申不害

申不害に関しては、情報が少なく、不明な点も多い。
まだ研究中ではあるが、ここに少々書き連ねる。
また新たに情報を得たら、随時、加筆修正していく。


申不害の著書とされる『申子』はすでに散佚しており、その全貌を知ることはできない。
『史記』によると、申不害の著書『申子』は二篇、とあるが、『漢書』「芸文志」には『申子』六篇、とある。
前漢の頃には二篇だったものが、後漢には六篇に増えている。
他の著作が混ざって増えたのか、誰かの手によって加筆されたのか、あるいは司馬遷の手元には二篇しか伝わらなかったのか、実際のところはよく分からない。


申不害は韓の昭侯に仕え、宰相としてその辣腕をふるった。
申不害が韓の政治を正して尽力した15年間、韓は外敵に侵攻されることなく、善く治まったという。

興味深いことに、韓非子はこの申不害の治世の実態をその著書『韓非子』「定法篇」で、こう暴いている。

「韓は晋が別れた国である。晋の時代の古い法がまだ残っているのに、韓の新しい法が設けられ、先君の命令がまだ完了されぬまま、新君の命令が下された。
申不害はその法や命令を統一しなかったために、姦悪をなす者が多かった。つまり彼らの利益が旧法旧令にあればこれに従い、利益が新法新令にあればこれに従うのだ。
利益が新旧相反し、食い違うところがあればそこにつけ込むというのでは、申不害が十回昭侯に術を用いさせたとしても、姦臣はなおその言葉を詐るだろう。
ゆえに申不害は万乗の大国韓に用いられて十七年に及ぶも、覇王となるには至らなかったのは、術を君主が用いたとしても、法が官吏を謹直させることができなかったことが失敗だったのである。」

「申不害の術はまだ充分ではない。
申不害は言う。政治を行うに、自分の職分を超えず、知っていても言わない、と。
自分の職分を超えず、とは、職分を忠実に守ると言うこともできる。
知っていても言わない、とは、過ちがあっても言わないということになる。
君主は国全体の目で見るから、これより明らかなものはなく、国全体の耳で聴くから、これより聡いものはない。
今、臣下たちが知っていても言わないのなら、君主はいったいどうやってその耳目を借りられようか。」



『史記』「老子韓非列伝」より、申不害の伝を抜粋。

【書き下し文】
申不害は京の人なり。
故(もと)の鄭の賤臣たり。
術を学び、以て韓の昭侯に干(もと)む。
昭侯用ひて相と為す。
内は政教を修め、外は諸侯に応ずること、十五年。
申子の身終ふるまで、国治まり、兵強く、韓を侵す者無し。
申子の学、黄老を本とし、而して刑名を主とす。
著書二篇、号して申子と曰ふ。

【原文】
申不害者。京人也。
故鄭之賤臣。
學術以干韓昭侯。
昭侯用爲相。
內修政教。外應諸侯。十五年。
終申子之身。國治兵彊。無侵韓者。
申子之學。本於黃老。而主刑名。
著書二篇。號曰申子。

【現代語訳】
申不害は京の人である。
もともと鄭の身分の低い臣であった。
術を学び、韓の昭侯に願い出た。
昭侯は申不害を宰相とした。
内政では政治を教化して整え、外交では諸侯に適切に応じた。こうしたことが十五年続いた。
申子(申不害)が生きている間は、国は善く治まり、兵は強く、韓に侵攻してくる者はいなかった。
申子の学問は、黄老の思想に本づいて、形名を中心とした。
著書が二篇あり「申子」と名付けられた。


『史記』「韓世家」より、申不害の記述を抜粋。

【書き下し文】
(昭侯)八年、申不害、韓の相たり。術を修め道を行ふ。国内以て治まり、諸侯侵伐に来たらず。
(昭侯)二十二年、申不害死す。

【原文】
八年。申不害相韓。修術行道。國内以治。諸侯不來侵伐。
二十二年。申不害死。

【現代語訳】
昭侯八年、申不害は韓の宰相となった。術を修めて政治を行った。国は善く治まった。
申不害が生きている間は諸侯も韓に侵攻することはなかった。
昭侯二十二年、申不害は死んだ。



『申子』大体篇(抜粋)

【書き下し文】
夫れ一妻、夫を擅(ほしいまま)にせば、衆婦、皆乱る。
一臣、君を専らにせば、群臣、皆蔽れる。
故に妻妬まば、家破ること難(かた)からざるなり。
臣乱るれば、国破ること難(かた)からざるなり。
是を以て明君、其の臣をして並進輻湊(へいしんふくそう)せしめ、君を専らにするを得る莫し。

今、人君の城郭を為して高しとする所以のものは、門閭(もんりょ)の閉を謹む者を用ひ、寇戎(こうじゅう)(※外敵)盗賊の至らむと為すなり。
今、夫れ君を弑して国を取る者、必ず城郭の険を逾(こ)えるに非ずんば、門閭(もんりょ)の閉を犯すなり。
君の明を蔽(おほ)ひ、君の聴を塞ぎ、之の政を奪ひて其の令を専らにし、其の民有りて其の国を取る。

今、烏獲(うかく)(※人名、怪力の持主)、彭祖(※人名、長寿の仙人)をして千鈞の重を負はしめ、而して琬琰(琬圭、琰圭という美しい玉)の美を懐き、孟賁(※人名、戦国時代の衛の勇士)、成荊(※人名、春秋時代の斉の勇士)をして干将の剣(※名剣)を帯びて之を衛らしめ、幽道を行かば、則ち盗、猶ほ之を偷(ぬす)まんや。
今、人君の力、烏獲、彭祖の賢に非ず、勇、孟賁、成荊の賢に非ざるなり。其の守る所の者、琬琰の美、千鈞の重を恃むに非ざるなり。而して失ふ勿れと欲す。其れ得るべきや。

明君は身の如く、臣は手の如し。君は号の若く、臣は響の如し。
君、其の本を設け、臣、其の末を操る。
君、其の要を治め、臣、其の詳を行ふ。
君、其の柄を操り、臣、其の常を事とす。

人君為(た)る者、契を操りて以て其の名を責む。
名は、天地の網、聖人の符なり。
天地の網を張りて、聖人の符を用ふれば、則ち万物の情、之を逃るる所無し。

故に善く主為(た)る者、愚に倚(よ)りて、盈たざるに立ち、敢へてせざるを設け、事無きを蔵し、端を竄(かく)し疏を匿して、天下に無為を示す。
是を以て近者は之を親しみ、遠者は之を懐しむ。

人、余り有るを示す者は之を奪ひ、人、足らざるを示す者は之を与ふ。
剛は折れ、危は覆り、動は揺れ、静は安らかなり。

【原文】
夫一妻擅夫。眾婦皆亂。
一臣專君。群臣皆蔽。
故妒妻不難破家也。
亂臣不難破國也。
是以明君使其臣並進輻湊。莫得專君焉。

今人君之所以高為城郭。用謹門閭之閉者。為寇戎盜賊之至也。
今夫弒君而取國者。非必逾城郭之險而犯門閭之閉也。
蔽君之明。塞君之聽。奪之政而專其令。有其民而取其國矣。

今使烏獲、彭祖負千鈞之重。而懷琬琰之美。
令孟賁、成荊帶干將之劍衛之。行乎幽道。則盜猶偷之矣。
今人君之力。非賢乎烏獲、彭祖。
而勇非賢乎孟賁、成荊也。
其所守者。非恃琬琰之美、千金之重也。
而欲勿失。其可得耶。

明君如身。臣如手。
君若號。臣如響。
君設其本。臣操其末。
君治其要。臣行其詳。
君操其柄。臣事其常。

為人君者。操契以責其名。
名者。天地之綱。聖人之符。
張天地之綱。用聖人之符。則萬物之情無所逃之矣。

故善為主者。倚於愚。立於不盈。設於不敢。藏於無事。竄端匿疏。示天下無為。
是以近者親之。遠者懷之。

示人有餘者人奪之。示人不足者人與之。
剛者折。危者覆。動者搖。靜者安。



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史記 韓非伝 (太田方「韓非子翼毳」より) 現代語訳

史記 韓非伝 (太田方「韓非子翼毳」より)

・現代語訳

韓非は韓の諸公子である。
刑名・法術の学問を好み、黄帝・老子の道を根本とした。
韓非は生まれつき吃音で、充分に議論を尽くすことができなかった。
しかし、よく書を著した。
李斯と共に荀卿(荀子)に師事したが、李斯は、自分は韓非には及ばない、と思っていた。

韓非は、韓が領地を削り取られ、弱められているのを見て、しばしば書をしたためて韓王を諫めた。
韓王はそれを用いることができなかった。
そこで韓非は、国を治めるにあたって、法律制度を明らかにし、権勢を掌握して臣下を制御し、国を富ませて兵を強くし、人材を求め、賢人を任用する、ということに務めず、かえって、ふらふらとした虫けらの如き小人を挙用して、実際に功績のある人の上位に置く、という状態を憂慮し、
~韓非は「儒者は文を用いて法を乱し、任侠者は武力によって禁令を犯すものである。平時は名声のある者を寵遇し、非常時には武人を用いる。今、養っている者たちは非常時に用いる者たちではない。非常時に用いる者たちは今養っている者たちではない」と考えていた。~
廉直の士は邪な臣下に妨げられて用いられないことを悲しみ、過ぎ去った時代の得失の変遷を観察した。

ゆえに、孤憤、五蠧、内外儲、説林、説難、など十余万字におよぶ書を著した。
しかし韓非は、これを君主に説くことの難しさを知って、説難篇を著し、その所に詳しく述べた。
しかし最後には秦で死に、みずからその難しさから脱することはできなかった。

説難篇に言う、(中略:説難篇)

ある人が、韓非の書を秦に伝えた。
秦王は、孤憤、五蠧の篇を見て言った。
「ああ、私はこの著者に会い、交際することができるなら、死んでも悔いはない」と。
李斯が言った。
「これは韓非が著したものです」と。

そこで秦は突然、韓に攻め込んだ。
韓王は、はじめは韓非を用いなかった。
しかし事態が性急となるに至り、韓非を使者として秦に遣わせた。
秦王はこれを悦んだが、まだ韓非を信用してはいなかった。

李斯と姚賈が、韓非の能力を恐れて、謗って進言した。
「韓非は韓の諸公子です。今、王は諸侯を併合して天下を得ようとなさっております。
韓非はきっと韓の存続のために働き、秦のためには働かないでしょう。これは人情です。
今、王が韓非を用いずに長く秦に留め置き、そのまま韓に帰したなら、きっと遺恨を残しましょう。
過酷な法によって韓非を誅殺してしまうのがよろしいでしょう」と。

秦王はその通りだと思い、役人に命じて韓非を糾弾させた。
李斯は人をやって韓非に毒薬を送り、自殺するよう促した。
韓非はみずから陳述しようとしたが、秦王に謁見することはできなかった。

秦王は後から後悔し、人をやって韓非を赦させようとしたが、韓非はすでに死んでしまっていた。


申不害も韓非も皆、書を著して後世に伝えた。
それを学ぶ者も多い。
私はひとり、韓非先生が説難篇を著したのに、みずからその難しさから脱することができなかったことを悲しむのである。


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史記 韓非伝 (太田方「韓非子翼毳」より) 書き下し文

史記 韓非伝 (太田方「韓非子翼毳」より)

・書き下し文

韓非は韓の諸公子なり。
刑名法術の学を喜(この)み、其の帰は黄老に本づく。
非、人となりは口吃、道説する能わず。
而して善く書を著す。
李斯と倶に荀卿に事(つか)へ、斯、自ら非に如かずとおもへり。

非、韓の削弱せらるを見て、しばしば書を以て韓王を諫む。
韓王用ふる能わず。
是において韓非、国を治むるに其の法制を修明し、勢を執って以て其の臣下を御し、国を富まして兵を強うし、以て人を求め、賢を任ずるを務めずして、反(かえっ)て浮淫(ふいん)の蠧(と)を挙げて、而して之を功実の上に加ふるを疾み、おもへらく儒者は文を用ひて法を乱り、而して侠者は武を以て禁を犯す。
寛なれば則ち名誉の人を寵し、急なれば則ち介胄の士用ふ。
今は養ふ所は用ふる所に非ず。用ふる所は養ふ所に非ず。

廉直の邪枉(じゃおう)の臣に容れられざるを悲しみ、往者(おうしゃ)得失の変を観る。
故に孤憤、五蠧、内外儲、説林、説難、十余万言を作る。

然れども韓非、之を説くに難きを知りて、説難を為(つく)り、書、甚だ具(そなわ)る。
終に秦に死し、自ら脱する能わざりき。

説難に曰く、
(中略:説難篇)

人、或は其の書を伝へて秦に至る。
秦王、孤憤、五蠧の書を見て曰く、嗟乎、寡人此の人を見、之と遊ぶを得ば、死すとも恨みず、と。
李斯曰く、此れ韓非の著せる所の書なり、と。

秦、因りて急に韓を攻む。
韓王、始めは非を用いず。
急なるに及んで迺(すなわ)ち、非を遣して秦に使せしむ。

秦王、之を悦び、未だ信用せず。
李斯、姚賈、之を害とし、之を毀(そし)りて曰く、
韓非は韓の諸公子なり。
今、王、諸侯を併せんと欲す。
非、終に韓の為にし、秦の為にせざらん。
此れ人の情なり。
今、王、用ひずして久しく留めて之を帰さば、此れ自ら患を遺すなり。
過法を以て之を誅せんに如かず、と。

秦王以て然りと為し、吏に下して非を治せしむ。
李斯、人をして非に薬を遣らしめ、自殺せしむ。
韓非、自ら陳せんと欲するも、見ることを得ざりき。

秦王、後に之を悔い、人をして赦さしめしに、非、已に死せり。


申子、韓子、皆、書を著して後世に伝ふ。
学ぶ者、多く有り。
余、独り、韓子説難を為(つく)りて自ら脱する能わざりしを悲しむのみ。


(注)
・ 書き下し文中の ( ) 内は、読みにくい漢字に対して、石川が読み仮名をふった。
・ 途中に挿入されている「説難」篇の部分は割愛した。
・ 文章の意味が通り易いように、適宜、句読点を補った。


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プロフィール

韓非子 集中講義 石川 武志

Author:韓非子 集中講義 石川 武志
東洋大学中国哲学文学科に学ぶ。
中国学を志して、およそ20年。
専門は韓非子を中心に、古代中国における諸子百家の思想、哲学。
春秋戦国時代の法家、韓非子の翻訳、研究と解説。
韓非子集中講義主宰。

通背拳の伝承、指導。
日本白猿通背拳研究会を設立。

儒学者、近藤篤山の研究。
第二十四号 論語指導士
(論語教育普及機構認定)
http://p-kies.net/rongo/#r1/

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