史記 韓非伝 (太田方「韓非子翼毳」より) 現代語訳

史記 韓非伝 (太田方「韓非子翼毳」より)

・現代語訳

韓非は韓の諸公子である。
刑名・法術の学問を好み、黄帝・老子の道を根本とした。
韓非は生まれつき吃音で、充分に議論を尽くすことができなかった。
しかし、よく書を著した。
李斯と共に荀卿(荀子)に師事したが、李斯は、自分は韓非には及ばない、と思っていた。

韓非は、韓が領地を削り取られ、弱められているのを見て、しばしば書をしたためて韓王を諫めた。
韓王はそれを用いることができなかった。
そこで韓非は、国を治めるにあたって、法律制度を明らかにし、権勢を掌握して臣下を制御し、国を富ませて兵を強くし、人材を求め、賢人を任用する、ということに務めず、かえって、ふらふらとした虫けらの如き小人を挙用して、実際に功績のある人の上位に置く、という状態を憂慮し、
~韓非は「儒者は文を用いて法を乱し、任侠者は武力によって禁令を犯すものである。平時は名声のある者を寵遇し、非常時には武人を用いる。今、養っている者たちは非常時に用いる者たちではない。非常時に用いる者たちは今養っている者たちではない」と考えていた。~
廉直の士は邪な臣下に妨げられて用いられないことを悲しみ、過ぎ去った時代の得失の変遷を観察した。

ゆえに、孤憤、五蠧、内外儲、説林、説難、など十余万字におよぶ書を著した。
しかし韓非は、これを君主に説くことの難しさを知って、説難篇を著し、その所に詳しく述べた。
しかし最後には秦で死に、みずからその難しさから脱することはできなかった。

説難篇に言う、(中略:説難篇)

ある人が、韓非の書を秦に伝えた。
秦王は、孤憤、五蠧の篇を見て言った。
「ああ、私はこの著者に会い、交際することができるなら、死んでも悔いはない」と。
李斯が言った。
「これは韓非が著したものです」と。

そこで秦は突然、韓に攻め込んだ。
韓王は、はじめは韓非を用いなかった。
しかし事態が性急となるに至り、韓非を使者として秦に遣わせた。
秦王はこれを悦んだが、まだ韓非を信用してはいなかった。

李斯と姚賈が、韓非の能力を恐れて、謗って進言した。
「韓非は韓の諸公子です。今、王は諸侯を併合して天下を得ようとなさっております。
韓非はきっと韓の存続のために働き、秦のためには働かないでしょう。これは人情です。
今、王が韓非を用いずに長く秦に留め置き、そのまま韓に帰したなら、きっと遺恨を残しましょう。
過酷な法によって韓非を誅殺してしまうのがよろしいでしょう」と。

秦王はその通りだと思い、役人に命じて韓非を糾弾させた。
李斯は人をやって韓非に毒薬を送り、自殺するよう促した。
韓非はみずから陳述しようとしたが、秦王に謁見することはできなかった。

秦王は後から後悔し、人をやって韓非を赦させようとしたが、韓非はすでに死んでしまっていた。


申不害も韓非も皆、書を著して後世に伝えた。
それを学ぶ者も多い。
私はひとり、韓非先生が説難篇を著したのに、みずからその難しさから脱することができなかったことを悲しむのである。


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ジャンル : 学問・文化・芸術

史記 韓非伝 (太田方「韓非子翼毳」より) 書き下し文

史記 韓非伝 (太田方「韓非子翼毳」より)

・書き下し文

韓非は韓の諸公子なり。
刑名法術の学を喜(この)み、其の帰は黄老に本づく。
非、人となりは口吃、道説する能わず。
而して善く書を著す。
李斯と倶に荀卿に事(つか)へ、斯、自ら非に如かずとおもへり。

非、韓の削弱せらるを見て、しばしば書を以て韓王を諫む。
韓王用ふる能わず。
是において韓非、国を治むるに其の法制を修明し、勢を執って以て其の臣下を御し、国を富まして兵を強うし、以て人を求め、賢を任ずるを務めずして、反(かえっ)て浮淫(ふいん)の蠧(と)を挙げて、而して之を功実の上に加ふるを疾み、おもへらく儒者は文を用ひて法を乱り、而して侠者は武を以て禁を犯す。
寛なれば則ち名誉の人を寵し、急なれば則ち介胄の士用ふ。
今は養ふ所は用ふる所に非ず。用ふる所は養ふ所に非ず。

廉直の邪枉(じゃおう)の臣に容れられざるを悲しみ、往者(おうしゃ)得失の変を観る。
故に孤憤、五蠧、内外儲、説林、説難、十余万言を作る。

然れども韓非、之を説くに難きを知りて、説難を為(つく)り、書、甚だ具(そなわ)る。
終に秦に死し、自ら脱する能わざりき。

説難に曰く、
(中略:説難篇)

人、或は其の書を伝へて秦に至る。
秦王、孤憤、五蠧の書を見て曰く、嗟乎、寡人此の人を見、之と遊ぶを得ば、死すとも恨みず、と。
李斯曰く、此れ韓非の著せる所の書なり、と。

秦、因りて急に韓を攻む。
韓王、始めは非を用いず。
急なるに及んで迺(すなわ)ち、非を遣して秦に使せしむ。

秦王、之を悦び、未だ信用せず。
李斯、姚賈、之を害とし、之を毀(そし)りて曰く、
韓非は韓の諸公子なり。
今、王、諸侯を併せんと欲す。
非、終に韓の為にし、秦の為にせざらん。
此れ人の情なり。
今、王、用ひずして久しく留めて之を帰さば、此れ自ら患を遺すなり。
過法を以て之を誅せんに如かず、と。

秦王以て然りと為し、吏に下して非を治せしむ。
李斯、人をして非に薬を遣らしめ、自殺せしむ。
韓非、自ら陳せんと欲するも、見ることを得ざりき。

秦王、後に之を悔い、人をして赦さしめしに、非、已に死せり。


申子、韓子、皆、書を著して後世に伝ふ。
学ぶ者、多く有り。
余、独り、韓子説難を為(つく)りて自ら脱する能わざりしを悲しむのみ。


(注)
・ 書き下し文中の ( ) 内は、読みにくい漢字に対して、石川が読み仮名をふった。
・ 途中に挿入されている「説難」篇の部分は割愛した。
・ 文章の意味が通り易いように、適宜、句読点を補った。


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韓非子 喩老

天下に道があり、危急な困難もなければ、世は静であると言い、駅伝の早馬を用いるようなことは起こらない。
ゆえに老子は言うのである。
早馬として用いずに田畑を耕すために用いる、と。

天下に道がなければ、戦争は止まず、国防すること数年に及び、甲冑には虱がわき、帷幄の中に燕や雀が巣を作り、しかも兵士は帰郷することもできない。
ゆえに老子は言うのである。
軍馬を君主の近臣から出さねばならない、と。


翟の人で大きな狐と黒豹の毛皮を晋の文公に献上した者がいた。
文公はその客の毛皮を受けて嘆いて言った。
この毛皮の美しさのせいでその身の禍となったのだ、と。

国を治める者が、名誉称号を求めたせいで身に禍したのは、徐の偃王がそうである。
城や土地を求めたせいで身に禍したのは、虞と虢の君がそうである。
ゆえに老子は言うのである。
罪は欲望よりも大きいものはない、と。


智伯は、范氏と中行氏を併合して趙を攻め、戦をやめずに続けたので、韓と魏が反き、智伯の軍は晋陽で敗れ、その身は高梁の東で死に、国は分けられ、その首は漆で塗られて酒器にされた。
ゆえに老子は言うのである。
禍は満足することを知らないことよりも大きいものはない、と。


虞君は屈の名馬四頭と垂棘の壁玉を欲しがり、宮之奇の諫言を聴かなかった。
ゆえに国は亡び、その身は死んだ。
ゆえに老子は言うのである。
咎は物を得ようとすることよりも痛ましいものはない、と。


国は存続していることが普通なのであり、覇王となるのはその上でのことである。
身は生きることが普通なのであり、富貴になるのはその上でのことである。
みずから自分を害することを欲しなければ、その国は亡びず、身は死なないだろう。
ゆえに老子は言うのである。
足るを知ること、これを満足すると言うのだ、と。


楚の荘王が晋に河雍で勝ち、帰って孫叔敖を賞した。
孫叔敖は漢水流域の砂や石ころばかりの地を請うた。
楚の国の法では、臣に禄を与えると孫の世代には没収することになっているが、ただ孫叔敖のみそのままであった。
国にその土地が没収されなかったのは、土地が痩せていたからである。
ゆえに九代ののちも先祖の祭祀が絶えることはなかった。
ゆえに老子は言うのである。
しっかり建てれば抜けず、しっかり抱えれば脱落せず、子孫は祭祀が代々絶えることはない、と。
孫叔敖のことを言ったのである。


統制の権力が己にあるのを重といい、己の地位を離れないのを静という。
重であれば軽を使うことができ、静であれば躁を使うことができる。
ゆえに老子は言うのである。
重は軽の根であり、静は躁の君となる、と。

ゆえにまた、老子は言うのである。
君子は終日旅をしても輜重から離れない、と。

国は君主にとっての輜重である。
趙の主父は生きているうちに国を子に譲った。
これはその輜重から離れたことになる。
ゆえに代や雲中の地を楽しんでいたが、すでに趙の国を失っていたのである。

主父は万乗の国の君主でありながら、その身をもって天下を軽々しく扱った。
威勢を無くしたことを軽といい、地位を離れたことを躁という。
こうして主父は生きながら幽閉されて死んでしまった。
ゆえに老子は言うのである。
軽であれば臣を失い、躁であれば君位を失う、と。
主父のことを言ったのである。


権勢が重いのは、君主にとっての淵である。
君主たる者が、権勢を臣下に対して失えば、再び取り戻すことはできない。
斉の簡公は権勢を田成子に奪われ、晋公は権勢を六卿に奪われ、国は亡び、その身は死んだ。
ゆえに老子は言うのである。
魚は深淵から抜け出してはいけない、と。


賞罰は国の鋭利な武器である。
君主にそれがあれば臣下を制することができ、臣下にそれがあれば君主に勝つことができる。
君主が賞しようと示せば、臣下は君主の賞を少なく見せかけて自分の恩徳を売り、君主が罰しようと示せば、臣下は君主の罰を重く見せかけて自分の権威を示す。
君主が賞を示すと、臣下はその権勢を利用し、君主が罰を示すと、臣下はその権威に便乗する。
ゆえに老子は言うのである。
国の鋭利な武器は、人に見せてはならない、と。


越王勾践は呉に敗れて呉王夫差のもとへ入朝して仕えた。
そして呉王に斉を伐つように勧め、呉を疲弊させようとした。
呉の兵が既に斉の兵と戦って艾陵で勝つと、長江から済水にかけて威勢を張り、黄地で会盟を開き、強大さを示した。
ゆえに越は五湖の地で呉を制圧することができた。
ゆえに老子は言うのである。
これを縮めたいと思えば、まずこれを張ってやれ。
これを弱めたいと思えば、まずこれを強くしてやれ、と。


晋の献公は虞を攻めようとして、まず玉璧と馬を贈った。
智伯は仇由を攻めようとして、まず大きな車を贈った。
ゆえに老子は言うのである。
これを取ろうと思えば、まず与えよ、と。


まだ形に現れないときに事を起こして、大きな成功を天下に得ようとする。
これを微明という。
弱小の立場にいて、さらにみずからへりくだることを、老子は弱が強に勝つ、という。

形ある物は、大は必ず小から始まる。
長く存続する物は、多いものは必ず少ないものから始まる。
ゆえに老子は言うのである。
天下の難事は必ず易しいことから始まり、天下の大事は必ず微細なことから始まる、と。

このことから物事をうまく制しようとするなら、それが微細なうちに処理する。
ゆえに老子は言うのである。
難しいことはそれが易しいうちから計り、大きいことはそれが微細なうちから処理する、と。

千丈の堤も蟻や螻蛄のあけた小さな穴から潰れ、百尺の家も小さな隙間から入った煙がもとで焼けてしまう。
ゆえに白圭が堤を巡るのに、小さな穴を塞ぎ、老人が火を用心するのに、壁の隙間を塗る。
これによって白圭が巡れば水害は無く、老人が用心すれば火災は無い。
これらは皆、易しいうちに注意をして難しくなるのを避け、微細なうちに用心して大きくなるのを防ぐ者である。


医者の扁鵲が蔡の桓侯にまみえた。
立ったまましばらくして扁鵲は言った。
君には病がおありです。それは皮膚の表面におありです。治療しなければ深くなるでしょう、と。
桓侯は言った。
私に病など無い、と。
扁鵲は退出した。
桓侯は言った。
医者の物好きよ。病でもないのに治したと言って自分の功績にしようとしておるのだ、と。

それから十日が過ぎた。
扁鵲はふたたびまみえて言った。
君の病は皮膚の中におありです。治療しなければますます深くなるでしょう、と。
桓侯は返事をしなかった。
扁鵲は退出した。
桓侯は不機嫌であった。

それから十日が過ぎた。
扁鵲はふたたびまみえて言った。
君の病は胃腸におありです。治療しなければますます深くなるでしょう、と。
桓侯は返事をしなかった。
扁鵲は退出した。
桓侯は不機嫌であった。

それから十日が過ぎた。
扁鵲は桓侯を遠くから見て、走り逃げ帰った。
桓侯は人をやって問わせた。
扁鵲は言った。
病が皮膚の表面にあるうちは、湯の湿布で治りました。
皮膚の中にあるうちは、針をうつことで治りました。
胃腸にあるうちは、煎じ薬で治りました。
骨髄に至ってしまえば、司命の関わる領域です、と。

それから五日が過ぎた。
桓侯は体が痛んだ。
人をやって扁鵲を探させたが、すでに秦へ逃げてしまっていた。
桓侯はとうとう死んでしまった。

ゆえに良医が病を治すには、まず皮膚の表面のうちに手を打つ。
これは皆、物事が小さいうちに片付ける、というのである。

物事の禍福にもまた皮膚の表面のような時がある。
ゆえに聖人は早く物事にあたるのである。


昔、晋の公子重耳が亡命した。
その途中、鄭に立ち寄ったが、鄭君は礼遇しなかった。
叔瞻が諫めて言った。
これは賢明な公子です。ご主君は手厚くもてなし、恩を売っておくのがよろしいでしょう、と。
鄭君は聴き入れなかった。
叔瞻はまた諫めて言った。
手厚くもてなすのでなければ、殺してしまった方がよろしいでしょう。後の禍となってはいけません、と。
鄭君はまた聴き入れなかった。
公子重耳が晋へ帰り君主となったとき、兵を挙げて鄭を伐ち、大いに破って八城を奪い取った。


晋の獻公が垂棘の璧を贈って虞に道を借りて虢を伐とうとした。
虞の大夫宮之奇が諫めて言った。
いけません、脣亡びて歯寒し、とあるように、虞と虢は互いに救っても恩を受け合わない間柄です。今日、晋が虢を滅ぼしてしまえば、明日には虞もこれに従って亡びるでしょう、と。
虞君は聴き入れず、その璧を受け取り、晋に道を貸した。
晋は虢を取って、その帰りに虞を滅ぼした。


この二臣は皆、皮膚の表面のうちに片付けようとしたのである。
しかし二君は用いなかった。
そうであるなら、叔瞻、宮之奇は、虞や鄭にとっての扁鵲である。
しかも二君は聴き入れなかった。
ゆえに鄭は敗れ、虞は亡んだ。
ゆえに老子は言うのである。
物事が安定しているうちは持ち易く、物事がまだ起こらないうちは謀り易い、と。


昔、紂が初めて象牙で箸を作ったとき、箕子は恐れた。
思うに、象牙の箸は必ず土器の碗には用いず、犀の角や玉の杯を用いるようになるだろう。
象牙の箸に玉の杯を使うならば、必ず豆や豆の葉の汁物に使わず、必ず牛や象の肉や豹の腹子といったものに使われるだろう。
牛や象の肉や豹の腹子を使うならば、必ず丈の短い粗衣を着て、茅葺屋根の下に座って食うことはせず、錦の衣を九重に着て、広い室や高台に座るようになるだろう。
私はそうして贅沢な結果になることを恐れる。
だからその始まりとなる象牙の箸を見て恐れるのだ、と。

そうして五年が経つと、紂は肉の畑を作り、焙烙を設け、酒粕の丘に登り、酒池を臨んで、紂はとうとう亡んでしまった。
箕子は象牙の箸を見て、天下の禍を知ったのである。
ゆえに老子は言うのである。
小を見抜くことを明であると言う、と。


越王句践は呉に入朝して、みずから盾と戈を取って呉王の先駆けとなった。
ゆえに姑蘇で夫差を殺すことができた。
周の文王は玉門で罵られたが、顔色を変えなかった。
それで子の武王が牧野で紂を捕らえることができた。

ゆえに老子は言うのである。
柔を守ることを強という、と。

越王が覇者となったのは夫差の臣となることを気に病まなかったからである。
武王が王となったのは罵られることを気に病まなかったからである。
ゆえに老子は言うのである。
聖人は病むことがないのは、気に病まないからであり、これによって病むことがないのである、と。


宋の田舎者が璞玉を手に入れて子罕に献上した。
子罕は受け取らなかった。
田舎者は言った。
これは宝ですよ、君子の器をお持ちのお方がお持ちになるのがよろしく、卑しい人が用いるようなものではございません、と。
子罕は言った。
そなたは玉を宝だと思っているが、私はそなたの玉を受け取らないことを宝だと思っているのだ、と。
これは田舎者は玉を欲しがり、子罕は玉を欲しがらなかったのである。
ゆえに老子は言うのである。
物を欲しないことを欲し、得難い物を貴ばない、と。


王寿が書物を背負って歩いていると、周へ行く道で徐馮と出会った。
徐馮が言った。
事は人の行為である。行為とは時に応じて行うのであり、時に応じるということは一定であるということなどない。
書物は言葉で書かれている。言葉は知恵から生まれる。ゆえに知者は書物を蔵したりしないのである。
今、そなたは書物を背負って行くのか、と。
そこで王寿はその書物を焼き捨て、喜んで舞った。

ゆえに知者は言論で人に教えたりせず、書物を箱に蔵したりしない。
これは世の人々の行き過ぎたことであり、王寿はもとに復ったのである。
これは学ばないということを学んだのである。
ゆえに老子は言うのである。
学ばないということを学び、大衆の行き過ぎたことをもとに戻す、と。


物には決まった形がある。
そこでそれに応じて導く。
こうして物の形に従う。
ゆえに静かなときは物の本質を固め、動くときは自然の道理に順う。

宋の人で、君主のために象牙で楮の葉を作った者がおり、三年かかって完成した。
葉の厚いところ、薄いところ、茎と枝、葉の縁の様子や色つやなど、本物の楮の葉の中に混ぜても、区別がつかなかった。
この人はその功績によって宋の国の俸禄を受けた。
列子はこれを聞いて言った。
天地の自然が三年かかって一枚の葉を作るということなら、葉がある植物は少ないであろう、と。

ゆえに天地の自然の資質に頼らずに、ひとりの力に頼り、道理の決まりに随わずに、ひとりの智恵に学ぶというのでは、みなこの一枚の葉を作る行為と同じである。
ゆえに、冬に田を耕しても、農神、后稷でも豊かにすることはできず、豊年の豊かな稔りは蔵獲でさえも悪くすることはできない。
ひとりの力に頼ったのでは、后稷であっても足らず、自然に隨えば、蔵獲でもあり余る。
ゆえに老子は言うのである。
万物の自然を恃み、みずからことさらにしないのである、と。


耳目鼻口などの人体の穴は神明の戸口である。
耳目が美しい音や色に疲れ果て、精神が外側に出尽くすと、体の内側に主がいなくなる。
内側に主がいなくなれば、禍福が山のようにやってきても、それに気づくことはできない。
ゆえに老子は言うのである。
戸を出ずに天下の情勢を知ることができ、窓から伺わずに天の道がわかる、と。
これを神明が体内から離れ出ていないことを言ったのである。


趙襄主は馬の御し方を王子於期に学んだ。
あるとき急に於期と競争をした。
三度馬を取り替えたが、三度とも敗れた。
襄主は言った。
そなたは私に御し方を教えたが、その技術を教え尽くしておらぬな、と。
答えて言った。
技術はすでに教え尽くしました。その用い方を間違えたのです。
御し方で貴ぶべきことは、馬の体が馬車に添い、人の心が馬と同調し、そうなってはじめて速く遠くまで走るようになるのです。
しかし今、ご主君は、遅れれば私に追いつこうとし、先に進めば私に追いつかれることを恐れておいでです。
道を進んで遠くまで競争すれば、先に進むのでなければ後になるのです。
しかしご主君は先に進んでも後になってもその心は私を気にしておられる。
これでどうして馬と同調できましょうか。
これがご主君お負けになった原因でございます、と。


楚の白公勝は反乱を企てていた。
朝廷から退出するとき、杖を逆さに立てて顎を乗せて思案した。
杖の鋭い先端がその顎を貫き、血が流れて地に至るも気づかなかった。
鄭の人がこれを聞いて言った。
自分の顎をも忘れてしまった。
一体他に何を忘れないでいられようか、と。

ゆえに老子は言うのである。
遠くに出れば出るほど、知ることはますます少なくなってゆく、と。

智恵を遠くに行き渡らせると、身近なことは忘れてしまうのである。
ゆえに聖人は決まった行動をとらないので、広く知ることができる。
ゆえに老子は言うのである。
出て行かずに知ることができる、と。

また広く見ることもできる。
ゆえに老子は言うのである。
見ないでも明らかに見抜く、と。
時に応じて物事を行い、自然の材料を用いて功績を立て、万物の能力を活かして、そこから利益を得る。
ゆえに老子は言うのである。
何も為さずに全てを成し遂げる、と。


楚の荘王は位について三年が経った。
その間、法令を発することもなく、政治も行わなかった。
右司馬が玉座に侍して王に謎かけをした。
鳥が南方の丘にとまっております。
三年間、羽ばたきもせず、飛びもせず、鳴きもせず、黙って声も出しません。
これは何という鳥でしょうか、と。

王は言った。
三年間羽ばたきをしないのは、羽を長く伸ばそうとしてのことである。
飛ばず、鳴かないのは、民の様子を見ようとしてのことである。
飛ばないと言っても、ひとたび飛べば必ず天に至るだろう。
鳴かないと言っても、ひとたび鳴けば必ず人々を驚かせるだろう。
そなたは私のことなど捨て置くがよい。
私はこのことをよく承知しておる、と。

それから半年が過ぎると、王はみずから政治を行なった。
廃止したものが十、新たに設けたものが九、誅した大臣が五、登用した処士が六、国は大いに治まった。
挙兵して斉を誅し、これを徐州で破り、晋に河雍で勝ち、諸侯を宋に集めて会し、ついに天下に覇を唱えた。

荘王は小善を行わず、大きな名声を成した。
早く世に出ようとせず、大きな功績を挙げた。
ゆえに老子は言うのである。
大器はなかなか成らず、大音は聞き取れない、と。


楚の威王が越を伐とうとした。
杜子が諫めて言った。
王はなぜ越を伐つのですか、と。
王は言った。
政治が乱れて兵が弱いからだ、と。

杜子は言った。
私は、智恵が目のようであることを心配しているのです。
目は百歩先のものを見ることができますが、自分の睫毛を見ることはできません。
王の兵は、秦と晋に敗れて、数百里の土地を失いました。
これは兵が弱いということです。
荘蹻が国内で盗みを働いているのに、役人は捕らえることができません。
これは政治が乱れている、ということです。
王の、兵は弱く政治が乱れている、というのでは、越と変わりありません。
越を伐とうとなさるので、智恵は目のようである、と言うのです。

王は越を攻めることをやめた。
ゆえに知ることが難しいのは、他人を見ることではなく、みずからを見ることにあるのである。
ゆえに老子は言うのである。
自分で自分を見抜くのを明という、と。


子夏が曾子に会った。
曾子は言った。
どうしてそんなに太ったのですか、と。
答えて言った。
戦に勝ったからです、と。
曾子は言った。
どういう意味ですか、と。

子夏は言った。
私は家にいるときは、古の聖王の道を学んでいると、これを光栄だと思い、外にいるときは、富貴の楽しさを見ると、またこれを光栄だと思うのです。
この二つの思いが胸中で戦い、いまだに勝負がつきません。
ゆえに痩せました。
しかし今、古の聖王の道を学ぶことが勝ちました。
ゆえに太ったのです、と。

このように志を貫くことの難しさは、他人に勝つことではなく、自分に勝つことにある。
ゆえに老子は言うのである。
自分にうち勝つことを強という、と。


周に玉版があった。
殷の紂王は膠鬲を使ってこれを求めさせた。
周の文王は与えなかった。

費仲が来て求めた。
すると文王はこれを与えた。
これは膠鬲が賢者であり、費仲が無道者であったからである。

周としては、紂王に賢者の志を採用されるのを嫌ったので、費仲に与えたのである。

文王が太公望を渭水のほとりで登用したのは、これを貴んだからである。
しかし費仲に玉版を与えて助けたのは、これを愛したからである。
ゆえに老子は言うのである。
その師を貴ばず、その資を愛さないのであれば、知恵があるといえども大いに迷うであろう。
これを要妙というのである、と。



テーマ : 中国古典・名言
ジャンル : 学問・文化・芸術

韓非子 解老

徳とは人の内面のことであり、得とは人の外面のことである。
老子のいう「上徳は徳ならず」とは、得ならず、であり、その精神が外面のことに誘惑されないことをいうのである。
精神が外面のことに惑わされなければ、その身は完全に保たれるだろう。
その身が完全に保たれる状態を徳というのである。
徳とはその身に得たもののことである。

およそ徳とは、無為であることで身につき、無欲であることによって成し得るものであり、何も考えないことによって、その身は安泰となり、何も用いないことによって確かなものとなる。
欲を出し、物事を成そうとすれば、徳は身につくことはなく、徳が身につかなければ、その身は完全に保たれることはない。
何かを思い、何かを用いれば、その身は確かなものとならず、その身が確かなものにならなければ、何の功績もあげられないだろう。
功績がないというのは、得のために生じる。
得しようとすれば徳は身につかず、得しようとしなければ徳が身につく。

ゆえに老子は言うのである。
上徳は徳ならず、つまり、得ならず、であることによって徳は保たれる、と。


何も為すことなく、思慮することなく、虚心でいることを貴ぶのは、その意思が他に支配されなくなるからである。
かの術を心得ない者は、ことさらに何も為さず思慮しないで虚心でいようとする。
かのことさらに何も為さず思慮しないで虚心でいようとする者は、その意思が常に虚心であろうとすることを考え、虚心をなそうとすることに支配されてしまっているのである。

虚心とは、その意思が何者にも支配されない状態を言うのである。
今、虚心になるために虚心になるという意思に支配されては、これは虚心ではないのである。
虚心となった者が何も為さずにいるさまは、何も為さないことを常のあり方とはしていない。
何も為さないことを常のあり方とはしていなければこそ虚心である。
虚心であれば徳は大きくなる。
その徳が大きくなったものを上徳というのである。

ゆえに老子は言う。
上徳は何も為さずにいて、しかも何ごとをも為しとげるのである、と。


仁とは、心の底から喜んで人を愛することをいうのである。
その人に福があることを喜び、その人に禍があることを憎むさまは、心の抑えきれない気持ちから生じるのであり、報酬を期待してのことではないのである。

ゆえに老子は言うのである。
上仁は、これを行なっても、行なっていないのである、と。


義とは、君臣、上下の関係のことである。
父子、貴賤の差別であり、知人友人の交際に関係し、親しいと疎遠、内外の区別である。
臣下が君主に適切に仕え、身分の賤しい者が身分の高貴な者を適切に敬い、知人友人が適切に助け合い、親しい者は内に、疎遠な者は外にと適切に区別する。
義とはその適切なことをいうのである。
適切な関係で物事を為すのである。

ゆえに老子は言うのである。
上義はこれを行なって、しかも目的を持って行うのである、と。


礼とは内心を形としてあらわすためのものであり、様々な義を修飾するものであり、君臣、父子の交わり方であり、貴賤、賢愚を区別するためのものである。
内心で相手を慕っても相手には通じない。
そこで小走りに進み、身を低くして拝礼することで、その内心を明らかにする。
真心から愛しても相手には知られない。
そこで言葉を美しくし、口数を多くして、その愛情を伝える。
礼は外面を飾って内心をあらわすものである、と。

ゆえに老子は言うのである。
礼とは内心を形としてあらわすためのものである、と。


しかし、人は外からの物によって動くものであり、我が身のために行うものであるということを知らないのである。
多くの人々が礼を行うのは、相手を尊ぶためである。
ゆえに時に励み、時に怠る。

君子が礼を行うのは、我が身ためである。
我が身のために行うので、心を信にしてあらわすことを上礼とする。
上礼は信なるものであるのに、多くの人々の礼には表裏がある。
ゆえに上礼と多くの人々の礼とは相通ずることはできない。

相通ずることができないので、老子は言うのである。
上礼は、行なっても、返ってくるものはない、と。

多くの人々の礼に表裏があるといえども、聖人は恭敬をくり返し行い、手足を動かして礼を尽くすのは衰えることがない。
ゆえに老子は言うのである。
袖をふるって礼に依る、と。


道を積み重ねて、その積み重ねによって功績が現れてくる。
徳とは道の積み重ねにいって得られる功績なのである。
功績が充実すると光り輝く。
仁とは徳の光なのである。
その光には光沢があり、光沢は様々な物事を照らす。

義とは仁が照らし出した物事なのである。
その物事には礼の区別があり、礼には飾りがある。
礼とは義を飾るものである。

ゆえに老子は言うのである。
道が失われると徳が失われ、徳が失われると仁が失われ、仁が失われると義が失われ、義が失われると礼が失われる、と。


礼とは心の内を形に現したものであり、文とは実質を飾るものである。
そもそも君子は心の内を取り上げて形を捨て去り、実質を好んで飾りを嫌うのである。
つまり、形を恃んで心の内を論じるのは、その心の内が醜いからである。
飾りを恃んで実質を論じるのは、その実質が弱いからである。
何故そう言えるのかを論じる。

和氏の璧は、五色で飾ったりはしない。
隋侯の珠は、金銀で飾ったりはしない。
その実質が最も美しく、何物をもってもこれを飾る必要がない。
飾り立ててから始めて出されるようなものは、その実質が美しくないからである。

こうしたことから、父子の間では、その礼は素朴であって明確ではない。
ゆえに老子は言うのである。
礼とは薄いものだる、と。


およそ物ごとは並び栄えることはない。
陰と陽がそれである。

道理として、奪うこともあれば与えることもある。
刑罰と賞がそれである。

実質が充実しているものは外側の形は簡素になる。
父子の礼がそれである。

これらのことから見ると、礼が繁雑なのは心の内が貧弱だからである。
そうならば、礼を行うとは、人の純朴な心を相手に通じるようにするためのものである。
ところが、多くの人が礼を行うさまは、相手が応じて返礼すれば軽々しく歓び、応じず返礼しなければ責め、怨む。

今、礼を行うのは、人の純朴な心を通じるようにするためであるのに、これをもとにして互いに責め合う材料とする。
これで争わないわけがない。
争いが起これば世は乱れる。

ゆえに老子は言うのである。
かの礼は忠信が薄くなったものであり、世の乱れの始まりである、と。


物ごとに先立って行い、自然の理に先立って動く。
これを前識という。
前識とは根拠もなくでたらめに推量することである。
何故そう言えるのか。

楚の詹何が室に座しており、弟子が側に控えていたとく、牛が門の外で鳴いた。
弟子が言った。
あれは黒い牛で、白い額です、と。
詹何は言った。
そうだ、あれは黒い牛だ。
だが白いのはその角だろう、と。
人をやって牛を見に行かせた。
果たして黒い牛であり、白い布でその角を包んでいた。

こうした詹子の透視の術が、多くの人々の心に触れると、知識がはっきり得られず危うい。
ゆえに老子は言うのである。
道の無駄花である、と。


もしも詹子の透視の術を用いずに、小さな童子を門の外へ見に行かせれば、黒い牛で、布で角を包んでいるということがわかる。
つまり詹子の透視の術を用いるに、詹子が精神をすり減らして透視するのも、小さな童子が門の外に見にいくのと、同じ結果になる。
このことから、愚の始まりだと言うのである。

ゆえに老子は言うのである。
前識とは道の無駄花であり、愚の始まりである、と。


いわゆる大丈夫とは、その智恵が深い人を言うのである。
いわゆる厚い処におり、薄い処にいない、とは、心の実情の通りに行って、飾り立てた儀礼を取り去ることである。
いわゆる実におり、華にいない、とは、必ず理にかなうやり方をして、ひとつ飛ばしなやり方をしないのである。
いわゆる彼を避けて此を取る、とは、飾り立てた儀礼や、ひとつ飛ばしなやり方をせずに、理にかなったやり方をし、心の実情の通りに行うのである。

ゆえに老子は言うのである。
彼を避けて此を取る、と。


人は、禍が起こると心は恐れ、心が恐れれば行動はまっすぐになり、心がまっすぐになれば思慮深くなり、思慮深くなれば物事の理を得られる。
行動がまっすぐであれば禍を受けず、禍を受けなければ天寿を全うする。
物事の理を得れば必ず成功し、天寿を全うすれば全くもってめでたく、必ず成功すれば富貴を得られる。
天寿を全うし富貴を得られれること、これを福という。
そして福とは禍が起こることに基づいている。

ゆえに老子は言うのである。
禍は福の寄るところ、と。

これによって成功するのである。
人は、福があると富貴が得られ、富貴が得られると衣食が良くなり、衣食が良くなると心が驕り、心が驕ると行動が道を外れ、理に反くようになる。
行動が道を外れるとその身は横死し、行動が理に反くと成功もできない。
内には横死の危難があり、外には成功の功名を得られないというのは大禍である。
このように禍は福があることから生じる。

ゆえに老子は言うのである。
福は禍が潜むとこり、と。


もし自然の道理によって物事を行うなら、成し遂げられないものはない。
成し遂げられないものがなければ、大きくは天子の権勢と尊位を得て、小さくは大臣や将軍の賞や禄を容易く得られる。
もし自然の道理を捨てて軽挙妄動するなら、上は天子諸侯の権勢と尊位を得て、下は猗頓、陶朱、卜祝のような富があったとしても、なおその民を失い、その財産を失う。
多くの人々が軽々しく道理を捨てて、軽挙妄動するのは、禍福の関係が深く、道理がこれほど遠大であることを知らないからである。

ゆえに老子は人に諭して言うのである。
誰がその極致を知るだろうか、と。


人で富貴天寿を望まない者はおらず、しかもいまだ貧賤横死の禍を免れることができないでいる。
これでは自分自身がそこに至りたいと思っても、至ることはできないのである。
およそその至りたいところへの路を失って妄動することを、迷うと言う。
迷えば、その至りたいところに至ることはできないだろう。
今、多くの人々がその至りたいと思うところに至ることができない。
ゆえに老子は迷う、と言っている。

多くの人々がその至りたいと思うところに至ることができないのは、天地が分かれてより今に至る。
ゆえに老子は言うのである。
人が迷っていることは、その日数は言うまでもなく既に久しい、と。


いわゆる方とは、内心と外形が合い、言行が一致していることである。
いわゆる廉とは、生死を運命として、財貨に執着しないことである。
いわゆる直とは、行動が必ず公正で、心に偏りがないことである。
いわゆる光とは、官位爵禄が高貴で、衣服が壮麗なことである。

今、道を心得た士は、内外の人々に信頼され従われているとしても、苦しみ堕落した人を誹謗しない。
節義のために死に、財貨を軽んじるとしても、生活に疲れて節義を怠っている人を侮りもせず貪欲な人を辱めもしない。
端正で贔屓しないとしても、心が邪な人を追い払わず私利を求める人を罰しない。
権勢があり地位が尊く衣服が壮麗であっても、身分の低い人に驕らず貧しい人を侮ったりしない。
その理由は何故であろうか。

道を失った者に、智者に聴いて教えを請えば、迷わずにすむ。
今、多くの人々が功を成そうと思いながら、しかもかえって失敗する理由は、道理を知らず、あえて智者に問わず、能ある者の言うことを聴かないことから生じるのである。
多くの人々があえて智者に問わず、能ある者の言うことを聴かないのに、聖人がその禍や失敗を説いて人々を責めても、怨まれるだけであろう。
俗人は多く、聖人は少ない。
少ない者が多い者に勝てないのは、数の道理である。

今、自分が挙動して天下の仇となるのは、その身を全うし、長生するための方法ではない。
ゆえに、節度ある行動をして世に示すのである。
ゆえに老子は言うのである。
方であって割ではなく、廉であって劌ではなく、直であって肆ではなく、光であって耀ではない、と。


聡明や叡智は天性のものである。
行動や思慮は人の意志によるものである。
人とは、天の明によって見、天の聡によって聴き、天の智によって思慮するものである。
ゆえに見ることが強すぎると目はくもり、聴くことが強すぎると耳は塞がれ、思慮が度を越すと智恵が乱れる。
目がくもれば白黒の区別をつけることができない。
耳が塞がれれば、清濁の声を聴き分けることができない。
智恵が乱れれば、損得の所在を明らかにすることができない。

目が、白黒の区別をつけることができないことを盲と言う。
耳が、清濁の声を聴き分けることができないことを聾と言う。
心が、損得の所在を明らかにすることができないことを狂と言う。

盲であれば昼間の危険を避けることもできない。
聾であれば雷鳴の危害を知ることもできない。
狂であれば人間社会の法令を犯して罰せられる禍を免れることもできない。

老子の書に、人を治める、とあるのは、人としての行動の節度が適切で、思慮の消耗を省くということである。
天に事える、とあるのは、耳目の聡明の力を使い切らず、智恵の限りを尽くさないということである。
もしも聡明の力を尽くすなら、多くの精神を費やし、多くの精神を費やすならば、盲、聾、狂などの禍がもたらされるであろう。
ゆえにこれを嗇すのである。

これを嗇すとは、その精神を惜しみ、その智恵を大切にするということである。
ゆえに老子は言うのである。
人を治め天に事えるには、嗇に及ぶものはない、と。


多くの人々が精神を用いるさまは騒がしい。
騒がしければ消費が多い。
消費が多いのを侈という。

聖人が精神を用いるさまは静かである。
静かであれば消費は少ない。
消費が少ないのを嗇という。

嗇の道は道理から生じる。
精神を嗇に用いることができるということは、道理に従い、服するということである。
多くの人々は病を患い、禍に陥っても、なお退くことを知らず、道理に服従しない。
聖人は病や禍に出会わなくても、心を虚無にして道理に服従する。
これを蚤服と称する。

ゆえに老子は言うのである。
ただ嗇であること、これによって蚤服となる、と。


人を治めることを心得た者は、その思慮が静かである。
天に事えることを心得た者は耳目鼻口が虚空である。
思慮が静かであれば、身につけた徳を失うことはない。
耳目鼻口が虚空であれば、自然の調和の気が日ごとに体に入ってくる。
ゆえに老子は重積徳と言うのである。


身につけた徳を失わず、日ごとに新しく自然の調和の気を体に入れてゆくなら、蚤服の境地に至るだろう。
ゆえに老子は言うのである。
蚤服に至る、これを重積徳と言う、と。


徳を積み上げることで、精神は静かになる。
精神が静かになることで、心の調和が多くなる。
心の調和が多くを占めることで、物ごとの計画がうまくいく。
計画がうまくいくことで、万物を制御することができる。

万物を制御することができるなら、戦えば敵に勝つのも容易く、戦って敵に勝つのが容易ければ、その論説は世を覆うように皆に受け入れられる。
ゆえに老子は言うのである。
克たざるなし、と。


勝てないものはない、とは、重積徳に基づくものである。
ゆえに言うのである。
重積徳であれば勝てないものはない、と。
戦って敵に勝つのが容易ければ、天下を併合でき、論説が世を覆えば、人民は皆、従うであろう。
進んでは天下を併合し、退いても人民は従う。
しかもその道が深遠であれば、多くの人々はその一端をも見ることができない。
その一端をも見ることができなければ、その極意を知ることができる者などいない。

ゆえに老子は言うのである。
勝てないものがなければ、その極意を知る者はいない、と。


およそ今、国を保っていても、後にこれを失い、今、身を保っていても、後に禍に陥いる、というのでは、国を保ち身を保つ、とは言えない。
うまく国を保つことができれば、必ず社稷を安んじ、その身を保つことができれば、必ず天寿を全うすることができるだろう。
そうなってこそ国を保ち身を保つ、ということができる。

国を保つことができ、その身を保つ者は、必ず道を体得している。
道を体得していればその智恵は深く、智恵が深ければその謀は遠大である。
その謀が遠大であれば多くの人々はその極致を見ることができない。
ただ人々にその極致を見させないようにする。
人々にその極致を見させないならば、その身を保ちその国を保つことができる。

ゆえに老子は言うのである。
その極致を知る者がいなければ、国を保つことができるであろう、と。


いわゆる、国を保つ母、というのは、道である。
道というものは国を保つための術を生む。
国を保つための術であるから、これを国を保つ母という。
そもそも道とは世とともに変遷するものであり、その生を活かすに長く、禄を維持するに久しい。
ゆえに老子は言うのである。
国を保つ母は長久である、と。


樹木には曼根と直根がある。
直根とは老子の書にある柢である。
柢とは木が生育するための基となるものである。
曼根とは木の生命を維持するためのものである。

徳とは人が生育するための基となるものである。
禄とは人の生命を維持するためのものである。
今、自然の理に基づいて生きる者は、禄を久しく維持することができる。

ゆえに老子は、その根を深くせよ、と言う。

道を修めた者は、その生命は長久である。
ゆえに老子は、その柢を固くせよ、と言う。

柢が堅固であれば生命を長く保つことができ、根が深ければ長く生きて世を見ることができる。
ゆえに老子は言うのである。
その根を深くし、その柢を固くすることは、長生きし、長く世を見ることができる道である、と。


職人がしばしば仕事を変えれば、その成果は得られず、耕作者がしばしば計画を変更すると、その成果は得られない。
一人の仕事で、一日に半日分の損失があるなら、十日で五人分の成果を失うことになる。
一万人の仕事で、一日に半日分の損失があるなら、十日で五万人分の成果を失うことになる。
そうであるなら、しばしば仕事を変えると、その従事する人が多いほど、その損失も大きくなるのである。

およそ法令が改まると人々の利害も変わり、利害が変われば民が励む内容も変わってしまう。
民が励む内容が変わるというのは、仕事を変えることと同じである。
ゆえに道理から考えると、民衆を使ってその仕事をしばしば変えると成功は少なく、大きな器を蔵うのにその場所をしばしば移すのでは傷つける機会が多く、小魚を煮るときにこれをかき混ぜればその形を損ない、大国を治めるのにしばしば法を変えれば民は苦しむだろう。
これらのことから、道を心得た君主は、安静を貴び、変法を重んじない。

ゆえに老子は言うのである。
大国を治めるのは小魚を煮るようなものだ、と。


人は、病にかかると医者を貴び、禍にあうと鬼神を恐れる。
聖人が上にいて治めれば、民は欲が少なくなり、民に欲が少なければ、血気は良くなり行動も正しくなる。
行動が正しくなれば禍は少なくなる。
もし自分の身の内に腫れものやできものの害が無く、身の外に刑罰の禍がなければ、鬼神を軽んじること甚だしい。

ゆえに老子は言うのである。
道に従って天下を治めれば、鬼神も霊妙な力を持たなくなる、と。

よく治まった世の民は鬼神と害しあうことがないのである。
ゆえに老子は言うのである。
鬼神が霊妙な力を持たないのではない、その霊妙な力が人を害することがないのである、と。

鬼神が祟ると人を病気にさせる、これを鬼神が人を害する、と言う。
人が祈祷して鬼神を追い払う、これを人が鬼神を害する、と言う。
民が法令を犯す、これを民がお上を害する、と言う。
お上が民を処刑する、これをお上が民を害する、と言う。
民が法を犯さなければ、お上もまた刑罰を行わない。
お上が刑罰を行わない、これをお上が民を害さない、と言う。

ゆえに老子は言うのである。
聖人もまた民を害さない、と。

お上は民と害しあわず、人は鬼神と害しあわない。
ゆえに老子は言うのである。
ふたつとも害しあうことがない、と。

民があえて法を犯さなければ、お上は内では刑罰を用いずにすみ、外では産業で得られる利益を貪ることもない。
お上が内では刑罰を用いず、外では産業で得られる利益を貪ることもないなら、民は繁栄し、民が繁栄すれば、物資の蓄積も多くなる。
これを有徳と言うのである。

そもそも、いわゆる鬼神が祟る、とは、人から魂魄が抜け去って精神が錯乱することである。
精神が錯乱すると徳は無くなる。
もし鬼神が人に祟らなければ魂魄は抜け去らない。
魂魄が抜け去らなければ、精神は錯乱しない。
精神が錯乱しない状態を有徳と言う。

ゆえにお上が物資の蓄積を多くして、鬼神が民の精神を錯乱させなければ、徳がことごとく民に備わる。

ゆえに老子は言うのである。
ふたつとも害しあわなければ、徳はすべて民のものとなる、と。
徳が上にも下にも盛んになり、ともにすべて民に帰することになる、ということである。


道を心得た君主は、国外は隣国に怨みや仇を持つ敵は無く、国内は人民に恩沢が行き渡っている。
もし国外に隣国に怨みや仇を持つ敵がいなければ、諸侯をもてなすにも礼義を守る。
もし国内の人民に恩沢が行き渡っていれば、民事を治めるのに農業を第一とする。
諸侯をもてなすのに礼義を守っていれば、戦役が起こることは稀であり、民事を治めるのに農業を第一とすれば、贅沢は行わなくなるだろう。

およそ馬が大いに用いられるのは、外では軍事に用いられ、内では贅沢品を運ぶためである。
今、道を心得た君主は、外は軍事を起こすことが稀であり、内は贅沢を禁じる。
お上は馬を戦闘や追撃に用いることなく、民は馬を用いて遠くに贅沢品を運ぶこともせず、力を用いるところはただ耕作のためだけである。
力を用いるところが、ただ耕作のためだけであれば、必ずそれは土を耕し、水を撒くことになる。

ゆえに老子は言うのである。
天下に道があるときは、馬を速く走らせず耕作に使う、と。


君主が無道であると、内では民を暴虐に扱い、外では隣国を欺き侵略する。
内で民に暴虐であれば民の産業は絶え、外で隣国を欺き侵略すれば戦争がしばしば起こるだろう。
産業が絶えれば家畜は少なくなり、戦争がしばしば起これば士卒が尽きる。
家畜が少なければ軍馬は乏しくなり、士卒が尽きれば軍は保てなくなる。
軍馬が乏しくなれば将軍の馬も駆り出され、軍が保てなければ君主の近臣も兵役につかねばならならないだろう。
馬は軍の重要な手段であり、郊とは都に近いところを言うのである。
今、軍に補給するために、将軍の馬や近臣から駆り出される。

ゆえに老子は言うのである。
天下に道がなければ、軍馬は君主の近臣から生じる、と。


人は欲を持つと判断力が乱れ、判断力が乱れると欲が激しくなり、欲が激しくなれば邪心が勝ち、邪心が勝てば物事の正しい処理ができず、物事の正しい処理ができなければ禍が起こるだろう。このことから考えると、禍は邪心から生じ、邪心は欲望に誘いだされる。
欲望の類は、進んでは良民に姦悪を働かせ、退いては善人に禍を被らせる。
姦悪が起これば、上は君主を侵害して弱め、禍が降りかかれば人民の多くは被害を受ける。
そればらば欲望の類は、上は君主を侵害して弱め、下は人民を傷つける。
上は君主を侵害して弱め、下は人民を傷つけるのは大罪である。

ゆえに老子は言うのである。
罪は欲望よりも大きいものはない、と。


ゆえに聖人は五色の美しさに惹かれず、音楽に乱されることもない。
名君は愛玩物を賤しみ淫靡を取り除く。
人には羽毛はない。
衣服を着なければ寒さを凌げない。
上は天にあるものではなく、下は地に根付くものではない。
胃腸を根本として栄養をとっているのだから、物を食わねば生きていくことはできない。
そこで利益を求める欲望の心から免れない。
利益を求める欲望の心を除けないのは、その身の憂いである。

ゆえに聖人は、衣服は寒さを凌げる程度で充分で、食べ物は空腹が満たされれば充分であれば、憂うことはない。
しかし多くの人々はそうではない。
大は諸侯となろうと、小は千金の資産を残そうと、その物を得ようとする欲望の憂いが除かれることはないのである。
囚人でも解放されることはあるし、死刑囚でも時には赦されることがある。
今、満足することを知らない者の憂いは、生涯解けることはない。

ゆえに老子は言うのである。
禍は満足することを知らないことよりも大きいものはない、と。


ゆえに利益を求める欲望が激しければ憂うことになり、憂いが起これば病が生じ、病が生じれば智恵が衰え、智恵が衰えれば見込みが狂い、見込みが狂うと行動がでたらめになり、行動がでたらめになると禍害が降りかかり、禍害が降りかかれば病が身の内に纏わり、病が身の内に纏われば大きな禍が外に迫り、大きな禍が外に迫れば胃腸の間に苦痛が起こり、胃腸の間に苦痛が起これば人を傷つけることいたましく、いたましければ身を退いてみずからを咎めることになる。
身を退いてみずからを咎めることになるのは、利益を求める欲望から生じる。
ゆえに老子は言うのである。
咎めるべきは利益を求める欲望よりも大きなものはない、と。


道とは万物がそうあるべき根拠であり、万理が集まる根本である。
理とは物を成り立たせる筋道であり、道は万物を成り立たせる根本である。ゆえに老子は言うのである。道とは万物を理によって秩序づけるものである、と。

物には理があり、互いに他を侵すことはできない。
ゆえに理が万物を制御し、万物はそれぞれに異なった理を有する。
万物それぞれが異なった理を有するが、道はことごとく万物の理を備え合わせる。
ゆえに道は常に変化せずにはいられない。
変化せずにはいられないので、常に決まったあり方というものが無い。
決まったあり方というものが無いので、人の生死もそこから受け、万人の智恵もそこから汲み取り、万事がそこから興り廃れるのである。

天は道を得て高く、地は道を得て万物を覆い、北斗の星は道を得てその威勢を示し、日月は道を得て常に光を放ち、木火土金水の五行は道を得てその立場を保ち、諸星は道を得てその運行を正しくし、春夏秋冬の四季は道を得てその気の変化をなし、軒轅氏は道を得て四方を服させ、赤松氏は道を得て天地を統べ、聖人は道を得て文明を作り上げた。

道は堯、舜と共に思慮深く、接輿と共に狂い、桀、紂と共に滅び、湯、武と共に栄えた。
道は近くにあるかと思えば、四方の極限にある。
遠くにあるかと思えば、常に我が側にある。
暗いものかと思えば、明々と光っている。
はっきり見えるかと思えば、暗くて見えない。
こうして天地を作り上げ、雷霆を起こし、宇宙の万物はこの道によって成るのである。

およそ道の実情として、制御されず決まった形もない。
柔軟に時に従い、物の理に相応じる。
万物は道を得て死に、道を得て生きる。
万物は道を得て失敗し、万物は道を得て成功する。

道を何かに喩えるなら水のようであり、溺れる者が多く水を飲めば死んでしまうし、喉が渇いた者が適切に水を飲めば生きられる。
また、道を他の何かに喩えるなら剣戟のようであり、愚人が怒りに任せて振るえば禍を引き起こすし、聖人が暴徒を誅すれば福がもたらされるだろう。
ゆえに道を得て死に、道を得て生き、道を得て失敗し、道を得て成功する、というのである。


人が生きている象をみることは稀である。
そこで死んだ象の骨を得て、その図を考えてその生きた姿を想像する。
ゆえに人々が心の中で想像したものを皆、象と言うのである。

今、道は見聞きすることができないといえども、聖人はその現れた物事を取り上げて、その道の形を現そうとする。
ゆえに老子は言うのである。
無状の状、無象の象、と。


およそ理とは、方形と円形、短いと長い、粗いと細かい、堅いと脆いなどの区別である。
ゆえに理が定まった後に道を得ることができるのである。
ゆえに定まった理には存亡があり、生死があり、盛衰がある。

そもそも物が存在したかと思えば無くなったり、たちまち死んだかと思えば、たちまち生まれたり、初めは盛んでも後には衰えたりするのは常というわけにはいかない。
ただそれが天と地が別れたときに共に生まれ、天地が消滅するときがきても死なず衰えないものが常と言える。
常は変わることがなく、定まった理を持たない。
定まった理が無いものは、常に決まった場所に存在するものではない。
これによって道とすることはできないのである。
聖人はその暗く虚ろな世界を観察し、その周回する動きを捉え、強いて名付けて道と呼び、こうして論じることができるようになった。

ゆえに老子は言うのである。
道の道とすべきは常の道にあらず、と。


人は生に始まり、死に終わる。
始まることを出ると言い、終わることを入ると言う。
ゆえに老子は言うのである。
生に出て死に入る、と。

人の体には三百六十の骨節があり、四肢と九つの穴はその重要な器官である。
四肢と九つの穴の十三の器官は、ことごとく生に属する。
この属のことを徒と言う。
ゆえに老子は言うのである。
生の徒は十三である、と。


死に至ると十三の器官は皆、還って死に属する。
死の徒もまた十三なのである。
ゆえに老子は言うのである。
生の徒は十三、死の徒は十三、と。

およそ民は生き生きと生きているときは動き回るが、動き続けていれば身を損傷する。
そこで動かすことをやめなければ、身を損傷すつのをやめないことであり、損傷するのをやめなければ生命は尽きてしまう。
生が尽きることを死と言う。
すると十三の器官というものはすべて死へ向かうものとなる。
ゆえに老子は言うのである。
民が生き生きと動き、動いて皆、死へと向かうのもまた、十三の器官である、と。


こうしたわけで聖人は精神を愛し、心を静かに保つことを貴ぶ。
そうでなければ野牛や虎の害より甚大になる。
野牛や虎には縄張りがあり、その動静にも時が決まっている。
その場所を避け、その時を考えれば、その野牛や虎の害を免れることができるだろう。
民はただ野牛や虎に爪や角があるのを知っているだけで、万物にことごとく爪や角があることを知らず、万物の害を免れることができない。
何故そうなのかを論じる。

季節の雨が降り続き、広い原野は静かであるのに、早朝や日暮れに山川に押し入れば、風や露の爪や角に害されるだろう。
お上に仕えるのに不忠で、軽々しく禁令を犯せば、刑法の爪や角に害されるだろう。
郷里にいて礼節を守らず、愛憎が激しく度を越せば、闘争の爪や角に害されるだろう。
嗜好や欲望に際限がなく、動静に節度がなければ、できものや腫れものの爪や角に害されるだろう。
自分勝手な智恵を好んで用い、道理を捨てれば、天の網の爪や角に害されるだろう。

野牛や虎には縄張りがあり、万物の害には原因がある。
その縄張りを避け、その原因を防げば、諸々の害を免れることができる。

およそ武器や甲冑は害に備えるためのものである。
生命を重んじる者は、軍に入っても怒り争う心を持たない。
怒り争う心を持たなければ、害を防ぐための手段を用いることもない。
これはただ野戦の軍のみに言えることではない。

聖人が世に悠々と暮らすのは、人を害する心を持たないからである。
人を害する心を持たなければ、必ず人からも害されない。
人から害されることがなければ、人に備えることもない。
ゆえに老子は言うのである。
陸路を行くに野牛や虎に会わない、と。

従軍しても武備に頼って害を防ぐこともない。
ゆえに老子は言うのである。
従軍しても武備に頼らない、と。

諸々の害から遠ざかる。
ゆえに老子は言うのである。
野牛も角をぶつけるところがなく、虎もその爪を立てるところがなく、武器もその刃を当てるところがない、と。


備えをせずとも必ず害されることがないのは、天地の道理なのである。
天地の道を体得するのである。
ゆえに老子は言うのである。
死地無し、と。
行動しても死地がない、これを善く摂生する、という。


子を愛する者は子を慈しむ。
生を重んじる者は身を慈しむ。
功績を貴ぶ者は事を慈しむ。
慈母は幼児に対して幸福になるように努める。
幸福になるように努めれば、その禍を除くことを仕事とする。
その禍を除くことを仕事とすれば、思慮深くなる。
思慮深くなれば物事の理がよく分かる。
物事の理がよく分かれば、必ず成功する。
必ず成功すれば、その行動に迷いはない。
迷わない状態を勇と言う。
聖人が万事において、常に慈母が幼児のために思慮するようなものである。
ゆえに必ず行うべき道を見つける。
必ず行うべき道を見つけるならば明らかであり、事を行うのに迷いがない。
迷いがないことを勇と言う。
迷いがないのは慈から生じる。

ゆえに老子は言うのである。
慈であるがゆえに勇たり得るのである、と。

周公は言った。
冬の日の凍り方が固くなければ、春夏の草木の生育はよくない、と。


天地も常に贅沢に浪費することはできない。ましてや人においては尚更である。
ゆえに万物には必ず盛衰があり、万事には必ず緩急があり、国家には必ず文武があり、政治には必ず賞罰がある。

こうして智恵のある士は財産を倹約して家を富ませ、聖人は精神を大切に使って精力を盛んにし、君主は兵卒を戦わせるのを慎重にして民を多くし、民が多くなれば国は広くなる。
このことを指して老子は言うのである。
倹であるがゆえに広げることができる、と。


およそ形のある物は、裁ち易く、割き易い。
なぜそうなのかを論じる。

形があれば長短があり、長短があれば大小があり、大小があれば方円があり、方円があれば堅い脆いがあり、堅い脆いがあれば軽重があり、軽重があれば白黒がある。
長短、大小、方円、堅脆、軽重、白黒、これらを理と言う。
理が定まっているので、物は割き易いのである。
ゆえに朝廷で議論するときに他より後で物を言うのは、かの権謀に優れた士がよく心得ていることである。

方円を画こうとして定規に従えば、万事に功績が現れ、こうして万物には定規となるものがあるのである。
権謀の士は物事の定規をわきまえている。
聖人はことごとく万物の定規に従う。

ゆえに老子は言うのである。
あえて天下の先とならず、と。

あえて天下の先とならなければ、物事を成し遂げられないことはなく、功績が上がらないことはなく、その謀が世を覆う。
高官になるまいと思っても、そうはいかない。
高官に就くということは、物事を成し遂げる長になることを言う。

これらのことから老子は言うのである。
あえて天下の先とならないので、物事を成し遂げる長となることができる、と。


子を慈しむ者は、子に衣食を絶やさないようにし、我が身を慈しむ者は、あえて法に背かず、方円を慈しむ者は、あえて定規を捨てない。
ゆえに戦争に臨んで士卒を慈しむなら、戦えば敵に勝ち、防備の道具を慈しむなら、城は堅固である。

ゆえに老子は言うのである。
慈しみをもって戦えば勝ち、守れば堅固である、と。


もしみずからの身を全うして、ことごとく万物の理に従うならば、必ず天の生命を持っている。
天の生命とは、万物の生成の意志である。
ゆえに天下の道はことごとく生成の道である。
もし慈しみによってこの道を守れば、物事は必ず万全で行動が当たらないことなどない。
これを宝と言う。

ゆえに老子は言うのである。
我に三つの宝がある。これを保持して宝とする、と。


老子の書にある大道とは、正道のことである。
書にある貌施とは、邪道のことである。
径大とは、佳麗のことであり、佳麗とは邪道の一種である。
朝廷がはなはだ掃除されているのは、訴訟や裁判が多いからである。
訴訟や裁判が多くなれば田畑が荒れ、田畑が荒れれば朝廷の倉は空になり、朝廷の倉が空になれば国は貧しくなり、国が貧しくなれば民の風俗が乱れる。
民の風俗が乱れれば衣食に関する職業は廃れ、衣食に関する職業が廃れれば、民は巧妙に詐り飾り立てるようになり、巧妙に詐り飾り立てるようになると模様を彩るようになる。
模様を彩るようになることを、文采を服す、と言う。
訴訟や裁判が多く、倉庫は空で、乱れた風俗となれば、国の害となるその様は、鋭い剣で刺すようなものである。

ゆえに老子は言うのである。
鋭い剣を帯びている、と。


人々が小賢しい智恵を飾り立て、国を害するようになると、その家は必ず富む。
私家が必ず富むので、老子は言うのである。
財貨が余っている、と。

国にこのような者がいれば、愚かな民はそれに倣って真似るようになり、これに倣えばこそ泥が生まれる。
このことから見ると、大きな姦悪が起これば小盗が従い、大きな姦悪が唱えれば小盗が応じる。

竽は五音の中心である。
ゆえに竽が先に吹かれて鐘や瑟などがみな従って続き、竽が鳴って他の楽器が皆和する。
今、大きな姦悪が起こると俗人が唱え、俗人が唱えると小盗は必ず和するだろう。

ゆえに老子は言うのである。
文采を服し、鋭い剣を帯び、飲食に厭きて、財貨が余っている者、これを盗竽と言う、と。


人は賢愚なく、己の行動の取捨選択をする。
心静かで無欲にして安らかであれば、禍福がどのようにやって来るかを分かるものである。
好悪の心があり、心を乱すものに誘われて、その後乱れてゆく。

その理由は、人は外界の者に心を引かれ、好きな物に心が乱されるからである。
心静かで無欲であれば取捨選択を正しく判断でき、安らかであれば禍福の分別も分かる。
しかし今や好きな物に心を引かれ、外界の物に引かれる。
心を引かれてゆく。
ゆえに老子は、抜く、と言う。

聖人の場合はそうではない。
ひとたびその取捨選択して基準をたてると、好きな物を見ても、心を引かれることはない。
引くことができないことを、抜けない、と言う。
ひとたび精神が統一されると、欲しい物があったとしても、精神は動じない。
精神が動じないことを、脱しない、と言う。
人の子孫たる者、この道を体得し、宗廟を守って滅びないことを、先祖の祭祀が絶えない、と言う。


身は精神を積むことを徳とし、家は資財を蓄えることを徳とし、郷や国や天下は皆、民を増やすことを徳とする。
今、身を治めて外界のものに精神を乱されることがない。
ゆえに老子は言うのである。
これを身に修めれば、その徳は真である、と。

真とは固く慎んでいることである。
家を治めて、無用な物にその家計を動かされることがなければ、資財は余るようになる。
ゆえに老子は言うのである。
これを家に修めて、その徳は余る、と。

郷を治める者がこの節度を守って行えば、家財の余る者がますます多くなる。
ゆえに老子は言うのである。
これを郷に修めて、その徳は長く続く、と。

国を治める者がこの節度を守って行えば、郷の財産の余る者がますます多くなる。
ゆえに老子は言うのである。
これを国に修めて、その徳は豊かになる、と。

天下に臨む者がこの節度を守って行えば、民の生活はその恩沢を受けることになる。
ゆえに老子は言うのである。
これを天下に修めて、その徳は普く行きわたる、と。

身を修める者は、これを基準に君子と小人を見分け、郷を治め、国を治め、天下に臨む者には、それぞれにこの科条によって善し悪しを観察すれば、万に一つも失敗はない。
ゆえに老子は言うのである。
身によってその身を観察し、家によってその家を観察し、郷によってその郷を観察し、国によってその国を観察し、天下によってその天下を観察する。私は何によって天下がそうなるのか、を知るのかと言えば、これによって知るのである、と。




テーマ : 中国古典・名言
ジャンル : 学問・文化・芸術

韓非子 外儲説 右下

一、
賞罰の権限が君臣で共有されたなら、法令禁制は行われない。
何故そうなのかを明らかにしていく。

その例は、造父や於期を御す話がある。
子罕猪の役を務め、田恒が畑や池の役を務めた。
また、宋君や簡公が殺された。
害悪としては、王良と造父が車を共に御する話、田連と成竅が琴を共に弾じる話がある。


二、
国が治まり、兵が強くなるのは、法が行われることで生じ、国が乱れて弱くなるのは、法が曲げられることで生じる。
君主がこのことに明らかであれば、賞罰を厳しく行っても不仁ではない。
爵禄は功績に基づいて生じ、誅罰は罪に基づいて生じる。
臣下がこのことに明らかであれば、死力を尽くして仕えても、忠義であるということではない。
君主が不仁を理解し、臣下が不忠を理解するなら、君主は天下の王となることができる。

その例は、昭襄王が君主の実情を知り、五苑の食糧を民に分け与えなかった話がある。
田鮪が臣下の実情を知り、田章に教えた話。
また、公儀が贈られた魚を断った話もある。


三、
君主が法術に頼らず外国の君主のやり方を手本にすると、外交は失敗する。
その例は、蘇代が斉王を誹った話がある。

君主が古の聖王のやり方を手本にすると、処士が現れてくる。
その例は、潘壽が禹の故事をひいた話がある。

君主に覚悟が足りないところがある。
方吾はこれを知って衣服を同族と同じくすることを恐れた。
ましてや君主の権勢を貸し与えるなどなおさらである。

呉章はこれを知り、好悪の感情を偽り臣下に対する。
ましてや誠の心情を臣下に見せるなどなおさらである。

趙王虎の目を嫌って臣下に塞がれた話がある。
明主のやり方は、周の外交官が衛公を退けた話のように厳正である。


四、
君主は法を守って成果を求め、功績を成そうとするものである。
官吏が乱れていても民はおのずから治まっている、ということは聞くが、民が乱れていて官吏がよく治めている、ということは聞かない。
ゆえに明主は先に官吏を治めて民を治めない。

その例は、木の根元を動かす話と、網の綱を引く話がある。
また、火災のときの官吏の話も論ぜねばならない。
火災から救うには、官吏が自分で壺を持って火消しに走るのではひとりの働きをしたにすぎないが、鞭をとって人々を指揮するなら万人を動かすことができる。

また、術を使いこなせる例には、造父が馬車を乗りこなした話がある。
馬を引いても車を押しても進むことができないときに、巧みな御者に代わって鞭をとれば馬はみな走らせることができる。
このことの例は、鉄槌が物を平らにする話、矯め木が棒をまっすぐにする話がある。

そうでなければ害は、淖歯が斉で用いられて閔王を殺した話、李兌が趙で用いられて主父を飢え死にさせた話がある。


五、
物事が自然の理に従っていれば、労せずに成功する。
その例は、慈鄭子が車の長柄に腰かけて歌い、高梁台へ登った話がある。

自然の理に従わなかった場合の害は、趙簡主の税吏が税の軽重を問うた話、薄疑が国では中が満ち足りていると言い、趙簡主が喜んでいる間に国倉は空になり、民は飢えて姦吏が富んだ話がある。
また、桓公が民を巡察したとき、管仲は朝廷内の腐るほど余る貯えがないように、宮中に独り身の女がいないようにと進言した話がある。

自然の理に従わなかった場合の害は、延陵の卓子が馬を進められず、造父が通りかかりこれを見て泣いた話がある。


右は経である。



一、
造父は四頭の馬を御し、縦横に駆けさせ、思う通りに馬を乗りこなした。
思う通りに馬を乗りこなせたのは、手綱と鞭の権限を握っていたからである。
しかし馬の前に豚が飛び出してきて驚けば、造父でも引き止め制御することができないのは、手綱と鞭の威厳が足りないからではない。
威力が飛び出した豚によって分散されたからである。

王於期が、副馬をつけても、手綱と鞭を用いずに馬を思う通りに御すのは、まぐさと水の利を握っていたからである。
しかし馬が畑や池のそばを通り過ぎるときに、副馬が勝手に動きだすのは、まぐさと水の利が足りないからではない。
利が畑や池に分散されたからである。

王良と造父は、天下の名御者である。
しかし王良が左の手綱を執って馬を叱咤し、造父が右の手綱を執って鞭を振るわせば、馬は十里を行くこともできないだろう。

田連と成竅は、天下の琴の名人である。
しかし田連が琴の上を弾き、成竅が琴の下を押さえれば、一曲を弾き成すこともできばいだろう。
これもまた琴を共にしたからである。

王良と造父の技術をもってしても、手綱を共有して御せば、馬を乗りこなすことはできない。
君主はどうして臣下と権力を共有して国を治めることなどできようか。

田連と成竅の技術をもってしても、琴を共有すれば、一曲を弾き成すことはできない。
君主はどうして臣下と権勢を共有して功を成すことなどできようか。


一説にはこうある。
造父が斉王の御者となり、馬の喉を渇かせて命じ、従ったら水を与えるという方法で調教し終えた。
馬車を御して畑に至った。
喉の渇いた馬が畑の池を見つけて、車を置き去りにして池に走り、造父の御は失敗した。

王於期は趙簡主のために馬車で道を馳せ、千里の目標を競った。
馳せ始めて間もなく、溝の中に豚が潜んでいた。
王於期が手綱をそろえて鞭を執って馬車を進めた。
豚が溝から飛び出し、馬が驚き、馬車を御すのに失敗した。


司城子罕が宋君に申した。
功績を賞し物を賜るのは民が喜ぶことですから、ご主君はご自身で行いなさいませ。
罪を罰し刑を執行するのは民が憎むことですから、どうか私にこの役目をお与えください、と。
宋君は言った。
わかった、と。

そこで君主の威勢で大臣を罰するときにも、君主は言った。
子罕に問え、と。
これによって大臣たちは子罕を恐れ、賤しい民は子罕に従った。

こうして一年が経つと、子罕は宋君を殺して政権を奪った。
つまり子罕は飛び出した豚の役をして、君主から国を奪ったのである。


斉の簡公が君位にあったとき、誅罰は重く厳しく、税を重くし、民を殺した。
しかし田成恒は慈愛を施し、寛大であることを示した。
簡公は斉の民を喉の渇いた馬とし、恩を民に与えず、田成恒は慈愛寛大という池を設けたわけである。


一説にはこうある。
造父が斉王の御者となり、馬に水を与えず喉が渇いた状態にして従わせ、百日かけて服従させた。
服従させてから馬を斉王に見せようと願い出た。
斉王は言った。
馬を宮園で見せよ、と。

造父は馬車を駆って宮園に入った。
馬が宮園の中の池を見つけて駆け出し、造父はこれを御すことができなかった。
造父は喉を渇きによって馬を服従させるのに長くかかった。
しかし今、馬が池を見て勢いよく駆け出すと、造父といえども制御することはできない。

今、簡公は厳しいやり方で長く民を禁じてきたが、田成恒はこれを利用した。
つまり田成恒は宮園の池を傾けて、渇きに飢えた民に見せたのである。


一説にはこうある。
王於期は宋君のために、千里を駆って見せることになった。
すでに馬は車につながれ、馬の口をそろえて手綱を執り、出発しようとした。
馬を駆って前に進めれば、車の轍は測ったようにまっすぐであり、手綱を引いて後ろに戻せば、馬はもとの足跡を踏む。
そこで鞭を打って馬を出発させたところ、豚が垣の穴から飛び出し、馬が驚いて後ろに下がった。
鞭を打っても前進させることができず、次に馬は前に走り出し、手綱を引いても止めることができなかった。


一説にはこうある。
司城子罕が宋君に申した。
人を賞し物を賜るのは、民が喜ぶことです。ご主君はご自身で行いなさいませ。
罪を罰し刑を執行するのは、民が憎むことです。私がこの役目に当たりましょう、と。

こうして賤しい民を殺したり、大臣を罰するときは、宋君は言った。
子罕と相談せよ、と。

それから一年が経つと、民は生殺の命が子罕に握られていることを知り、国中が子罕に従った。
ゆえに子罕は宋君を脅かし、その政権を奪っても、法で禁ずることができなかった。


ゆえに言う。
子罕は飛び出した豚となり、田成恒は畑の池となった、と。
今、王良と造父が同じ車に乗り、それぞれが手綱を執って門に入ろうとするなら、馬は必ず乱れて道を進むことができないだろう。
今、田連と成竅が同じ琴を使ってそれぞれが一絃を抑えたり弾いたりすれば、必ず音は乱れて、一曲を奏でることはできないだろう。



二、
秦の昭王が病を患った。
民は里ごとに牛を買って殺し、家ごとに王のために祈った。

公孫述は外出してその様子を見て、宮に入って王を祝って申した。
民はみな、里ごとに牛を買って殺し、王のために祈っております、と。

王は人をやってこれを確かめさせたところ、果たしてその通りであった。
王は言った。
民を罰して人ごとに二甲を取り立てよ。
そもそも命じてもいないのに勝手に祈るのは、私を愛してくれているからであろう。
民が私を愛すからといって、私もまた法を曲げて、民に心をもって応じれば、法は行われなくなってしまうだろう。
法が行われないのは、国が乱れ亡ぶもとである。
人ごとに二甲を罰とし、再び共に治めていくに越したことはない、と。


一説にはこうある。
秦の襄王が病んだ。
民は王のために祈った。
王の病が癒えると、民は牛を殺して神に感謝して祭った。

郎中の閻遏と公孫衍が外出してこの様子を見て言った。
今は臘祭の時期でもないのに、なぜ牛を殺して祭っているのだろうか、と。

怪しんで民に問うた。
民は言った。
ご主君が病だと聞き、そのために祈りました。
今、病が癒えたので、牛を殺して祭っておるのです、と。

閻遏と公孫衍は悦んで、王に見えて祝賀して言った。
堯、舜にも優ります、と。
王は驚いて言った。
何のことを言っているのか、と。
答えて言った。
堯も舜も、民が二人のために祈るには至りませんでした。
今、王は病んで、民は牛を供えて祈り、病が癒えたので牛を殺して祭っておるのです。
ゆえに私は、王は堯、舜よりも優れておられる、と思ったのです、と。

そこで王は人をやって、このことを調べさせた。
どこの里でこれを行なったのか、と。
その里の長と長老たちを罰するのに、ひとつの村から二甲を取り立てた。
閻遏と公孫衍は恥じて何も言えなかった。

こうして数箇月経ち、王は酒を飲んで楽しんだ。
閻遏と公孫衍は王に申した。
前に私たちは王を堯、舜にも勝ると思いましたのは、ただ諂って申したのではありません。
堯、舜は病んでも、その民は二人のために祈るまでには至りませんでしたが、今、王が病んだら民は牛を供えて祈り、病が癒えたら牛を殺して祭りました。
今、その里の長と長老を罰して、村ごとに二甲を取り立てるとは、私たちはこれを訝しんでおります、と。

王は言った。
そなたたちはどうしてこれが分からないのか。
あの民が私に用をなす理由は、私が民を愛しているから私のために用をなすのではないのだ。
私の権勢のために私の用をなすのだ。
私は権勢を捨てて民と共に治めようとしようか。
もしそのようにすれば、私がたまたま民を愛さないようなことがあれば、民は私の用をなさなくなるだろう。
ゆえに私は民を愛するやり方を絶ったのだ、と。


秦が飢饉にみまわれた。
応侯が請うて言った。
宮廷の園の野草、とち、棗、栗の実などは、民を活かすに充分です。
どうぞこれらを開放して民にお与えください、と。

昭襄王は言った。
我が国、秦の法では、民に功績があれば賞を与え、罪があれば罰を受けさせる。
今、宮廷の園の野菜や木の実を開放して民に与えれば、功績のある民も功績のない民も皆、賞を受けることになる。
功績のある民も功績のない民も皆、賞を受けることは、これは国が乱れるもとである。
宮廷の園を開放して与え、国が乱れるよりは、野菜や木の実を捨ててでも国を乱さないように治める方が良い、と。


一説にはこうある。
今、宮廷の園の瓜、野草、棗、栗などを解放して与えれば、民を活かすには充分だが、民に功績があっても功績がなくても皆、食糧を得ることができる。
こうして民が生きても国が乱れるのであれば、民が死んでも国が治まる方が良い。
大臣、捨ておけ、と。


田鮪が子の田章に教えて言った。
そなたがその身に利を得ようと思うなら、まず君主に利を得させよ。
そなたが家を富ませようと思うなら、まず国を富ませよ、と。


一説にはこうある。
田鮪が子の田章に教えて言った。
君主は官爵を売り、臣は智恵や能力を売る。
ゆえに自分を頼りにして他人を頼りにしてはならない、と。


公孫儀は魯の宰相で、魚を好んでいた。
そこで国中の皆が我先にと争って魚を買って、公孫儀に献じた。
公孫儀は受け取らなかった。

その弟が諫めて言った。
兄上は魚を好んでおられるのに、受け取らないのはどうしてですか、と。

答えて言った。
私はただ魚が好きなのだ。
だからこそ受け取らなかったのだ。
もし魚を受け取れば、必ずその人に気を遣って遠慮してしまう。
人に遠慮してしまえば、法を曲げようとしてしまい、法を曲げようとすれば、宰相の職を免職されるだろう。
そうなれば私が魚を好むといえども、人々は必ずしも私に魚を持ってきてくれる、というわけにはいかず、私もまた自分で魚を買ってくることもできなくなるだろう。
もし魚を受け取らずに、宰相を免職されなければ、魚を好んでも、私は長く自分で魚を買って来られるだろう、と。

これが、かの人を頼りにするのは、自分を頼りにするのには及ばないことを明らかにするものである。
人が己のためにすることは、己が自分のためにすることには及ばないことを明らかにするものである。



三、
子之は燕の宰相となった。
その地位は高く、物事を取り仕切っていた。

蘇代が斉の使者として燕に来た。
王が蘇代に問うた。
斉王はどのような君主かね、と。
答えて言った。
必ず覇者にはなれぬでしょう、と。
燕王は言った。
何故かね、と。
答えて言った。
昔、桓公が覇者となったとき、国内のことは鮑叔に任せ、国外のことは管仲に任せ、桓公は冠も着けずに女たちのために馬を御し、毎日のように市場で遊びました。
今、斉王は自国の大臣を信任しておりません、と。

そこで燕王はますます大いに子之を信任した。
子之はこれを聞いて、人をやって蘇代に金百鎰を贈らせ、好きなように使わせた。


一説にはこうある。
蘇代が斉の使者として燕に行った。
燕では、子之に利益を与えなければ、決して事をなすことができずに帰ることになり、何の賞も賜ることがないと見た。
そこで燕王に見えて、斉王を誉めた。

燕王は言った。
斉王はどうしてそのように賢人なのかね。
そして天下の王になろうとしているのかね、と。

蘇代は言った。
国が亡びるのを救う暇もないでしょう。
どうして王となれましょうか、と。
燕王は言った。
どうしてかね、と。

言った。
斉王はその親愛する者を己と同等に任用しないのです、と。
燕王は言った。
その任用するとはどういうことかね、と。

言った。
昔、斉の桓公は管仲を親愛し、引き立てて仲父とし、国内を治め、外交を裁き、国を挙げてみな管仲に任せました。
ゆえに天下をひとつにまとめ、諸侯を集めて号令しました。
今、斉王は親愛する者を己と同等に任用しません。
ですから斉は亡びるだろうと思ったのです、と。

燕王は言った。
今私は子之を任用しておる。
しかし天下はこのことを知らないようだ、と。
そこで翌日、朝廷に礼を設けて子之に任せることにした。


潘寿が燕王に言った。
王は国を子之にお譲りになるのが最も良いでしょう。
人々が堯を賢人だという理由は、その天下を許由に譲ったからです。
許由は決して受けませんでした。
つまりこれは、堯は許由に国を譲ったという名声を得て、ぢかも実は天下を失わなかったのです。
今、王は国を子之に譲っても、子之は必ず受けないでしょう。
すなわちこれは、王は国を子之に譲ったという名声を得て、堯と同じ行いをなさるということです、と。

こうして燕王は国を挙げて政治を子之に委ねた。
子之の地位は大いに重くなった。


一説にはこうある。
潘寿は隠者であった。
燕王は人をやってこれを招聘させた。
潘寿は燕王に見えて言った。
私は子之が益のようにならないかと恐れております、と。
王は言った。
益とは何のことか、と。

答えて言った。
昔、禹が死ぬとき、天下を益に伝えようとしました。
すると禹の子の啓の徒党が共に益を攻めて、啓を立てました。
今、王は子之を信愛し、国を子之に伝えようとなさっております。
太子の徒党はことごとく官職についておりますが、子之の仲間はひとりも朝廷にはおりません。
もし王が不幸にして群臣を捨ててお亡くなりになれば、子之もまた益のようになるでしょう、と。

そこで王は官吏の官印で俸禄三百石以上のものをまとめて、これを皆、子之に渡した。
子之の地位は大いに重くなった。


君主の威光を鏡として照らすものは、諸侯である。
しかし今、諸侯は皆、権臣の私党である。

君主の威勢を示すための羽翼となるものは、巌穴にいる隠者である。
しかし今、巌穴の隠者は皆、権臣の私客である。

これはなぜか。
賞罰与奪の権力が子之のような権臣に握られているからである。

ゆえに呉章は言った。
君主は偽って人を憎愛してはならない。
偽って人を愛せば、その人を憎むことはできず、偽って人を憎めば、その人を愛することができない、と。


一説にはこうある。
燕王が国を子之に伝えようと思ったとき、このことを潘寿に問うた。
答えて言った。
禹は益を愛して天下を益に任せました。
しかしその時にはすでに子の啓の党徒を官吏に登用していました。
禹は老いてから啓では天下を任せるには足らないと判断して、天下を益に伝えたが、権勢はことごとく啓が握っており、啓は味方と共に益を攻めて、天下を奪いました。
これは禹が、天下を益に伝えたという名声を得て、実は啓にみずから天下を取らせたのです。
これによって、禹が堯や舜に及ばないことは明らかです。
今、王は国を子之に伝えようとして、しかも官吏は太子の郎党でない者はおりません。
これでは、子之に国を伝えたという名声を得て、実は太子にみずから国を取らせることになります、と。

燕王は官職の印で三百石以上のものを集めて、これを皆、子之に渡した。
子之の地位は重くなった。


方吾子が言った。
私はこう聞いている。
古来の礼に、外出するときには同じ服を着た者とは同じ車に乗らず、住居は同族の者とは住まない、と。
しかるに君主たる者が、その権力を貸し与えて、その威勢を自分から離すことなどは、言うまでもない、と。


呉章が韓の宣王に申した。
君主は偽って人を愛してはいけません。
別の日にまた憎むことができなくなります。
また、偽って人を憎んではいけません。
別の日にまた愛することができません。
ですから、偽って憎んだり偽って愛するというような徴候を見せてしまうと、君主に諛う者がそれを道具にして賞賛毀損をするでしょう。
そうなれば明主といえども、元に戻すことはできません。
ましてや真実の愛憎を人に見せたならなおさらのことです、と。


趙王が宮園で遊んでいた。
左右の近侍が兎を虎に与えようとしたが、やめた。
王が虎を見ると、虎はぎょろりと目玉を動かしている。
王は言った。
嫌だな、あの虎の目つきは、と。

左右の近侍が言った。
平陽君の目つきは、嫌なことこれに勝りますぞ。
虎の目を見ても害はありませんが、平陽君の目つきを見たら、必ず死なねばなりません、と。

その翌日、平陽君がこれを聞き、人をやってそう言った者を殺させた。
それでも趙王は罰しなかった。


衛君が周に入朝した。
周の取次官が衛君の名を問うた。
答えて言った。
衛侯辟疆である、と。
周の取次官は拒否して言った。
諸侯が天子と同じ名を名乗ることはできません、と。

衛君はみずから改めて言った。
衛侯燬、と。
こうしてから衛侯を入れた。

仲尼がこれを聞いて言った。
深謀遠慮なことだ、侵害を防いだのだ。
名だけすら人に許さない。
ましてや実権はなおさらであろうな、と。



四、
木を動かして、一枚一枚その葉を集めていたのでは、労力ばかりで全てに及ぶことはできない。
左右からその木の根元を打てば、葉は全て揺れ動いて落ちるだろう。
淵に臨んで木を動かせば、鳥は驚いて高く飛び、魚は恐れて水中へ潜るだろう。
巧く網を張る者は、その綱を操る。
もしひとつひとつの網目を広げて網を張るのであれば、労力ばかりで張りきれない。
巧く網を張る者は、その綱を引いただけで、魚はすでに袋に入っている。
ゆえに官吏は民の大本の綱となる者である。
ゆえに明主は官吏を治めて民を治めない。


火事を救うのに、官吏に壺や甕に水を汲んで火消しに走らせたのでは、人ひとり分の役にしか立たない。
官吏が鞭をとり、民を指揮して使えば、万人を使いこなせるだろう。
こうしたわけで、明主は民をみずから治めず、小事にみずから手を出さないのである。


造父が雑草を刈っていると、父子が馬車に乗って通りかかった。
馬が何かに驚いて進まなくなった。
その子は馬車を降りて馬を引き、父は降りて車を押し、造父に我らを助けて車を押してくれるよう頼んだ。

そこで造父は農具を片付け、作業をやめて馬車に乗り込み、その父子に手を貸して馬車に乗らせた。
そこでまず轡を調べて鞭を持ち、まだ鞭を振るっていないのに、馬は皆、走り出した。

もし造父でも御することができないなら、造父が力を尽くし、身を労し、父子を助けて車を押したとしても、馬はなお進まないだろう。今、造父が身を楽にして馬車に乗り込み、徳を施すことができるというのは、術を心得ていて馬を御したからである。

国は君主にとっての車である。
権勢は君主の馬である。
術を心得て権勢を御さねば、その身を労したとしても乱を免れない。
術を心得て権勢を御するならば、その身を安楽の地に置いたとしても、帝王の功をなすことができるだろう。


椎鍛は物の凹凸を平らにするものである。
榜檠は曲がった棒を真っ直ぐにするものである。
聖人が法を作るのは、人々の乱れたところを平らかにし、曲がったところを真っ直ぐにするものである。

淖歯が斉で用いられると、閔王の首筋を抜き出し、李兌が趙で用いられると、主父を餓死させた。
この二人の君主は皆、その椎鍛や榜檠を用いることができなかった。
ゆえにその身は殺され、天下の物笑いとなった。


一説にはこうある。
斉に入れば淖歯ひとりの名前ばかりが聞こえ、斉王の名前は聞こえてこない。
趙に入れば李兌ひとりの名前ばかりが聞こえ、趙王の名前は聞こえてこない。
ゆえに言う。
君主たる者、術を用いなければ、威勢は軽くなり、臣下がその名をほしいままにする、と。


一説にはこうある。
田嬰が斉の宰相だったとき、ある人が王に説いた。
年の終わりの会計は、王みずから数日をかけて聴き取りをしなければ、官吏の姦悪得失を知ることはできないでしょう、と。
王は言った。
よろしい、と。

田嬰はこれを聞いて、すぐさま王に願い出て会計を聞いてもらおうとした。
王はこれを聴こうとした。
そのとき、田嬰は官吏に署名した文書に数量を記載して読み上げさせた。
王はみずからその計算を聴いた。
しかし計算を聴き続けることに耐えきれず、聴くのをやめてしまった。

食後に再び席に戻り、計算を聴くのを続けたが、夕食も取れない。
田嬰は再び申した。
群臣が年中日夜、怠らずに務めた結果です。
王は一晩中お聴きくだされば、群臣の励みとなりましょう、と。
王は言った。
わかった、と。

しかし、たちまち王は眠ってしまった。
すると官吏は皆、小刀を取り出し、その文書の計算を削り書き換えた。
王はみずから計算を聴いたことで、この文書を認めたことになってしまった。
斉の乱はこうして始まった。


一説にはこうある。
武霊王は恵文王に政治をさせた。
そして李兌が宰相となった。
武霊王はみずから生殺の権限を握らなかった。
ゆえに李兌に脅かされることになった。



五、
慈鄭子が手車を引いて高い橋に登ろうとした。
ところが車を支えきることができず登れない。
慈鄭は長柄に腰かけて歌った。
すると前を行く人は立ち止まり、後ろから来る人は駆け寄り、皆が車を押して橋を登った。

もし慈鄭に術によって人を引き寄せることができなかったら、力を出し尽くして死んでしまったとしても、手車は橋を登らなかっただろう。
今、その身は苦労せずに、手車を登らせたのは、人を引き寄せる術があったためである。


趙簡主が徴税の官吏を送り出した。
官吏が税の軽重を問うた。
簡主は言った。
軽すぎても重すぎてもいけない。
重くすればお上に利が入り、軽くすれば民に利が入る、と。
そこで官吏は私欲なく公正に徴税した。

薄疑が簡主に言った。
ご主君のお国は中が満ち足りております、と。
簡主は喜んで言った。
どのようにかね、と。
答えて言った。
国の倉庫は空で、民は皆が貧しく餓えておりますが、姦悪の官吏だけは富んでおります、と。


斉の桓公が微賤の服装で民家を巡った。
年老いてひとりで暮らしている者がいた。
桓公はその理由を問うた。
答えて言った。
私には三人の子がおります。
しかし家が貧しくて、妻をとらせることもできません。
そこで子らは傭われて出てゆき、まだ帰ってこないのです、と。

桓公は帰って管仲に告げた。
管仲は言った。
国庫に蓄えが積もり、腐って捨てるほどの財があるなら民は飢餓し、宮中に嘆く女がいるなら民に妻がいないものです、と。
桓公は言った。
よろしい、と。

そこで宮中の婦人の状態を調べて民に嫁がせ、民に命令を下して言った。
男は二十歳になれば妻を迎え、婦人は十五歳になれば嫁がせよ、と。


一説にはこうある。
斉の桓公が微賤の服装で民間を巡った。
鹿門稷という者がいて、七十歳になるが、妻はいない。

桓公は管仲に問うた。
民で老いても妻がいない者がいるのか、と。
管仲は言った。
鹿門稷という者がおります。
七十歳になりますが、妻はおりません、と。

桓公は言った。
どうすれば妻をもたせることができるだろうか、と。
管仲は言った。
私はこう聞いております。
お上に積もるほどの財があるときは、民は必ず困窮し、宮中に嘆く女がいるときは、老いても妻がいない者がいる、と。
桓公は言った。
よろしい、と。

宮中に命令を下して、女子のうちで未だ桓公に目どおりしていない者は宮中から出して嫁がせた。

そしてまた命令を下した。
男子は二十歳になれば妻を迎え、女子は十五歳になれば嫁ぐように、と。
すると宮中では嘆く女はいなくなり、外では妻を持てぬ男はいなくなった。


延陵の卓子が蒼くて桃の模様がある大きな馬が引く馬車に乗った。
馬の胸の前に鉤飾があり、後ろに錯錣がある。
馬が進もうとすれば鉤飾がそれを妨げ、退こうとすれば錯錣が馬に刺さる。
そこで馬は横に跳ねた。

造父が通りかかり、馬を見て涙を流して言った。
古の聖王が人を治めるやり方もまた、そのようである。
そもそも賞は善行を奨励するものであるのに、謗りを受けることがあり、罰は悪行を禁じるものであるのに、名誉を受けることがある。
ゆえに民は中立の立場をとり、どうすれば良いのかわからなってしまう。
これもまた、聖人が見たら泣くことになるだろう、と。


一説にはこうある。
延陵の卓子が蒼くて斑模様のある大きな馬が引く馬車に乗った。
馬の胸の前には錯飾があり、後ろには鋭利な錣筴がついている。
馬が進もうとすれば錯飾を引き、退こうとすれば鞭打つ。
馬は進むこともできず、退くこともできず、避けて横に跳んだ。
そこで卓子は馬車を降り、刀を抜いて馬の脚を斬った。

造父はこれを見て泣き、一日中何も食べず、天を仰いで嘆いて言った。
馬を鞭で打つのは、馬を進ませるためであるのに、錯飾が前にあって進めない。
馬を引くのは、馬を退かせるためであるのに、鋭利な錣筴が後ろにある。

今、君主がその人の清廉潔白なのを誉めて取り立てておきながら、左右の近臣の意にそわないために退けられ、その人が公正なのを誉めて取り立てておきながら、君主に従順でないために捨てられてしまう。
民は恐れ、中立の立場をとり、どうすれば良いのかわからなってしまう。
これも聖人が見たら泣くことになるだろう、と。



テーマ : 中国古典・名言
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

韓非子 集中講義 石川 武志

Author:韓非子 集中講義 石川 武志
東洋大学中国哲学文学科に学ぶ。中国学を志して、およそ20年。
専門は韓非子を中心に、古代中国における諸子百家の思想、哲学。
春秋戦国時代の法家、韓非子の翻訳、研究と解説。
韓非子集中講義主宰。

儒学者、近藤篤山の研究。

通背拳の伝承、指導。

愛媛論語教室 準備中!
第二十四号 論語指導士
(論語教育普及機構認定)
http://p-kies.net/rongo/#r1/

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