて之を逐ふ。
居ること三月。
復(ま)た召して以て其の子の傅(ふ)と為す。
其の御(ぎょ)曰く、曩(さき)には将(まさ)に之を罪せむとし、今は召して以て子の傅と為す。何ぞや、と。
孟孫曰く、夫(そ)れ麑(げい)に忍びず。又且(は)た吾が子に忍びむや、と。

故に曰く、巧詐は拙誠に如かず、と。
楽羊は功有るを以て疑はれ、秦西巴は罪有るを以て益ます信ぜらる。


曾従子は善く剣を相する者なり。
衛君、呉王を怨む。
曾従子曰く、呉王、剣を好む。臣は剣を相する者なり。臣請ふ、呉王の為に剣を相し、抜きて之を示し、因(よ)りて君が為に之を刺さむ、と。
衛君曰く、子の之を為す、是義に縁(よ)るに非ず。利の為にするなり。呉は強くして富み、衛は弱くして貧し。子、必ず往かば、吾恐る、子、呉王の為に之を我に用ひんを、と。
乃ち之を逐ふ。


紂、象箸を為(つく)る。
而して箕子怖(おそ)る。
以為(おもへ)らく象箸、羹を土簋(どき)に盛らじ。則ち必ず犀玉の杯ならむ。
玉杯象箸、必ず菽藿(しゅくかく)を盛らじ。則ち必ず旄象豹胎ならむ。
旄象豹胎、必ず短褐(裋褐(じゅかつ))を衣(き)て茅茨(ぼうし)の下に舍(やど)らじ。則ち必ず錦衣九重、高台広室ならむ。
此れに称(とな)へて以て求めば、則ち天下も足らずや、と。
聖人、微を見て以て萌を知り、端を見て以て末を知る。
故に象箸を見て怖れしは、天下の足らざるを知ればなり。


周公旦已に殷に勝ち、将(まさ)に商蓋を攻めむとす。
辛公甲曰く、大は攻め難く、小は服し易し。衆小を服して大を劫(おびやか)すに如かず、と。
乃ち九夷を攻む。
而して商蓋服す。


紂、長夜の飲を為し、悞(たのし)みて(※悞は娛の誤りとする)以て日を失ふ。
其の左右に問ふに、尽く知らざるなり。
乃ち人をして箕子に問はしむ。
箕子、其の謂ひて曰く、天下の主と為りて、一国皆、日を失ふ。天下其れ危し。一国皆知らずして、我独り之を知る。吾れ其れ危し、と。
辞するに酔ひて知らざるを以てす。


魯人、身善く屨(くつ)を織り、妻善く縞(こう)を織るあり。
而して越に徙(うつ)らむと欲す。
或るひと之に謂ひて曰く、子必ず窮せむ、と。
魯人曰く、何ぞや、と。
曰く、屨(くつ)は之を履く為(ため)なり。而して越人は跣行(せんこう)す。縞(こう)は之を冠する為(ため)なり。而して越人は髪を被る。子の長ずる所を以て不用の国に游ぶ。窮する無からしめむと欲すとも、其れ得可けむや、と。


陳軫(ちんしん)魏王に貴ばる。
恵子曰く、必ず善く左右に事(つか)へよ。夫れ楊(やなぎ)は横に之を樹(う)うとも即ち生じ、倒(さかさま)に之を樹(う)うとも即ち生じ、折りて樹(う)うとも又生ず。
然るに十人をして之を樹(う)ゑしめ、而して一人をして之を抜かしめば、則ち生楊毋(な)からむ。十人の衆を以て生じ易き物を樹(う)ゑ、而かも一人に勝たざる者は何ぞや。之を樹(う)うるは難しくして之を去るは易しければなり。
子、自ら王に樹(う)うるに工(たくみ)なりと雖も、而れども子を去らむと欲する者は衆(おほ)し。子、必ず危うからむ、と。


魯の季孫、新たに其の君を弑す。
呉起仕ふ。
或ひと起に謂ひて曰く、夫れ死する者、始めて死して血す。已に血して衄(ぢく)す。已に衄(ぢく)して灰す。已に灰して土す。其の土に反るや、為す可き者無し。今、季孫は乃ち始めて血す。其れ毋(むし)ろ乃ち未だ知る可からざらむや、と。
呉起因(よ)りて去りて晋に之(ゆ)く。


隰斯弥、田成子を見る。
田成子、与(とも)に台に登りて四望す。
三面皆暢(の)ぶ。
南望は隰子の家の樹、之を蔽(おほ)へり。
田成子、亦た言はず。
隰子帰りて人をして之を伐らしむ。
斧、離すること数創。
隰子之を止む。
其の相室曰く、何ぞ変ずるの数(すみ)やかなる、と。
隰子曰く、古者(いにしへ)、諺有り。曰く、淵中の魚を知る者は不詳なり、と。
夫れ田子、将(まさ)に大事有らむとす。而して我之に微を知るを示さば、我必ず危し。樹を伐らざるは、未だ罪有らざるなり。人の言はざる所を知る、其の罪大なり、と。
乃ち伐らず。


楊子、宋に過(よ)ぎり、東、逆旅に之(ゆ)く。
妾二人有り。
其の悪(みにく)き者は貴く、美しき者は賤し。
楊子、其の故を問ふ。
逆旅の父(ほ)答へて曰く、美なる者は自ら美とす。吾其の美を知らざるなり。悪(みにく)き者は自ら悪(みにく)しとす。吾其の悪(みにく)きを知らざるなり、と。
楊子、弟子に謂ひて曰く、行(おこなひ)賢にして自ら賢とするの心を去らば、焉くに往くとして美とせられざらむ、と。


衛人、其の子を嫁して之に教へて曰く、必ず私(ひそか)に積聚(せきしゅう)せよ。人の婦と為りて出さるるは常なり。其の居を成すは幸なり、と。
其の子、因(よ)りて私(ひそか)に積聚す。
其の姑、以て私多しと為して之を出す。
其の子以(もち)て反(かへ)る所の者は、其の以(もち)て嫁する所に倍す。
其の父、自ら子を教ふるの非を罪せずして、而して自ら其の益ます富めるを知とす。
今、人臣の官に処る者、皆、是の類なり。


魯丹、三たび中山の君に説きて而も受けられず。
因(よ)りて五十金を散じて其の左右に事(つか)ふ。
復(ま)た見(まみ)ゆ。
未だ語らずして君之に食を与ふ。
魯丹、出でて舎に反(かへ)らず。
遂に中山を去る。
其の御(ぎょ)曰く、見るに及びて乃ち始めより我を善くす。何の故に之を去る、と。
魯丹曰く、夫れ人の言を以て我を善くす。必ず人の言を以て我を罪せむ、と。
未だ境を出でず。
而して公子、之を悪して曰く、趙の為に来り間(かん)す、と。
中山君、因(よ)りて索めて之を罪す。


田伯鼎、士を好みて其の君を存す。
白公、士を好みて荊を乱る。
其の士を好むは則ち同じ。其の為す所以は則ち異なり。
公孫支は自ら刖(あしき)りて百里を尊くし、豎刁は自ら宮して桓公に諂ふ。
其の自ら刑するは則ち同じ。其の自ら刑する所以の為は則ち異なり。
恵子曰く、狂者東に走れば、逐ふ者亦東に走る。其の東に走るは則ち同じ。其の東に走る所以の為は則ち異なり、と。
故に曰く、事を同じくするの人、審らかに察せざる可からざるなり、と。


テーマ : 中国古典・名言
ジャンル : 学問・文化・芸術

韓非子 説林 上

1)
殷の湯王は夏の桀王を滅ぼして世界中から自分を貪欲だと言われることを恐れた。そこで天下を務光に譲ろうとしたが、実際は、本当に務光に受けられると困ると思っていた。そこで人を務光に遣わして説かせた。
「湯王は主君であった桀王を殺しました。湯王は、その主君殺しの悪評をあなたに押し付けようとして、天下を譲ると言っているのです」と。
務光はそれを聞いて自分から黄河に身を投げた。

2)
秦の武王が甘茂に侍従と外交官とどちらをやりたいかを選ばせた。
孟卯は言う。「あなたは侍従になる方が良い。あなたは外交手腕に優れているから、侍従になっても、王はあなたに外交を任せるだろう。あなたは侍従の印を提げ、外交官でもあり、兼任することができる」と。

3)
子圉は孔子を宋の宰相に引き合わせた。孔子が退出すると、子圉が入っていって「宰相に孔子はどうでしたか」と尋ねた。
宰相が言うには「孔子に会ったあとで、そなたを見ると、そなたは蚤や虱のようにちっぽけに見える。私はすぐにでも孔子を主君に会わせよう」
子圉は孔子が主君に重用されては困ると思い、宰相にこう言った。「主君が孔子に会ったあとであなたにお会いになると、主君もあなたのことを蚤や虱のようにちっぽけに見えるのでしょうな」
宰相はその後、孔子を主君に引き合わせることはなかった。

4)
魏の恵王が臼里の地で会盟を開いて周王朝の天子の復権をはかろうとした。
彭喜は鄭の君主に言った。「従ってはいけません。大国にとって天子の存在は邪魔ですが、小国にとっては利になります。もし主君が他の大国と一緒に従わなければ魏は小国と組んで天子をたてたりしないでしょう」

5)
晋国が邢を攻めた。斉の桓公がそれを救おうとした。
すると鮑叔が言った。「まだ早いです。邢が滅びなければ晋は疲弊しません。晋が疲弊しなければ斉の力は強くなりません。それに、危機を救ってやる功績より、滅んだ国を復興してやる方が評判がより大きくなります。主君、救いに行くのはもっと遅くして晋を疲弊させましょう。そうすれば我が斉に実利をもたらします。さらに邢が滅びるのを待ってから復興させます。そうすれば斉の名声もまた高まるでしょう」
これを聞いた桓公は邢をすぐに救いに行くのをやめた。

6)
伍子胥が楚から出奔した。いよいよ国境という時に、国境の見張り役に見つかった。
伍子胥は言う。「お上が私を追っているのは、私が美しい宝玉を持っているからだ。しかし、今はその宝玉を無くしてしまった。私を捕らえるというなら、私はあなたが私の宝玉を奪って呑み込んでしまった、と言おう」
国境の見張り役はそれを聞いて伍子胥を見逃した。

7)
慶封は斉で反乱を起こし、越に亡命しようとした。
一族の者が言う。「晋の国の方が斉から近い。どうして晋に行かないのか」と。
慶封は言う。「越は遠い。だからこそ災難を避けるのには良いのだ」と。
一族の者は言う。「反乱を起こそうとするその心根を改めれば、晋に居ても問題ない。その心根を改めなければ、遠く越の国へ行ったとて穏やかには過ごせまい」

8)
智伯は魏宣子に土地を譲るように要求した。
しかし魏宣子は与えなかった。任章は何故与えないのかと問うた。
魏宣子は言う。「理由もなく土地を要求してきたから与えないのだ」と。
任章は言う。「理由もないのに土地を要求すれば隣国はきっと恐れるでしょう。智伯が欲深くことごとく奪おうとすれば、天下はみな必ず恐れるでしょう。ご主君、土地をお与えなされ。土地を与れば智伯は必ず驕り、敵を軽視するでしょう。そうすれば近隣の国々は恐れて親密に連合するでしょう。親密に連合した軍で敵を軽視している国に当たれば、智伯の命運は尽きたも同然です。周書に「これを破ろうと思えば、まずはしばらくこれを助けよ。これを奪おうと思えば、まずはしばらくこれに与えよ」とあります。ご主君、まずは智伯に土地を与えて驕らせるのがよいでしょう。ご主君はどうして天下の諸国と智伯を討つ相談をせずに、ひとり我が国だけが智伯の標的になろうとするのですか」と。
君主は「よし」と言い、智伯に一万戸の土地を与えた。
智伯はとても喜び、趙へも土地を要求した。
しかし趙は与えない。そこで智伯は趙の晋陽を包囲した。
韓と魏はその外側で寝返り、趙は内側から呼応し、智氏は滅んだ。

9)
秦の康公が楼台を築いて三年が過ぎた。その頃、楚が軍を起こし、斉を攻めようとした。
任妄が康公に言う。「餓えが兵を招き、病が兵を招き、労役が兵を招き、乱が兵を招きます。ご主君は楼台を築いて三年。今、楚は軍を起こしました。楚は斉を攻めようとしていますが、私は斉を攻めると公言しながら、実は秦を襲おうとしているのではと恐れています。防備を固めておくに越したことはありません」
そこで東の国境の防備を固めた。楚は進軍を取りやめた。

10)
斉が宋を攻めた。宋は臧孫子を南方へ遣わし、楚へ救援を求めさせた。
楚は大いに悦び、救援を承諾して歓待した。
臧孫子は浮かぬ顔で宋へ帰った。 御者が「救援を得たのに、どうしてそんな浮かぬ顔をしているのですか」と。
臧孫子は答えて言う。「宋は小国で斉は大国だ。小国の宋を救って大国の斉に憎まれるのは、誰でも心配することだ。しかし楚王が悦んだのは、我々に堅く守らせるためだ。我々が堅く守って斉が疲弊すれば、楚の利益となる」と。
臧孫子は宋に帰り、斉は宋を攻め、城を五つも落としたが、いまだに楚の救援が来ることがなかった。

11)
魏の文侯は趙を通してもらい、中山を攻めようとした。趙の粛侯は許そうとしなかった。
すると趙刻が言う。「それは誤りです。もし魏が中山を攻めて、取ることができなかったら、魏は疲弊するでしょう。疲弊すれば魏は軽くなり、魏が軽くなれば趙は重くなります。魏が中山を攻めて抜いても、趙を越えて中山を治めることはできないでしょう。兵を用いるのは魏、そして領土を得るのは趙となります。ご主君は魏の申し出をお受けください。ただし、許可して大いに歓迎すれば、使者はご主君が利益を得ようとしていると察し、行軍を取りやめようとするでしょう。ご主君は道を貸すけれど、やむを得ないからだと示すのがよろしいでしょう」

12)
鴟夷子皮は田成子に仕えた。田成子は斉を去り、燕へ向かった。
鴟夷子皮は通行手形を持って供をして、望という町にたどり着いた。
鴟夷子皮が言う。「あなたは涸澤の蛇の話をご存知ですか。涸澤の蛇が住まいを移そうとしたとき、小蛇がいて、大蛇にこう言いました。あなたが先に行って私がその後について行けば、人はただ蛇が行くと思うだけです。中にはあなたを殺そうとする者も出てくるでしょう。そこであなたが私の尾を咥えて、私をあなたの背に乗せて進むのが良い方法で、そうすれば人々は私を神様だと思うでしょう。そこで大蛇はその通りにして通りを進みました。すると人々は皆、道を避けて神様だと言い合いました。今、あなたは立派で私はみすぼらしい。あなたが私の主人とすると、あなたは小国の君でしかないけれど、あなたを私の従者とすると、あなたは大国の大臣です。ゆえに、あなたは私の家臣として見せた方が良いのです」
そこで田成子が通行手形を携えて従い、宿に着いた。宿の主人はとても丁重にもてなし、酒や肉を献上した。

13)
温の人が周へ行った。しかし周は外部の人間を入れなかった。外部の客人か、と問うた。それに答えて内部の主人だ、と言う。それならばと町の人間に尋ねたが、誰も彼を知らないという。役人は彼を捕らえた。
周の君主は人を遣わして尋ねさせた。「あなたは周の人間ではない。それなのに他国からの客人ではないというのは何故だ」答えて言う。「私は若い時に詩経を学びました。そこに、天下は全て王の土地。地の果てまで全て王の臣、とあります。周の君は天子です。だから私は天子の臣です。周の天子の臣である私を、どうして他所者だということができるでしょうか」と。
これを聞いた周の君主は彼を釈放した。

14)
韓の宣王が樛留に言った。「私は公仲と公叔の二人をどちらも重用したい。良いだろうか」
樛留は答えて言う。「だめです。晋は六卿を重用し、国を分裂させました。斉の簡公は田成と闞止を重用したために殺されました。魏は犀首と張儀を重用したために西河の外の領地を失いました。今、王がこの二人ともを重用すれば、勢力の大きい方は徒党を組み、勢力の小さい方は外国の力を借りるでしょう。群臣は徒党を組んで君主に対して驕り、他方では外国と組んで領土をその外国に分け与えるということになれば、王の国は危ういでしょう」

15)
紹績昧が酔って眠り、自分の皮の衣を無くしてしまった。
宋君が酒に酔ったくらいで自分の衣を無くすものか、と言った。
答えて言うには「桀は酔って天下を無くしました。康誥に「酒を彝にすることなかれ」とあります。彝にする、とは、常にすることで、酒を常に飲み続けると天子は天下を失い、匹夫はその身を失います」と。

16)
管仲と隰朋が桓公に従って孤竹を討伐した。
春に出陣して冬に帰ってきたので道に迷ってしまった。
管仲が言う。「老馬の知恵を借りましょう」と。老馬を放して後について行ったら、道が見つかった。
また、山の中で水が無くなった。
隰朋が言う。「蟻は冬には山の南にいて、夏には山の北にいます。蟻塚の高さが一寸ならば、その下一仞の深さに水があります」と。そこで地を掘り、水を得た。
管仲のような賢人や隰朋のような知者でも、自分の知らないことに出会うと老馬や蟻でさえ師とすることを憚らない。今の人は愚かな心を持ちながら聖人の知恵を師とすることさえ知らない。これは実に誤ったことである。

17)
不死の薬を楚王に献上した者がいた。取次の者がそれを持って奥へと入っていった。奥にいた侍従が尋ねた。「これは食えるのか」と。取次は「食えます」と答えた。そして侍従は薬を奪って食べてしまった。王は大いに怒り、臣下に命じて侍従を死刑にしようとした。
侍従は人を遣り王に説いてもらって言うには「私は取次に食えるかと問うたところ、食えるというから食いました。これは私に罪はなく、罪は取次にあります。また客は不死の薬を献上したのに、私がそれを食って王に殺されれば、これは死薬です。これでは客が王を欺いたことになります。無罪である私を殺して客が王を欺いたということを世に知らしめるより、私を許してしまう方がよろしいのでは」と。
これを聞いて王は死刑にするのをやめた。

18)
田駟が鄒君を欺いた。鄒君は人をやって田駟を殺そうとした。
田駟は恐れて恵子に相談した。
恵子は鄒君に見えて言った。「今、人がいて君主に見えるのに無礼にも片目を瞑っていたらどうしますか」
鄒君は「私なら必ず殺すだろう」と答えた。
恵子は続けて言う。「盲目の者は両目ともに瞑ります。この場合はどうして殺さないのですか」と。
鄒君は答える。「盲目なのだから瞑らないわけにはいかないだろう」
恵子は続けて言う。「田駟は東では斉侯を欺き、南では楚王を欺きました。田駟は人を欺くことに関しては盲目も同然です。そんな男を怨みなさるな」
そう言われて鄒君は殺すのをやめた。

19)
魯の穆公は自分の公子たちをあるいは晋に、あるいは楚に仕えさせた。
犁鉏は言った。「人を越から借りてきて溺れている子を救おうとするのでは、越の人の泳ぎが達者だといえども、子は救えないだろう。火事になったのに海から水を取ってくるようでは、いかに海に水が多いといえども、火を消すことはできないだろう。遠水は近火を救わず、である。今、晋と楚が強国だといえど、魯の敵である斉は近いので、魯の心配事は消えることがないだろう」

20)
韓の厳遂は周の君と仲が悪いので、周の君はこのことを気にしていた。
馮沮が周の君に言った。「厳遂は韓の宰相で、韓傀は韓の君に重んじられています。韓傀を暗殺するのが良いでしょう。そうすれば韓の君は厳遂の仕業だと思うでしょう」と。

21)
張譴は韓の宰相だったが、病にかかり死期が迫っていた。
公乗無正三十金を賄賂として懐に忍ばせて見舞った。
韓の君主が張譴を見舞い、問うた。「もしあなたが亡くなったら、後事を誰に託せば良いだろうか」と。
張譴は答えて言った。「無正は法を重んじ、上を敬う人物ですが、公子の食我が民の人望を得ているのには及びません」
張譴は亡くなり、公乗無正が宰相に任ぜられた。

22)
楽羊は魏の将軍となって中山を攻めた。
楽羊の子が中山にいたので中山の君主がその子を捕らえて殺し、その子の肉を煮て汁物を作って楽羊に送りつけた。楽羊は幕下に座してその汁を啜り、一杯を食べ尽くした。
魏の文侯は堵師賛に言った。「楽羊は私のために我が子の肉を食べたのだ」すると堵師賛は答える。「我が子の肉ですら食ったのです。一体誰の肉なら食わないというのでしょう」と。
楽羊が中山から帰ってきた。文侯はその戦功を賞したものの、楽羊の心の内を疑った。

孟孫が狩りに行き、子鹿を捕らえた。
秦西巴に命じて車に乗せて持ち帰らせようとしたところ、子鹿の母がついてきて啼くので、秦西巴は憐れんで子鹿を母鹿へ返した。
孟孫は帰ってきて秦西巴に子鹿を持ってくるよう命じた。
秦西巴が答えて言うには「憐れに思って母鹿に返しました」と。孟孫は大いに怒って秦西巴を追放した。
ところが三ヶ月後、再び秦西巴を呼び戻して自分の子の守り役に任じた。
御者が尋ねた。「先日は罰しようとしていたのに、今は召し戻して守り役にしたのはどうしてですか」と。
孟孫が言うには「子鹿でさえ憐れみいたわったのだから、私の子を可愛がらないはずがない」と。

だから言うのだ「巧詐は拙誠に如かず」と。
楽羊は功績があったのに疑われ、秦西巴は罪があったにも関わらずますます信用されたのだ。

23)
曾従子は剣の鑑定が得意であった。衛の君主は呉王を怨んでいた。
曾従子は言う。「呉王は剣を好みます。私は剣の鑑定者ですから、呉王のもとへ行って剣の鑑定をし、剣を抜きとって王に見せ、衛君のためにそのままこの剣で刺し殺して参りましょう」
衛君は言った。「あなたがそれをするのは義のためではなく、あなたの利益のためであろう。呉は強国で豊かだが、衛は弱国で貧しい。あなたが呉へ行ったらあなたは呉王のために今の策を私に対して使うのではないかと恐れるのだ」と。そして曾従子を追い出した。

24)
紂王が象牙の箸を作ったので、賢臣箕子は恐れて思うに「象牙の箸を使えば汁物を土器の器に入れず、きっと犀や玉の器に盛るだろう。玉杯や象牙の箸を使うなら、豆や葉の汁物など食べず、牛肉や象肉、豹の腹子などの珍味を食べるだろう。そうなると短い毛衣を着て茅葺屋根の家には住まず、錦の衣を何重にも着て広い高殿に住むようになる。この贅沢にしたがって求めていけば、天下の財を全て費やしても足りぬであろう」と。

「聖人は微を見て以って明を知り、端を見て以って末を知る」という。だから箕子が象牙の箸を見て恐れたのは、天下の財を全て費やしても王の贅沢は止まらないだろうと察したからである。

25)
周公旦は周がすでに殷に勝ってから商蓋を攻めようとした。
辛公甲が言った。「大敵は攻めにくく、小敵は服従させやすいものです。まず周りの小国を屈服させ、大国を脅かすのがよいでしょう」そこでまず九夷を攻めた。これにより商蓋は服従した。

26)
紂王は長夜の宴を催し、楽しんで日どりさえも忘れた。左右の者に尋ねたが、皆忘れ、誰も知らなかった。
そこで人を箕子へ遣わし尋ねさせた。
箕子は家中の者へ言った。「天下の主が日にちを忘れ、国中皆忘れるようでは天下は危うい。国中皆が知らぬのに、私だけが知っているのでは、我が身が危うい」
そこで使者には私も酒によって忘れた、と伝えた。

27)
魯に靴をうまく織る人がいた。その妻は絹を織るのがうまかった。この夫婦が越に移住しようと思った。
ある人が「越に行ったらあなた達は困ることになる」と言うので、「何故だね」と訳を尋ねた。
「靴は履くためのものだ。しかし越の人は裸足で歩く。また、絹の織物は帽子にするものだ。しかし越の人は髪のために帽子をかぶらない。あなた達の得意なことが必要とされていない国へ行こうというのだから、困らないようにと望んでも、叶わない話ではないか」と答えた。

28)
陳軫は魏王に重用されていた。
恵子が忠告した。「よく王の側近の者達に仕えなさい。楊という木は横に植えても生え、逆さまに植えても生え、折って植えても生える。しかし、十人で植えたとしても、一人がこれを抜いてしまえば皆枯れてしまう。十人で生えやすい楊を植えても、一人に勝てないのは何故か。植えるのは難しく、取り去るのは簡単だからだ。あなたは自分を王の心に植えつけるのは巧みだが、あなたを除こうとする者は多いので、その身は危ういよ」と。

29)
魯の季孫氏がその君主を殺害した頃、呉起は季孫氏に仕えていた。
ある人が呉起に言う。「死ぬとまず血が出て、その血が死血となり、死血が灰となり、灰が土となり、土に返ると、もはや変わらない。今、季孫氏は初めの血が出たばかりの頃であり、この先どうなるかわからない」
呉起はこれを聞いて季孫氏のもとを去り、晋へ行った。

30)
隰斯弥が田成子に会った。田成子は一緒に高台に登って四方を眺めた。三方はみな開けているが、南面のみ隰斯弥の家の樹木によって覆われていた。しかし田成子は何も言わなかった。
隰斯弥は帰って人に樹木を伐らせた。斧で数箇所割いたところで隰斯弥は中止させた。家老が「何故急に気が変わったのですか」と問うた。
隰斯弥は答えた。「古の諺に、深淵に潜む魚を知る者は不吉なり、とある。田成子は大事を成そうとしている。そこへ私が些細な事を察知する奴だと知れたら、私の身があやうい。樹木を伐らずとも罪にはならず、人が口に出さないことを知る罪の方が大きいのだ」こうして伐らなかった。

31)
楊子が宋国を通過するとき、東にある旅館に着いた。そこには給仕女が二人いた。
雇い値を尋ねると、容姿の悪い方が高く、容姿の良い方が安い。
楊子が訳を尋ねると、宿の主人が答えて言うには「美人は自分で美人だと鼻にかけているので私は美しいとは思いません。容姿の悪い方は自分で醜いと思って謙遜しているので、私は醜いとは思いません」と。
楊子は弟子に言った。「行動は賢者でありながら自らを賢者だと思う心を去れば、どこへ行っても褒められるであろう」と。

32)
衛の人が我が子を嫁がせる時に教えて言った。「きっとこっそり貯蓄しなさい。嫁に行っても、後で追い出されるというのは常のことで、うまく居つけたならば幸いというものだ」そこで娘はこっそりと貯蓄した。
そのうちに姑が自分勝手だとして離縁させた。
ところが、娘が実家に帰る時には嫁入りの時の倍の財産があった。その父は自分で子に悪事を教えたことを罪とは思わず、ますます豊かになったことを自慢した。今、各国の臣下で官職につくものは、皆、この類である。

33)
魯丹は三度中山の君主に説いたが受け入れられなかった。そこで五十金をばら撒いて左右の大臣のご機嫌伺いをした。そして再び君主に謁見した。まだ何も語っていないのに君主から食事を賜った。
魯丹は退出し、宿舎にも戻らずに中山を去った。
御者が言うには「君主に謁見して始めて歓迎されたのに、何故去るのですか」と。魯丹は言った。「他人のとりなしで私の扱いが良くなるのなら、他人の讒言によって私に罪を着せるであろう」と。
魯丹がまだ国境を出ないうちに、公子が君主に讒言して言った。「魯丹は趙のために来た間者です」と。中山の君主はこれを聞いて魯丹を探し出して罪した。

34)
田伯鼎は賢者を好んでおり、君主を救った。白公は賢者を好んでおり、楚国を乱した。
賢者を好むという点は同じだが、その行った結果は違っている。
公孫支は自ら足斬りをして賢者の百里を尊位におき、豎刁は自ら去勢して桓公に取り入った。
自らに刑罰を施した行為は同じだが、その理由は異なっている。
恵子は言う。「狂人が東へ走り、追う者も東へ走る。その東へ走るということは同じだが、東へ走る理由は違うのだ」と。
だから言うのだ。同じ行為をしている人でも、理由をよくよく観察せねばならぬ、と。



テーマ : 中国古典・名言
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

韓非子 集中講義 石川 武志

Author:韓非子 集中講義 石川 武志
東洋大学中国哲学文学科に学ぶ。
中国学を志して、およそ20年。
専門は韓非子を中心に、古代中国における諸子百家の思想、哲学。
春秋戦国時代の法家、韓非子の翻訳、研究と解説。
韓非子集中講義主宰。

通背拳の伝承、指導。
日本白猿通背拳研究会を設立。

儒学者、近藤篤山の研究。
第二十四号 論語指導士
(論語教育普及機構認定)
http://p-kies.net/rongo/#r1/

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